いつものように伊勢湾へキス釣りに出た。
野人の舟にフラフラ~っとすり寄って来たのは一匹のミズナギ鳥で、馴れ馴れしく船から離れようとしない。
野人はこのミズナギ鳥を「太郎」と名付けた。
この名に食傷気味の読者は「またか・・」と思うだろうが、名前などどうでも良いではないか。
犬はポチ、猫はタマ、2匹目はネギに決めているが、ゴキを始めとするその他はすべて太郎で良い。
「おい・・」では殺伐としている、要は気持ちの問題だ。
馴れ馴れしいミズナギドリの記事は昨年も書いたが、この時期になると必ずやってくる渡り鳥なのだ。
目の前で潜水、エサを追う水中の機敏な姿が真上から見られる。
羽根をヒレのようにして水をかき、一気に5mは潜り、息も長い。
この日も船のデッキから至近距離の50㎝で真上から撮影した。
自然界の鳥でこの距離で撮影出来る鳥はほとんどないのだが、彼らは海を旅して人を警戒しない。
いつものように・・「お手!」と手を出すと近寄って来た。
水の中からわざわざ水かきを出してお手はしなかったが、頭を撫でられそうな距離まで来る。
船は1キロ近く移動したのがそこまで太郎は追いかけて来た。
太郎は海水ごと魚を丸飲みするのだが、塩分摂り過ぎで高血圧や心臓病になるはずもない。
20年以上前、傷つき弱ったミズナギドリを見捨てられず連れ帰ったことがある。
家で手当てして、いくら小魚を与えても食べようとしない。
そのままでは餓死するので、考えあぐねて会社の海上レストランの大型活魚水槽で泳がせてみた。
「水を得た鳥」とはこのことで敏捷に水中の魚を追いかけて食べ始めた。
海水ごと丸飲みする姿を飽きることなく観察したが、食った魚の料金は当然野人が支払った。
海鳥からも学んだことは多い。
彼らが水に浮く理由は、羽毛は完全防水仕様だからで、鳥だけでなく地上のすべての動植物は同じ仕組みになっている。
皮脂なくして生をまっとう出来る生物などなく、地上で唯一の例外は自ら皮脂を落とし、降りかかる災いに頭を悩ましている人間だけだ。
これから海のシーズン、また太郎と会うこともあるだろう。
2008 6月 船の側で愛嬌振りまくミズナギドリ