越中は言った、「すまん・・セーターをサメに食われた」と頭を下げる。
日曜になると野人のアパートに電車で通って来る掃除洗濯が好きな静岡の可憐な女子大1年生が初めて編んでくれたものだった。
掃除洗濯にも関心のない野人はうっとおしくて朝からよく逃げ出していたが、不在でもそれにめげずに励んでいた。
その国宝級とも言えるセーターを持ち出し、魚臭くなったので洗って船上に干していたら風に飛ばされ海面に落ちた。
カツオの竿で釣ろうとした瞬間、下から大きなサメが口を開けてガブリと・・
羊毛だからタンパク質、その臭いがサメの食指を動かしたのだ。
持ち出しにまったく気付かなかったが、そのセーターが食われたとなると一大事だ。
サメに食われたと知ればあの娘は烈火の如く怒り、やがて泣き叫ぶかもしれない。
越中は言った、「おい・・どうする・・?」。
越中もあの娘の性格を熟知していた。
どうするもこうするも、追及されたら土下座して謝るしかないだろうが。
「誰が・・?」と言うから、「お前に決まっている!!」と引導を渡した。
その後の修羅場は・・書けない。思い出したくもないのだ。
卒業したら野人はカリブ海へ行くつもりだったが、妙な事情からヤマハへ就職、南西諸島へ行くことに決まった。
渡哲也のように角刈りだったから後ろ髪はないが、そのない髪を引かれる思いでくちなしの花を手に、彼女を残して旅立った。
彼女はやがて幸せな家庭を築いた。
いや、後に離婚したから厳密には幸せとは言えないが、しばらく手紙や年賀状が届いた。
卒業から数年して察したことだが、やはり・・あのセーターの一件を根に持っていた。
とっくに時効だと思っていたが、そうではなかったようだ。
野人が東シナ海の海中でサメに鉄拳制裁を喰らわしたのはそんな怒りもこもっていた。
今思えば、罪のないサメには可哀そうなことをした・・