譲り葉の心 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

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ユズリハと言う樹木がある。名の由来は春に若葉が育つ頃、あとを譲るように古い葉が落ちることから来た。世代交代と言えばそれまでだが、風情ある昔の人はそう思わなかった。

常緑樹は年中葉を付けているが落葉樹は冬にはすべて葉を落として春に一斉に新芽を出す。その様は見方によっては世代が途切れるとも受け取れる。木そのものは生きているのだが、葉がないと完全ではなく見栄えがしないようからだろう。常緑樹も葉に寿命が来ればその都度生え替わっているのだが目立たない。古代の人は春に引き継ぎをするユズリハを縁起物として重宝、祝い事や正月の飾りなどに用いた。その記録は鎌倉時代から残っているが、葉柄の赤いユズリハは風情もあり万葉集にも詠まれていたようだ。

ユズリハは毒草だが、神事に用いられるシキビやアセビも毒草だ。さらには身近なスイセンやチューリップやダリアだって毒草には違いない。これらは食用ではないから人々に愛されてきた。この中で一番知名度が低いのがユズリハだろう。植物を研究して数十年。食用、薬用、毒草、その他有用植物が中心だったが、このユズリハは印象に残っている。人は古代から多様な植物を文化に取り入れ活用してきたが、このユズリハはその心を認めて大切にし、見習おうとしてきた。

子を育て家を代々守っていく様子をユズリハに見たのだろうが、譲り合いの精神に欠ける現代には、譲り葉の心が必要に思う。野人も思い当たることが多い。車や電車だけでなく、対人関係にも必要なことだ。

ユズリハだけでなく植物はすべて森羅万象の理に適った生き方をしている。その営みは無駄もおごりもなく完全なものだ。そして純粋で気高い心を持っている。脳を持つ動物とは時間の流れが異なるが間違いなく持っている。心を持たない生き物などいないのだ。

これからも植物からは自然界の道理だけでなく心も学びたいと思っている。