海藻と海草の違い 海の底にも草は生える | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

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「かいそう」と言う言葉は日常的に使われているが、「かいそう」には「海藻」と「海草」がある。大きな違いは「藻」か「草」かだ。藻には茶色や緑や赤いものなど多彩なものがあるが、共通点は海水から直接養分を吸収する。植物性プランクトンのように海中を浮遊するものもあるが、食用に利用されているワカメやコンブ、海苔やヒジキなどは海底の砂や土に根を張るのではなく岩や石に付着する。根は「仮根」と称し、それぞれの成長しやすい場所に「定着」する為のもので、「くっつき虫」のようなもの。

海草は陸上の草とまったく同じで、砂や泥底に根を張って養分を吸い上げる。藻類が形状、機能を進化させ陸に進出して草となった後も根性でそのまま海に居残っている。海中に漂うから、陸の草のように「シャキ~!」と背筋を伸ばさなくていいから楽だったのだろう。

ジュゴンのエサとして知名度のある「アマモ」などがその代表だが、どちらも太陽光の届く範囲で光合成を行い酸素を放出している。海の濁りは泥などの無機質が原因の場合もあるが、生活排水などで植物性プランクトンが異常増殖すれば太陽光が十分に届かなくなり彼らは死滅する。そうして海藻類の領域が年々減りつつある。特に内湾では急速に進んでいる。かってはアラメやカジメが生い茂り、サザエやアワビ、バテイラなど、それを主食にする生き物が豊富だった海域も生態系が大きく変わり、泥や砂を好む肉食系の貝が増えてきた。水の綺麗な外洋にはそれらの海藻類が生い茂るのは当然のことなのだが、それも当然とは言えなくなって来た。地球温暖化は珊瑚だけでなく海藻を始めとする生態系にも大きな影響を与える。海藻類は高温より低温を好み、夏よりも冬に繁殖する。沖縄に海藻類が少なく、北海道に昆布の大群落があるのはそれが理由だ。

三重の外洋でも一部の海域では「海藻丸裸現象」が広がっている。潜っても海藻らしきものは一切見当たらず、肉食の巻貝や長い棘と毒を持つ「ガンガゼ」と言う食用としないウニが異常発生していた。ウニが海藻の芽を片端から食い尽くすので海藻の菌は付着しても成長出来ない。野人はそれまで本土の外洋でそんな海を見たことがなかった。見渡す限り岩だらけなのだが魚がまったくいない。珊瑚や海藻の生命活動があってこそ魚はその場所に住み着く。透明度は高いのだがまるで死の海を見ているようだった。

海岸に打ち上がる海藻は、その役割を終えて自然に底から離れたものか、荒波に揉まれてうち上がったもので、食べようと思えばすべて食べられる。硬さやアクもあるだろうが、ヒジキだってアク抜きを繰り返して食卓にあがる。硬いアラメやカジメやホンダワラも煮込むことで柔らかくなる。海草のアマモは食ったことがないがジュゴンが好むくらいだから旨いのかも知れない。海藻や海草に毒のあるものはなく、生命の誕生から生き物の命を育んできた最高の食品だ。もっと利用してみたらどうだろうか。冬から春にかけてが最適だが海岸には年中いくらでも打ちあがっている。今はお金で食べ物を購う時代だが、たまには本能を蘇らせ海藻を拾って食べてみればよい。海に感謝して人間が地球に生かされていることが実感出来る。