雪隠道路物語 イチヂクに感動 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

野人が子供の頃、「セッチン道路」なるものがあった。セッチンは雪隠と書いて昔のトイレの呼び名だ。昔の畑は人糞を使っていた。汲み取った肥を小さな溜池に入れて熟成させて肥料にしていたのだ。肥桶を扱うのは百姓として当たり前の事だった。通学道で国道を挟んだ畑を縦断する近道があり、皆は「雪隠道路」と呼んでいた。2百mくらいに肥溜めが無数にあったからだ。熟成した臭いはたいした事ないのだが、鮮度が良いほど強烈に臭った。畑にまきたては特に凄まじく、時には鼻をつまんで駆け抜けた。周囲の麦畑でよく遊んだが、肥溜めに気付かず落ちた者もいる。そうなれば悲惨だ。1年間は学校でからかわれる。6年間毎日通った道だけに愛着はあった。野人が通い始めた1年生か2年生の頃だったか、水面に興味を引く物が浮いていた。当時は知らなかったが「イチヂクカンチョー」だ。ツルツルのピンク色で気になって仕方なかった。ある日タモ網で幾つもすくい取って小川で洗った。さすがにそのままでは臭くて野人も触れなかったのだ。綺麗になり臭いがしなくなると日に干して乾かし、宝物の箱に保存した。たまにこっそり取り出しては何に使う物なのか考えていた。ある日部屋の掃除をしていた母がそれを見つけた。箱を空けた瞬間、「ギャ~!」と言う悲鳴と共に放り出したものだから数十個が部屋中に飛び散った。母の怒りは凄まじく、掃除させられたあげく正座させられてお説教されたのだ。そこで初めて、野人はあの宝物がお尻の穴に突っ込む「イチジクカンチョ~」だと知った。野人はまだ使ったことはないが、あれだけプカプカ浮いていたということは当時も便秘の人が多かったのだろう。消化酵素不足は今も昔も変わらない。何故そんなものが必要なのか、あらためて考え直したほうが良い。それが健康への近道だ。食べものが生き物の理に適っていればフン詰まりなどにはならない。自然界の生き物は便秘などしない。イチヂクよさらば・・・わが青春のノスタルジ~~