森羅万象の修復理論 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

これまで野人流の道理でエッセイを書いてきた。野菜は植物であり、本来生き物が必要とする植物とはどのようなものか、それに合った農業とは、今の科学では証明されない「生命力」を伝えるのに「生命力 気の科学」を書いた。それでも既存の常識の枠から脱する事は難しく、理解し辛いものだったろう。常識が間違っていなければこんなひどい世の中にはなっていない。農業、林業、漁業などの一次産業は衰退、後継者も希望が持てない。環境の荒廃は止まらず、科学医学が進歩したにも関わらず健康は悪化の一途をたどり、病める大国になっている。人の思考回路はそれでも先へ先へと進もうとしている。これが駄目ならこれだとばかりに不要なプラス思考で「物質文明」を進めて来た。昭和中期までは聞いた事もないようなアトピーや花粉症なるものまで背負い込み、猛烈な勢いで蔓延している。年中野菜や果物が食べられるような飽食の時代に何故健康食品やサプリが必要なのかおかしいとは思わないのだろうか。これだけやっても治らない事くらいわかりそうなものだが。症状は薬で抑えながら足りないものを補充すると言う思考が常識と言えるのだろうか。何故症状が出るのか答えを出せばそれで済むことで後は余計な事だ。答えを出すのに必要な事は「体に何をしたか」「何をしなかったか」それしかないのだ。たいした設備もいらず家庭で簡単に実験出来る。現状の結果は無理に強制されたわけでもなく、自分のお金を出して求めた事なのだ。医学は症状が出ればそれを抑えるのが役目で他は関知しない。製薬会社は治す薬を作るのが仕事で、薬がいらない方法を告知するのが仕事ではない。それではまったく商売にならない。つまり健康は、医者と製薬会社の領域ではないのだ。だから「引き算」の実験する機関などはない。健康関連のニュースも、毒性や発がん性などの発表ばかりで話にならない。せいぜい、適度の運動やバランスの良い食事くらいで足し算しか頭にないようだ。予防と称して無菌や消毒、うがい、ワクチンなどとバカげた常識を広める事しかやろうとしない。だから良くなるどころか悪化の一途をたどっているのだ。救急車がたらいまわしにされる現状がそれを物語っている。救急車も病院もヒマなほうが良いに決まっている。薬も飲まないほうが良いことは誰もがわかっているはずだ。野人の視点から、おかしい、逆だと思える常識は10や20ではない。常識と言う思い込みや習慣を変えなければ今の世の中は健康も環境も良くはならない。

そう思って石鹸やシャンプーや歯磨き粉の常識を破る理論をやむなく書いた。試す試さないは読者の判断しかなく野人の関知するところでもない。書いた以上は推移は見守るしそこから新しい発見もある。野人は神様でもなく間違いもする。当然修正も必要だ。結果に個人差も出るだろう。他の要因も幾つかあるからだ。

専門、分業と言う今の科学と違って、野人のベースは海洋学、自然科学、地球物理学、魚介、植物と幅広く、言わば森羅万象がベースなのだ。だから生き物の本質がよく見える。本来こうあるべきものが今はその本質から逸れてこうしていると言う事がよく見えるのだ。それを元に戻せば答えが出るのではないだろうか。野人の修復理論は誰でも理解出来る「引き算」しかない。それを難しく感じたり、抵抗があるのは、習慣から生まれた「常識」が原因だ。あらためて自分の頭で道理を組み立て判断すべきだろう。引き算は簡単で、早いもので数日で答えは出る。答えはメディアや科学ではなく身近にいくらでも転がっている。怪我や事故はあっても病気は本来存在しないものなのだ。だから医学では怪我や伝染病は治せても病気は治せないし健康も守れない。それは自分の判断でしかないのだ。