気の科学34 虫に食われる野菜 食われない野菜 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

消滅寸前の白菜


大根


豆も・・・


野人の混生農園


野菜は何故虫に食われるのか、理由もなく食われるはずもない。野山の植物も道端の草も同じ地球の生命の循環の中で生きている。野菜を「自然の産物」と見るなら植物であり、人が手をかけなければ出来ない特別なものと見るなら「養殖野菜」だろう。

植物は陸上の生命のすべてを支えている。植物なくして虫も鳥も草食動物も肉食動物も生きては行けない。植物が生き物の住まいと食物を提供しているのだ。当然種類によって食べられやすい植物とそうでない植物がある。毒草を食べる生物は少ない。少ないと言うのは、人や動物にとって毒でも、そうならない鳥や昆虫もあるからだ。また食べられる植物も柔らかい新芽のほうが食べやすい。動物だって「アク」のないものを好む。

長年、野山を歩いて観察して言える事は、ボロクソに食われてしまう植物などない。むしろ食われているのはほとんど目立たない。適度に住まいと食を提供して共生している。植物は現時点では進化の最高の形であり、彼らがいないと繁殖が出来ないからだ。植物は彼らとの共生を前提に進化の形をとってきた。食われて欲しくない所にはトゲを、食べるのは早い実には酸味や渋味を、種子が出来上がると果肉には甘味を持たせた。果肉のない草は重い種を運んでもらうのに動物の毛にくっつきやすい形になった。

人は柔らかくて大きな野菜を作るようになった。自然界にはあまり見かけない不自然な植物だ。当然虫が群がり、中身の程度によっては全滅してしまう。春に芽吹いた植物は、虫が一番活性化する夏には成長し、すべて食べられないような体になっている。そして野山はびっしり植物で埋もれている。だから根こそぎ食われることなどない。暖かい季節は共生のピークなのだ。春夏秋に草もない畑に柔らかく肥大した野菜だけがずらりと並べば食われるのは当然とも言える。

もう一つの理由は中身のバランスだ。すべての植物はバランスがとれている。大地のエネルギー、つまり「気」を吸収して育った植物はそれに見合った体を形成する。気をコップとするならそれに合った水しか入らないということで、それが森羅万象の道理。

植物の性質から、土がなくても水とわずかな養分さえあればどんな場所でも育つ、岩の上でも屋根の上でも、そうやって不毛の大地を緑に変えてきた。化学肥料であれ有機肥料であれ、人が植物を人工的に肥大させ、不自然な配列で、草を排除して綺麗にしてしまえば、虫の猛攻を受けるのは当然のことなのだ。そうなれば最後まで責任を持って「防戦」するしかない。しかし出来た野菜は、人がエサを与える養殖の魚と同じで「養殖野菜」と言えるだろう。魚同様、エサの有機物などの「配合」で美味しい味も作れるが生命力は正常ではない。地球の生き物は自然界の食べもので命を繋ぐ。進化の頂点にある長寿の人間は、生命力のある植物をとらなければそれをまっとう出来ない。個人差はあるがいつかは細胞に異常をきたすことになるだろう。医学が発達した現在の健康状態がそれを証明している。