道沿いの霊果「ムベ」 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは


海岸よりの山道を走るとムベが多い。シバグリやサルナシやクワもそうだが、道路によって日当りが良くなり、ブッシュの中よりも実がつきやすいのだ。林の中の木は生存競争に勝とうと上へと伸びてゆく。アケビやムベのつるも上へ上へと太陽を求めて伸びる。地上からは見つけにくいし、見つけても木に登るしかない。つまり道沿いが一番よく実り、低くて採り易い。木の実がりは車でするものと思っている。探すのも車の中からだから楽だ。アケビやサルナシの時期は過ぎて、10月中旬から11月にかけてはアケビの仲間のムベだ。このムベは色づいたばかりで食べ頃は後一週間くらいだろう。一本のツルに10個以上はあるようだ。味はアケビに似て甘いが自然な甘さだ。食べるというよりほとんど種だから間の白い綿蜜を舐めるようなものだ。そして種を吐き出すが吐き出す量のほうが多い。アケビは自然に実が割れることから「開け実」がアケビになった。ムベは開かずにいつまでもそのままで鳥が皮をつついて中の実を食べる。落葉のアケビに対してムベは常緑で、ベンジャミンに似た葉が好まれる事から生垣などにも使われている。

ムベの語源は天智天皇の一言だったようだ。琵琶湖のほとりに狩りに訪れた時、8人の男子を持つ健康な老夫婦に絶倫の秘訣を聞いたら、無病長寿の霊果があり、毎年秋には食べていると答えた。それを食した天皇は「むべなるかな」と得心したと言う。まさしくその通りと言う意味だ。そして「この霊果を例年献上せよ」と命じた。

諸国からのお供え物を紹介した10世紀の書物には、近江の国からムベがフナやマスなどの魚と一緒に朝廷へ献上されていたと言う記録が残っている。

今の果物と違いまったく人の手が加えられていないこの「霊果」。健康には役立つと思うのだが、人が栽培して周年出回るようになれば傷一つない綺麗なものになるだろう、そうなれば「霊力」は望めない。やはり自然に山で育ったものこそ生命力がある。売られている巨大で鮮やかな紫色した傷一つないアケビを買って食べた事があるが、薄甘いだけで何の感激もなく、本来のアケビの味とは異なるものだった。人の欲が「早く、大きく、綺麗に」しているようだ。今の野菜もそれと同じようなものなのだ。だから何の感激もない。体が求め、喜びと力がこみ上げてくるものが本来の食べものだと思っている。