東シナ海流42 上陸作戦の悲劇 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

作地浜には温泉が湧いていた。浜といっても波打ち際は砂利で、その上は頭よりも大きな石がゴロゴロしていた。溶岩が張り出した部分に船首から船を近づけ、瀬渡しの要領でじいさん等を渡していたのだが、そこに「温泉石室」を作ることになった。問題は建築資材の搬送だ。船しか手段はないのだがそんな膨大な量は運べない。やると決めたら一歩も引かないじいさんだ。自衛隊の大型へリで運ぶという案も出たが、住友建設が決めたのは、貨物船をチャーター、作地浜に乗り上げてクレーンで一気に物資を浜に下ろすという方法だった。干潮時に座礁させ、満潮と共に離礁するという何とも乱暴な方法だ。それには難問があった。船のクレーンを伸ばしても波打ち際まで届かないのだ。つまり海水をかぶってしまう。波打ち際で資材を受け止める為の真四角の「箱舟」が作られたが、そこから100mの予定地まで資材を運ぶ方法で行き詰まってしまった。人が運ぶには膨大な量で、潮が満ちるまで時間がなさ過ぎるのだ。野人が提案したのは、箱舟ギリギリいっぱいのジープを切石港から積み込み、沖の貨物船にクレーンで一旦積み込む。不安定でそのまま長時間走れないからだ。貨物船と箱舟が乗り上げたらクレーンで吊るしたジープを箱舟の中に降ろす。そのジープを使って物資を濡れない安全な場所までピストンで運ぶという案だった。ジープなら大きな石の上を何とか走れる。坂井さんが言った。「今度はジープをどうやって浜に上げるんね?」。「簡単だ。箱舟座礁と同時に陸で待ち構えた数人が車輪の幅で二枚の板を打ち付ける」と言うと、坂井さんがまた、「箱舟はジープがやっとスッポリ納まるサイズや、どうやって出す?」と聞く。「箱舟に分厚い板二枚を車輪の幅で船首甲板から船尾船底に斜めに設置、ジープを降ろす時もその上に斜めに降ろせば良い」と言うと、また坂井さんがイチャモンつけた。「それじゃ上りと下りの勾配がキツくてジープの底がつかえて出んよ~」・・・「じゃ・・じゃ・・ジャンプすりゃ良かろうが、思い切り急発進でバコ~ン!と・・」。「それ・・誰がやるんね」・・・・・皆黙り込んでしまった。結局、「オレ・・・」と言うしかなかった。まあ無事に軟着陸を祈るしかない。

決行当日は風もなく波も比較的穏やかだった。しかし作地浜はベタ凪ぎと言う日はほとんどない。いつもよりは小さいが波は打ち寄せていた。上陸作戦は順調で、貨物船の船尾からアンカーを入れて船首を予定の位置に乗り上げた。箱舟の位置が決まると待ち構えていた男達があっと言う間に板を打ち付けてハシゴを仮止めした。野人はジープに乗ったままクレーンで吊るされ箱舟の中に無事着地、エンジンをふかして「バコ~ン!」と急発進するとジープは見事に船首を飛び越え浜に着地した。ただしハシゴは衝撃で見事に折れたがどうと言うことはない、下りれれば良いのだ。野人の仕事はそこまでで、ボートで一旦切石港へ戻った。総勢二十人以上の男達が後は運んでくれる。

夕刻の予定時間になっても貨物船は帰っては来なかった。満潮の時刻は過ぎて、とっくに離礁しているはずなのだ。心配で船を出そうとしていたら連絡が入って来た。十数人が海に投げ出されたと言うのだ。