東シナ海流33 逃走の終結 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

逃げ場がないほど辛くて不安にかられることはない。

「帰る家がなく野外は嵐」と同じだ。つくづく港の有り難味がわかる。


船は休める場所を探した。

風はそれほど治まってはいないが、かろうじてうなりが消される湾を見つけた。

うねりが高いとアンカーが効かず走錨してしまう。

風はやがて向きが変わり治まるはずだ。そこに錨を下ろした。


野人以外はへとへとに疲れきっていた。

揺れはあるが食事の世話もした。野人は食欲旺盛だが、二人はもはや食べ物が喉を通らなかった。

慣れた船乗りでも疲れと睡眠不足は船酔いの元なのだ。

嵐が治まるまでもうしばらくの辛抱だ。


しかしこんな「忙しい風」は初めてのことだった。島を何周逃げ回れば済むのだろう。

センターボードに鉛の入ったクルーザーヨットなら「ダルマ」みたいに起き上がり、太平洋の大波も越えられるが普通の船では無理だ。


一晩停泊すると嵐は治まってきた。何とか港に帰れそうだ。

徹夜労働の翌日から三日も風呂に入れず体中塩だらけで狭いソファーで仮眠していたのだ。

いや、あまり寝る時間はなかった。ゆっくりと風呂に入り大の字で眠りたい。


切石港へ戻ると皆が迎えてくれた。

温かいコーヒーも用意してくれて有難かった。


坂井さんが言った。


「あんたの考える事、やること、ワシらにはさっぱり理解出来んけど、やっぱり凄かよ~」

「とにかくこうして船は無事に帰って来たもんね・・」。


坂井さんは、アメフト外人二人を撃退した時も同じような事を言っていた。

その日は三人とも泥のように眠った。


翌日、クルーザーは屋久島へ帰ることになり全員で見送りした。

船長は両手を握り何度も礼を言った。

「本当に有難う、おかげで助かった」と。

ただ、言葉のニュアンスが最初とはまったく違っていた。

「呼び捨て」から「さん」付けに「昇進」していた。

10歳以上年上だから呼び捨てで構わないのだ。


屋久島にはヤマハの船舶基地があり、船乗りは十五人くらいいたが、彼は甲種船長でありそこの総責任者なのだ。

基地に帰ってからも言いふらしていたらしい

「あれは・・神様だ」と。

話が本社まで届いた時にはさらに尾ビレがついていた。

その内容は、神様と言うより「怪物」に近づいていた。


その時はわからなかったが、まさか、数年して屋久島に転勤、そこの責任者になり、さらに十数年間、そのクルーザーの船長として本土の施設を転々、最後まで付き合うことになるとは夢にも思わなかった。

船にも心があり、呼び寄せられたのかも知れない。


それから8年後、自宅で寝ていた時、夜中の3時に船の叫びが聞こえて目を覚まし駆けつけた。

大きなうねりで、二本の太いアンカーロープの一本が切れて、陸に打ちあがる寸前だった。

海に飛び込み船に乗り移り、エンジンをかけて安全な場所に避難させた。

それも何かの因縁だろう。


本当に好きな船だった。