朝まずめ、クルーザーは鳥山に向かった。すぐ沖はまだ大荒れだ。
木の葉のように波にもまれながら船尾から疑似餌を流した。
魚のナブラに突っ込むとすぐに後方で水しぶきが上がった。
「カツオだ!」
3本針にすべてカツオが掛かってきた。再度ナブラに入るとまた掛かる。
船の揺れと共に2キロ前後のカツオがデッキを滑る。
十本以上釣っても食べ切れないし保管も無理だ。漁労はあっと言う間に終わった。
元の入り江に戻りアンカーを打ち、さっそくデッキでさばき二本刺身にしたが食べきれるものではない。
しかし食料はそれしかなく火も使えない。
皆で気持ち悪くなるほどカツオを食べた。いや、腹に詰め込んだ。
体力をつけないと危機は乗り切れない。
何日間も時化が続くとも思えないが、長期野菜不足でビタミンCが欠乏すると壊血病と言う恐ろしい病気がある。
長期漂流で日本人が一番長く生きられたのは世界で唯一「生魚」、つまり刺身を食べる習慣があったからだ。
カツオなど血合いの多い魚類にはビタミンCが含まれている。
1793年、砂糖運搬船が難破し、海に投げ出された5人の船乗りが、9日後ひどい衰弱状態で救助された。
彼らは漂流していた船荷の砂糖とラム酒で飢えをしのいでいた。
人は飲まず食わずで何日間も元気で生きられるはず。原因は砂糖だ。
不審に思ったフランスの生理学者が砂糖と水を犬に与える実験を行ったら、犬はすべて衰弱して死んでしまったと言う。
糖分は一時的なエネルギー源に過ぎず、多食すれば体を衰弱させる。
荒れた海の船上では何をやっても重労働で、食べなければ体力が持たないのだ。
じっと寝ているだけなら食べなくても生きて行ける。
船酔いで何日も食べものが喉を通らなくても死ぬ事はない。
気持ち悪いのとエネルギー不足で動けないだけなのだ。
船を守り通すには持てる限りの体力と知恵で戦い続けるしかない。
人は大自然と戦って勝てない。
勝てないが耐えて乗り切る知恵は持っている。
判断の誤りが生死を分ける。
気象情報にせよ人間のやることに完璧などはないのだ。
追い込まれれば目の前の自然と向き合い、最後は己の直感を信じたほうが後悔しない。
生き物はその本能を必ず持っている。
その日の夜、風向きが変わり、停泊していた入り江にも大波が入って来た。
アンカーは耐え切れず海底の岩から外れて船は流れ始めた。アンカーを上げて逃避だ。
切石港での酷使で巻き上げウィンチは壊れていた。
二人がかりで20キロアンカーを30mの海底から引き揚げるのだがロープは100m以上伸ばしていた。
火山が隆起した島だから浅場はなく、急激に深くなっている。
作業を終えると腕の感覚も握力もなくなっていた。
次の湾へと向かいアンカーを降ろした数時間後、また風が回り波浪が押し寄せて来た。
再度の移動だが既に船長とクルーは疲れ果てていた。
クルーは船酔いに苦しみ、食事が喉を通らず横になっていることが多くなってきた。
強風と波に追われて移動を繰り返し、船はとうとう島を一周して切石港の沖へ来たが、そこもまた安全な場所ではなかった。
島影で風波はないが4mのうねりが残っていた。
出航した時よりも状況は酷い。
あまりにも風が回るのが速すぎてうねりが治まり切れないのだ。
アンカーが打てる状況ではなく最悪だ。
エンジンの停止が出来ずに燃料が底をついてしまう。
停止して漂流させれば沖へ流されて今度は波浪の餌食になってしまう。
ここは黒潮本流の真只中に突き出た島なのだ。