東シナ海流25 野人VS野生牛 | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

諏訪瀬島には昔飼っていた牛が自然繁殖していた。つまり完全な野生牛で獰猛だ。船から見ると溶岩だらけの高い場所や、岩に囲まれた海岸などで見かける。いったいどうやって移動したのかと思うほどだ。野生の茶色の山羊は数十頭単位で崖の斜面などに群がっていた。足を踏み外せば命はないような崖だ。猿も木から落ちるという言葉もあるが、山羊もたまに崖から落ちるのだ。目撃すれば船を寄せて山羊拾いに行く。釣りをしながら内心では「山羊・・落ちないかなあ」・・と願っていた。部落の人達は網を張って追い立てて山羊を捕獲するが、たまには牛も網で捕獲する。撲殺して皆で分け合って食べるのだ。ある日一等の牛が捕獲された。翌日、農園の池ちゃんや仲間からとんでもない話が持ちかけられた。前夜、部落の人達と焼酎を飲み明かしたのだが、ある話で盛り上がり、さっそくこちらへお伺いを立ててきたのだ。とにかく何も娯楽のない島だから考える事はいじましい。毎日が退屈なのだ。そこで、牛をただ潰すのではなく、広場に島民を集めて「野人VS牛」のショーをやりたいと。獰猛な牛には誰も敵わないが、ひょっとして野人なら・・と誰かが言い出したのだ。焼酎の勢いもあって「そりゃ絶対面白い!」と全員一致で決まったらしい。しかも「素手」でだ。「どう~?」と言うから、「バカモン!あの巨大な牛に歯が立つはずないだろうが!」。スペインの闘牛でも剣を何本も刺しても死なないのだ。素手では返り討ちにあうに決まっている。棒術の棒でも効くはずがない。そもそも牛の皮は「靴やカバン」になるのだ。すると、「昔素手で牛と戦った空手家がいたのに~」とのたまう。「偉大な怪物と一緒にするな!それに無益な殺生も嫌いだ」、それに、食うなら苦しまず一気にあの世へ送ってやるのが慈悲の心だと断った。島民は滅多に肉が食べられず、食いたいなら獲って食うしかなかったのだ。まだ日本にも自由に肉が食べられない場所はある。ここは国内最高僻地と言われている島だ。11時になると部落の発電機を止めるからランプに変わる。ヤマハも同じだ。飛行場の発電機を11時に止めると、それから本を読むのは蛍光灯の懐中電灯だった。ヤマハが部落に大型発電機を一機進呈するまでは「ランプの暮らし」だった。ショーの楽しみが消えて全員落胆したが、それは自分のせいではない。

何はともあれ久しぶりのご馳走だ。牛のお裾分けが回ってきて、さっそくステーキにしてかぶりついた。かぶりついたのだが・・・・歯が立たない。何度も噛んではみたのだが、歯が入らないのだ。野生牛がこんなに硬いとは思わなかった。熟成させないと柔らかくならないのは知っていたが、飢えていたのでフレッシュな肉が食いたかったのだ。考えてみればあんな急斜面の火山を登るのだから筋肉が発達して当然だ。しばらくして食べた牛は硬いが旨かった。初めて食べた健康な野生の牛の味だった。何故か一本しかない「牛の尻尾」も配給されてきた。それはテールシチューが一番だ。しかし、ホルモンタン・・・は誰が食ったのだろう。