気の科学 4、祖母と母のテレパシー | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

 

このブログを始めた時、意識の世界の事はまったく書く気がなかった。あくまで自然界の循環と食の本質が目的だった。

どちらかと言えばあまり関心のない世界のことなのだ。

それは今も変わらない。

 

つまり肉体を持つ人間は、授けられた人生を前向きに精一杯生きるべきで関わるべきことではないと思っている。

「仕組み」を知ることは大切なのだが、知ればどうしても深く首を突っ込み、のめり込み、それに頼ろうとするのが人間。

人の心は不安定で繊細なものなのだ。

 

しかし、食の本質や植物の生命力、人の体や宇宙の仕組みを語り尽くすには、「気」は避けては通れない。

仕組みを知り、野人の考え方を知ることで、世の中に氾濫する「怪しげな話」に惑わされないようになれば幸いだ。

 

人にはいまだ理解できないことが多く、世の中は不思議なことだらけだ。しかし森羅万象には何一つ不思議な事など存在せず、すべてが成るべくして成っている。

不思議と言うならリンゴが落ちるのも、球の表面に人が住んでいるのも不思議な事になる。

 

人は小さい頃から好奇心の塊だが、好奇心はこの世界で生きてゆく為の本能なのだ。

オーラや霊界や気やエネルギーなどの情報が入り乱れているが、野人にとっては幼い頃からあまり不思議ではない世界だった。

つまりそのような「家系」だった。

それが当たり前のように育ってきたのだ。

 

理工系を選び、物理的に理解できたのが後になる。

通常とは逆の道を歩いてきた。だから偏見や情報に惑わされることなく自分なりの結論を出している。

しかしまだまだ未知の事は多いのだが、これ以上は知る必要がない。

人には他にもっと知らなければならないことが山ほどあるのだ。

 

父は養子で、父方の祖母は戦災孤児に毎日自分の配給食を分け与え、餓死の道を選んだ。

詳しくは「たった一人の武士道」に書いている。

 

一緒に過ごした母方の祖母は海女の出だった。

祖母は遠く離れた出来事を夢で知ることが出来た。

小学校の時、大分県に住んでいたが、朝から汽車で出かけたので母に聞くと、山口県の友人が夜中に息を引き取ったから行ったと言う。連絡もないのに祖母はわかるのだ。

母は「いつものこと」だと笑っていた。

訃報連絡は当日の昼に来たが、祖母は既に到着間近だった。

 

母は、人の心や話そうとすることが一字一句狂わずに読めた。

何を言いたいのか、何時何処で集会があるなどと言う具体的なことまで喋る前にわかるのだ。だから子供の頃から母に「嘘」をついたことが一度もない。つけなかったのだ。

 

母は若い頃、この力を使えば「お金持ち」になれると一瞬思ったらしい。

相談に来た人の心を、細かく言い当てたらそれこそ「神様」になってしまう。

母はその道を選ばず、食品店を開き、祖父母と野人を養う為に朝の5時から夜の九時まで休みなく働いた。

母は、喧嘩で怪我して帰って来ても笑うだけだったが、相手を傷つけると怒った。母は全ての生き物に対する慈悲に溢れていた。

 

野人も祖母や母とは違うことが出来たが、母には言っていない。言わなくてもわかっていただろう。人の心などは読めない

「霊には関わるな」とは何度も言っていた。

そんな力は祖母の家系だろう。

祖父や若くして世を去った父は特殊な事は出来なかったようだ。