東シナ海流19 マグロで船が沈む | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

諏訪瀬島沿岸は近海だけでなく巨大魚の宝庫だ。黒潮本流の真ん中に海底から突き出た溶岩の島だから、沖も沿岸も変わりないのだ。島に激しく黒潮がぶつかる須崎は潮が速く波が高い。笹森丸を降ろし、部落の人二人と学校の先生一人を乗せて引き釣りに出た。モダンに言うならトローリングだが、和風で言えば「ケンケン釣り」だ。ルアー、つまり疑似餌を使うのは同じだが、サオとリールを使うトローリングに対してロープの仕掛けを手で直接引き揚げるのだ。だから力任せのごつい仕掛けになっている。須崎に到着すると、激しく潮がぶつかり、三角波が逆巻いていた。海鳥の大群が急降下して海に突っ込んでいる。マグロの大群が魚を海面まで追い上げているのだ。その小魚を狙って海鳥が上空から突撃する。カツオ一本釣りも、この「鳥山」を見つけることから始まる。仕掛けはカツオのものと違ってややゴツイ。20キロ位までは耐えられる針が3本付いている。船尾から仕掛けを2本流しながら群れに突っ込んだ。いきなり水しぶきが上がりヒットした。非常に重い。3本とも食いついているのだ。指が切れるから軍手をして引っ張り上げる、マグロとの綱引きだ。両舷の仕掛けを交互に引き揚げてはまたすぐに流す。休む時間がないのだ。キハダマグロの3キロから15キロまでが次々に揚がった。時々「バチン!」と針が切れるのは20キロを超えた大物だ。平均7キロとしても3本掛かれば20キロだ。海のスプリンターと呼ばれるマグロとの綱引きは重労働だ。大型クーラーになど数本しか入らない。デッキはマグロだらけで血の海になって滑る。普通はすぐに洗い流すのだが、波しぶきをかぶるから海水をかける必要がない。量的には十分なのだが、島の人は帰るとは言わない。たいした船もなく、滅多に海に出られない環境で、こうやって出たからには獲れるだけ獲るのだ。船が波で大きく傾くとデッキのマグロが片舷に移動する。足の踏み場もないくらいマグロだらけになってしまった。潮波に翻弄され、マグロがどっと寄るたびに「復元力」がなくなってきた。「このままでは転覆する、そろそろ帰港する」と言いかけた途端、事故が起こった。3本針の1本目の針を上げ、大物とやりとりしていた先生が悲鳴を上げた。マグロが一気に走り、すでに上げていた針が手に掛かったのだ。太い針には「戻し」があり、刺さったら抜けないようになっていた。出血も止まらず、蒼ざめてきたのでそのまま急遽帰港した。島民50人の島には医者はなく、自分達でやらなければならない。針を抜くことは不可能だから、糸を結んだ釣り針の根元を切断して、逆に皮膚を突き破って針先のほうから出すしかない。針は箸のように太く、麻酔もないから相当の激痛を伴う。抜いてしまえばあとは焼酎で消毒しておけば良い。「出血した分、鉄分とヘモグロビンはマグロで補給すりゃ上等じゃ!」と皆で笑いながら大漁を喜んだ。ここでは船主だからたくさんマグロをもらうことはない。島民全員に均等に行き渡るように分けるのだ。そうやって島の人は助け合いながら生き延びてきた歴史がある。ヤマハの工事で駐在していた20人の建設作業員にもマグロは分けられた。山羊を獲った場合も同じようにするのだ。マグロ以外にも魚は釣れたがほとんどがキハダで、約百本、700キロの釣果だった。船は3トンだから荒れた海では危険積載荷重だ。ヤマハの冷凍庫にはそんなに入らないから大きいのを3本だけにして後は部落に寄付した。刺身も飽きて、マグロステーキが続いたが、淡白なキハダはスタッフはあまり食べず、カンパチがいいだの、ヒラアジのほうが・・とか文句ばかり言っていた。社員の食料調達係りも兼ねていたのだ。大物本マグロ一本のほうが、どれだけ楽で美味しかったか・・・。とにかくこの島では「質より量」、食料優先だ。