東シナ海流18 潜って引きずり出せ! | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

「潜って引きずり出せ!」

今日もまたじいさんが吼えた。

一日平穏無事に過ごしたいと願うささやかな望みはいつも崩れ去ってしまう。

本当に人を退屈させないじいさんだ、人生を百倍面白くする方法を知っている。

命がけの温泉の翌日は海も凪いで絶好の釣り日和だった。

5時に出航して釣り場へアンカーを入れたところ、1キロ前後の小物しか釣れない。

釣れないと15分が我慢の限界で怒り出す性格だ。

イライラしたじいさんは「箱めがねをよこせ」と言う。船から海底をのぞく気なのだ。

透明度は30m以上あるから良く見える。

しばらく見ていたが、「キッ!」とこっちを睨むと・・

「また、君は私を騙したな!大きなお魚がいないじゃないか!」と怒り出した。

騙したなどと人聞きの悪い、詐欺師でもあるまいし、じいさん騙して何もいいことなどない、前日潜って魚がうじゃうじゃいたとしても当日もいるとは限らない。

だいたい、釣りするのに事前に潜って「魚を調べて来い」と言う方が無茶苦茶なのだ。

仕方なくポイントを移動して水深25mにアンカーをかけた。

エサは30cmのムロアジ一匹掛けだ。しばらくすると強烈なアタリがあり、じいさんは海に引き込まれそうになった。

それからうんともすんとも魚は動かず根競べになった。底の穴へ潜ったのだ。

おそらく大型のハタの類だろう。

それからウキウキわくわくしながらいくら待っても魚は出て来なかった。

業を煮やしたじいさんが吼えた。

「潜って引きずり出して来なさい!」。

全員目が・・テンになってしまった。磯ならともかく、船釣りで潜って海底の穴から魚を引き出すなんて野蛮な話は聞いた事がない。

潜って調べて来いと言うのでさえ野蛮なのだ、風情も楽しみもないではないか。

子供みたいでどうしても大物があきらめ切れないのだ。

「ここ・・25mありますけど・・今日はタンクも積んでないし」。

そう言うとじいさんは・・

「お前なら行けるだろうが!」

昨日怪我をした伊藤支配人のほうを見ると、黙ってあごをしゃくりながら「行け行け・・」と合図している。

秘書の山下女史は・・

「そんなバカなこと、やめたほうがいいだに~!」と遠州弁丸出しで制止する。

そしてじいさんをなだめはじめた。

じいさんは何故かこの女性秘書には滅法弱い。

御茶ノ水女子大を首席で出たらしいがパチンコが大好きなのだ。

じいさんは口惜しそうな顔をしている。

「行ってきますから待っていてください」と言うと、じいさんの目が輝いた。

普通のパンツ一枚に非常用水中メガネだけしかなく、足ヒレも積んではいなかった。

じいさんが船から箱メガネで見守る中、一気に海底へと向かった。

さすがに足ヒレがないと25mはキツイが、じいさんが海面から見ているのでごまかしはきかない。

釣り糸は岩の亀裂に入っていたので覗き込んだ。

深いせいか穴は薄暗く、目が慣れるとそこには巨大なクエがえらを張って頑張っているのが見えた。手が届きそうな場所ではない。

肺活量は6千あったが、さすがに苦しくなり浮上してじいさんに報告した。

「こ~んなデカイクエが、こ~んなにエラを張って穴の奥で頑張っています、ありゃ出せません」

と身ぶり手ぶりで言うと、じいさんは「そうか・・そんなデカイか?」と満足そうにうなずいてあきらめた。

「もう一度行って引きずり出せ、あきらめるな~!」・・とは言わなかった

そしてハサミで釣り糸をガチョンと切った。心はやはり広いのだ。

勝負あったと判断、そして、釣れなかったが大物に満足していた。

「残念~!」を連発しながらも顔はニコニコしていたのだ。

少しだけまたじいさんが好きになった。

言い出すことは奇抜だが、道理には適ってストレートだ。

じいさんは「海に入ったついでだから、岸まで泳いで夜光貝を獲って来なさい、今夜食べたいよ」と言うのでまた海へ飛び込んだ。

開放感で調子に乗って、クロールや背泳をやっていたら山下女史が喜んだ。

「上手ね~!」と。

トンボ返りや、足を出してシンクロまでやったら・・じいさんがまた・・

「バカなことやっていないで早く行きなさい!」と無粋な言葉を投げてきた。

魚を引きずり出しに潜るほうが余程バカなことなのだが・・・