東シナ海流1 トカラ列島 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

ブリッジを出てデッキで煙草に火をつけた。

海は珍しく凪いでいる。

一直線の白い航跡の彼方にはかすかに島影が見える。


やがて右前方に火山島が見えてきた。

わずかに緑は見えるが、海岸線の溶岩の跡が生々しく、噴煙を上げ、島全体が原始の雰囲気を漂わせている。

ここは東シナ海の真只中、トカラ列島だ。


奄美大島と屋久島の間に位置し、黒潮本流の中に島が点在し、火山活動も盛んで海底からも硫黄が吹き出ている。

日本列島最後の秘境と言われ、「トカラ」とは沖縄、奄美地方で沖の海原を意味する「トハラ」から派生したと言われている。

一年中風が強く海が穏やかな日は少ない。

通常でも風速10m近く、台湾坊主と呼ばれる低気圧では15から20m、冬の低気圧は25mの嵐になる。

台風銀座とも呼ばれ、その猛威は凄まじく想像を絶するものがある。風を遮るものが何もないのだ。

たとえ無風であっても離れたところで風が強いとあっと言う間に巨大なうねりに襲われる。


いつもは真っ白な波しぶきの中を、ドスンドスンという衝撃とともに航行、デッキでは顔にかかったしぶきを舐めるのが恒例になっていた。

荒れた海もそれなりに闘志が湧いてはくるが、船乗りにとっては穏やかな海のほうが快適に決まっている。


ここでは本土沿岸と違って船影を見ることはなく、何かあってもすぐに助けを呼ぶことが出来ない。

鹿児島、枕崎港までは160マイル、約300キロあり、この船で8時間はかかる。母港の屋久島までは6時間だ。

全て自分自身の力だけで切り抜けていかなければならない。

屋久島から奄美まで、避難港は中ノ島だけで、あとは港と言えるようなものではなかった。通船、つまりはしけ作業だ。

連絡線が沖に錨泊すると山から小船を下ろし、島民全員で生活物資の荷揚げ作業をするのだ。国内にはそんな島はない。


トカラ列島は正式には鹿児島県鹿児島郡十島村で、有人7島、無人5島の島からなっている。

国内には多くの島があるが、ここは行政上の区分で「最高僻地5級」に当たる。

言わば日本一厳しい島であり、また自然が残されている島といっても過言ではないだろう。

人が住んでいる島は北から、口之島、中之島、平島、諏訪瀬島、悪石島、小宝島、宝島で、それぞれ数十人から百数十人の人が住み、合わせて千人に満たない。


宝島はその名の通り伝説の島。昔、イギリスの海賊キャプテン・キッドが財宝を隠したと言われ、国内外から多くの探検家、賞金稼ぎが訪れた。

スティーブンスンの小説「宝島」のモデルにもなった島で、亜熱帯植物が生い茂り、何とも冒険心を掻き立てる。

昔、このトカラで多くの船が難破し、東シナ海の藻屑となった。

当時の船乗り達にとって、この海域は魔の海そのものだったろう。

しかしこの東シナ海がたまらなく好きだ。


小学校は「宝島」高校では「冒険への航海」を貪り読んだ。

大西洋の真中にある、怪物の住む魔の海サルガッソー海は、夢の中にまで出てきて冒険心を掻き立てた。

26歳になった今こうして秘境の海を旅している。船長として、またダイバーとして。


これからどんな物語が始まるのだろう。考えるだけで血が騒いで来る。

まったく音の無い世界に、ドドドドッとパワフルなエンジン音だけが響き渡り、諏訪之瀬島の勇姿が遠ざかって行く。


1年前までこの島に住んでいた。

わずか1年で10年分のエネルギーを使い果たしたような気がする。

とてつもなく面白く、怖く、悲しい1年間だった。


船長ではあるが、まだサラリーマン生活3年目だ。