数学的自然農法の面白さ | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

今の農業は野菜ごとに場所を決めローテーションを組んでいる。同じ場所でせいぜい年に3種類。生産計画も計算も簡単、人が働く時期も限られている。労力は収穫よりも生産管理のほうがはるかに比率が高い。うねをハードル競技のレーンに例えるなら、最初の走者が走り終わってからコース整備 そして次の走者へと・・・

数学農法は必ずしも走り終わってからスタートさせるわけでもないし、先にスタートしたものが先にゴールするとは限らない。5人同時にスタートさせるとすれば、速いものは先にハードルを越える。1人ハミ出て一人コケて、残り3人誰がハードルを先に飛ぶか喧嘩になり強いものが先に飛ぶ。それが飛ぶと次が飛び、最後にコケて追いついたものが悠々と飛び越える。3秒おきに次々に5人づつスタートさせれば、多い時はレーンは人で溢れ、はみ出してしまう。本来ならとっくにゴールしなければならないものがずっこけて3回遅れでゴールと言うこともあり得る。しかし伸び伸びとゆったりしたレーンを走れるかも知れない。野菜で言うならとっくに収穫されているはずのニンジンが競争に負けて光も当たらず一月遅れで収穫できることになる。従来の農法なら間引かれて捨てられるものが寿命をまっとう出来る。表土を自然界の草と同じくらいの密度で野菜を作り、限界まで大きくする。そこで商品として間引き、次の代へゆずる。そうして10cm四方から何本も生えてくる。そのようにうまくかみ合わせれば365日同じようなペースで収穫出来る。正常なサラダ菜1個分のスペースを20cm四方とすると、サラダ菜1個百円なら、間引き葉4本百円、3本百円、2本百円、最後は1本百円と次々に間引いてゆく。60粒の種があれば20倍の生産高がある。もっとも間引くのはサラダ菜だけではなくほうれん草でも良い。この農法の特徴はスタート時も収穫時も表土は青々としていることだ。それが自然界と同じで無理がないということではないだろうか。雑草だって刈っても抜いても尽きることなく生え続ける。その場で循環するから栄養分がなくなり絶える事などはない。何年も種のまま山の中の日陰で耐えて日が当たった時から芽を出す種も多い。草むらを見れば、根元から別種の芽が常に出ている。それが負けずに育つかどうかだけだ。環境が変われば水を得たように成長を続ける、それが植物の強さだ。そうすれば野菜もたくましく勝手に育つ。足元の小宇宙・・森羅万象に逆らうことなく、よく観察すれば人間らしい農業が出来る。野菜だらけだと草も肩身が狭いのか、遠慮がちに生えてくるから、たまにカットするくらいでたいしてやることもない。ただ草がなければ、搾取だけでは循環は出来ない。