洋上アルプス 屋久島の魅力 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

25歳から28歳までの3年半、屋久島に住んでいた。

今では世界遺産となり急激に注目を集めるようになったが当時は過疎化が進みつつあった。

住んでいる時はまさか世界遺産になるような恐れ多い島とは露とも思わなかった。


鹿児島から沖縄まで南西諸島の4つの島に住んだが、屋久島が一番住み心地が良くて随分癒された。

屋久島の良さはたくさんあるが、一番の理由はやはり水だろう。

水が冷たくて美味しく、山道の至る所から湧き出てすべて飲んでいた。

つまり山登りに水筒がいらないのだ。


洋上アルプスと言われるくらい九州高峰山の上位2番目までが周囲130キロの屋久島に集中している。

車で一周すると今は2時間らしいが、当時は道が狭く、舗装整備もされてなくて4時間かかっていた。

住民は人二万、猿二万、鹿二万と言われる珍妙な島だった。

さらに釣りなどの海が目的の客二万、植物など山が目的の客二万・・・と続いていた。


この狭い島に沖縄から北海道までの気候、亜熱帯、温帯、亜寒帯が凝縮され、家の庭には島バナナ、竜眼が実り、ハイビスカス、ブーゲンビリアが年中咲き乱れていた。

バナナはとにかく旨かった。


雨量は日本一らしいが、雨が多いとは感じなかったし気候もカラッとしていた。

一回に降る量が多く、ひどいスコールは車がまったく走れず止まっていた。

東シナ海の雨雲が絶壁みたいな山に当たり、バケツをひっくり返したような雨になる。

冬場、1週間じめじめした天気の時、車で二時間の裏側へ回ると1週間雨が降らず砂埃が舞っていたと言う記憶もある。


平野がなくて高峰から一気に雪解け水が海に流れ込むので河口は夏でも驚くほど冷たく、ウェットスーツなしでは川に入れない。

鮎がうじゃうじゃいたが、屋久島の人は鮎を食べずにゴマサバの刺身ばかり毎日食べていた。

本土と違い、このゴマサバがマグロのトロ並みに旨くて、刺身用の首を折って血抜きした首折りサバが一本千円近かった。


鮎の漁業権もないので秋は鮎が獲り放題だった。

ただし鮎が生息できる川の長さは極端に短かく、せいぜい海から2百メートルくらいでそれからは山が切り立っている。


石鹸の泡が立たないくらいミネラル豊富な硬水で透明度が非常に高く、地元の人は屋久島の水は日本一と自慢していたがその通りだと思った。

アラブから石油を運んできたタンカーが、帰りに屋久島の水を積んで帰ると言う話もあったと言う。


その豊かな水が屋久島の植物を支えてきた。

日本の植物の7割以上が集まり、世界で屋久島だけに生息する固有種は40種と言うところから「東洋のガラパゴス」とも言われるらしいが、当時はまったく聞いたことがなかった。


最大の漁港一湊港にヤマハの船舶基地があったが、永田にある施設も兼務だったので永田に住んでいた。

歩いてすぐの壮大な白浜は海亀の産卵場になっていた。

キャンプファイヤーで大勢の子供達と話をしていて歓声があがった。

足元から小亀がぞろぞろ這い出して一斉に海に向かって歩き始めた。

あまりに感動的で子供達は大喜びだ。


海の透明度は高く数十メートルはあり、素潜りではなかなか底に到達しない。

やはり屋久島の魅力は壮大な原始の山と海が同時に味わえると言う事だろう。

そう思うと世界遺産にふさわしいようだ。