トカラの海賊と呼ばれて | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

東シナ海を走り回っていた頃、海賊・・と呼ばれた時期があった。


瀬渡し船の船長で、鹿児島から奄美の海域を縦横無尽に航行していた。

不定期航路で、依頼があってお金を積めば行った事ない島でも何処でも泊りがけで行った。

時には法定海域を無視して秘境まで・・「海に国境はない」それが信条だった。


未知の海域にはロマンがあり、前夜は気持ちが高揚する。

鹿児島から奄美の間は黒潮本流が流れ、沖縄本島の珊瑚礁の海とは比べ物にならないくらい荒い。

点在する火山島はトカラ列島と呼ばれた。

トカラは広い海原トハラから出た言葉、つまり広大な海原の火を噴く島々だ。

活火山が噴火すれば船から空を飛ぶ大きな岩が見える。

台風にも耐える避難港は一つしかなく船は滅多に通らない、つまり救助が絶望的な海域だ。

島民は平均数十人で国内の最高僻地だ。


波が尋常ではないから普通の港の構造ではもたない。

中ノ島、諏訪瀬島、悪石島、口之島、平島、宝島、小宝島、無人島のガジャ島、小ガジャ、ニヨン・・・という岩だらけの難所で船の墓場もある。

宝島はキャプテンキッドが宝を隠したと言われ、本のモデルにもなり、宝探しも押し寄せた伝説の島だ。


鹿児島寄りの屋久島、口之永良部島、鬼界ヶ島、黒島、竹島、無人岩礁の宇治群島、草垣群島、男女群島まで「縄張り」だった。

基地は屋久島だったり枕崎港だったりした。

通常は単独航行だが、時には3隻の船団で三日がかりの遠征もした。

26歳で船団長だったが、気象図とにらめっこ、無事に帰れると確信しない限り出航は中止した。


冬のシケの中、毎晩夜中の二時に40日間通しで硫黄島に向けて出航した事もある。

夕方帰港して10時に寝て夜中1時に起きる日が続いた。

まだ暗い海は平均波高3mで潜水艦と変わりない。

乗組員は過労で目を真っ赤にして1週間で交代したが、船長の変わりがなくて自分だけぶっ通しだった。

残業手当などはなかったが、深夜航海は月に150時間、昼間も通しだった。

上陸した島民から、乗員がくたびれて船長がピンピンしているので、人使いが荒いとよく言われた。


船のエンジンは強力なGM製で、水中排気なら静かだが空中排気だから轟音を響かせる。

岩で囲まれた絶壁の港に早朝入港すると音が響き渡り皆飛び起きてしまうので遠慮した。

神出鬼没で行く先も不定期、神のみぞ知る・・。

広域の磯を釣りまくり、また潜るので「海賊船」「海賊船長」と呼ばれるようになった。

別に嫌われていたわけではなく、むしろ、「よう こんなちっこい船でこの海を・・」と、島の人は温かく迎えてくれていた。

船はまあ大きかったのだが、トカラを航行するには小さすぎた。


あまり海賊・・と言われるものだから名刺もそのようにした。

自分でデザイン、船舶課十五人全員にも強制して使わせた。

表は正常だが裏は全面海図、サメや魚のイラストもあり、極めつけは「ドクロの海賊旗」。

皆、目がテンになり「本当にこれ・・使って問題にならないですか・・それにガイコツが・・」と不安顔。

上場企業だから規律は確かにうるさく名刺は本社の許可がいる。

「バカタレ、ガイコツも愛嬌、海であんな無粋な名刺が使えるか、こっちのほうが余程ロマンチック、壮大な夢を売るのが俺らの仕事」。

結局「おだまり!」の一言で決定。

だいたい・・裏さえ見なければ本社のボンクラにバレるはずがない・・・・穏やかな海が最高に決まっているが、荒れた海もそれなりに闘志が湧き、そのうちに波しぶきも快感になってくる。考え方次第で海は楽しいものだ。


現在地と目的地までの距離がわかる名刺は客には好評で、ゲロ吐きながらも名刺を見て到着に希望を抱いていた。