コロナ禍による休校措置を契機に学校の授業のデジタル化(例えばオンライン授業の実施など)が話題になりました。
大学はもとより、小中学校においても一部オンライン授業やパソコンを使った情報の伝達などの試みが行われたようです。
「すわ、今、教育のDXを加速させなければ日本は人財育成で世界の潮流から遅れを取ってしまう。」という内容の記事?がマスコミ等に取り上げられました。政府は2020年度中にパソコンの一人一台配布を目標とすることにしたらしいですが、主要市区の8割は年内の完了は困難らしいです。(2020年8月4日付け日経新聞の記事「Deep Insight」による)
公立学校におけるオンライン授業の推進には学校現場サイドには慎重意見もあるとのことです。いわく、「教育の機会の不公平を招く」とか「血の通った指導ができるか不安」などの教師側の懸念材料が上げられているようですが、生徒側の意見、気持ちはどうなんでしょうか?
私は、個人的にはオンライン推進賛成派です。いまから50年前の話をしてもしかたがないと言われるかもしれませんが、自分が小中学生の頃の授業はけっこう退屈でした。先生が教科書に添って説明し、ポイントを板書するのを書き写したりしていた記憶はありますが、ほとんどの時間は集中力が続かず、45分授業の大半は他のこと(遊びのこと、空想世界のこと)を考えていたような気がします。
先生の説明もあまり上手でなかったような気がします。よく、「誰々先生のおかげで英語が好きになりました。」「数学が分かるようになりました」というエピソードを有名人がTVなどで語ることがありますが、私に限って言えば、そんなことはまったくありませんでした。
子供ごころに「勉強は自分自身でやるもので、人から教えられても身に付きはしない」と勝手に得心していました。
なぜ、そう思ったのかはよくわかりません。親がそういう考えの人だったのかもしれません。
振り返ってみると私の当時の知識の源泉は、ほぼすべてがマンガからでした。科学や宇宙、医学、哲学的なことは主に手塚治虫から、中国史、日本の歴史は横山光輝から、化学や物理の知識は忍者マンガの白戸三平、SFマンガの石ノ森章太郎からという具合です。
スポーツ(主に野球)に関することは巨人の星や明日のジョー(梶原一騎)からいろいろな知識を得ました。
日曜日に市中の本屋を3~4件はしごして立ち読みし、気が付いたら8時間も立ち読みしていたことがありました。
まんがのおかげで私は当時、クラスの雑学王であり、同世代の中では知識量は多かったような気がします。
不思議なことにマンガから得るいろいろな分野の知識は本当にすんなり自分の中に浸透してきて、どんどん賢くなっていくような錯覚に陥ったものです。(後で誤った知識もいくつか確認されたこともありましたが、それもまた良しとしたいです。)
DX化には単なるオンライン授業の推進だけでなく、飛び級のようなものを含めた教育制度の抜本的な改革も併せて検討してほしいです。
皆がひとつの教室で先生の授業を受けながら同じスピードで進んでいくことにいまや社会的メリットを感じる人はいない(のは言い過ぎ?)のではないでしょうか?
ひとり一人の理解度、性格の違いによる反応などを勘案し、それぞれの個性を殺さぬよう配慮しながら、人財育成を進めて行く。
テクノロジーの発展でそれらができるような環境は整いつつあります。
日本の教育のDX化はいまこそ加速してほしいと思います。