このように、責任なき放漫財政を進め、対中強硬派・保守強硬派の高市政権が誕生した事で日本の国家破産・ハイパーインフレが早まり、また、中国による他国侵逼がにわかに現実味を帯びてきた事も、全ては仏法より事起こるの大罰であります。
700年前の日本は、日蓮大聖人を流罪・死罪に処し奉った。
それより700年経っても、今だに日本一同は日蓮大聖人に背き続けている。
何より、一国を諌めるべき正系門家は国立戒壇の御遺命を擲ち、ことに学会は極限の大謗法を犯したのみならず未曾有の邪強化に陥るという三大謗法を犯し奉っている。
どうして諸天怒りをなさぬ道理がありましょうか。
この中国による他国侵逼は諸天の責めであれば、日本がいかにアメリカに取り入り、言われるがままに軍備拡張に舵を切り、国の総力を挙げて重武装して国防の最善を尽くすとも、日蓮大聖人の仏法を立てない以上、すなわち、国立戒壇を建立して諸天の守護を得ない限り、日本は必ず侵略を受けるのであります。
ゆえに『撰時抄』には
「設い五天のつわものを集めて、鉄囲山を城とせりとも叶うべからず。
必ず日本国の一切衆生兵難に遭うべし」と。
そこに今こそ「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」の重大聖語を全日本人に知らしめ「日蓮大聖人こそ日本の柱であられる」事を教えなければいけない。
この目まぐるしいまでの客観情勢の変化、この諸天のテンポの治罰の早さを見るほどに、広布の決戦場第7年の明年がどれほどの激動となるか想像すらつかない。
それだけに「急ぎ三百万を成し、第三度の一国諌暁に立たせて頂かん」との決意が腹の底から突き上げてまいります。
されば、本年の総仕上げにして明年の助走の月たる12月、一切の油断を排して二大綱目を強力に推進し、大事の明年の戦いを見つめた油断なき前進を成してまいろうではありませんか。