「又『身軽法重・死身弘法』とのべて候えば、身は軽ければ人は打ちはり悪むとも、法は重ければ必ず弘まるべし。法華経弘まるならば死かばね還って重くなるべし。かばね重くなるならば此のかばねは利生あるべし。利生あるならば今の八幡大菩薩といはゝるゝやうにいはうべし。其の時は日蓮を供養せる男女は武内・若宮なんどのようにあがめらるべしとおぼしめせ」
これは、未来広宣流布の御確信をお示しになられた一段であります。
「身軽法重・死身弘法」と述べる。これは、章安の釈にこういう事があるんですね。
「身は軽く、法は重し、身を死して法を弘む」という事が章安の釈にある。
ゆえに「たとえ大聖人の身は軽いという事で軽賎しで杖で打ったり刀で切ったりと憎む事があろとも法が重ければ必ず弘まるのである」と仰せになっておられる。
これは、御在世の者だけではなく今でもそうですが「雖近而不見」という言葉がある。
この国に御本仏が御出現されて眼前にあっても凡夫はそれが分からない。ゆえに人を軽んずる。
しかし、時来れば必ず最大深秘の大法は弘まる。これは誰人も否定できないというんです。
権実・本迹・種脱ですよ。最大深秘の大法はもう誰人も否定できないから法が重ければ必ず弘まるのである。
もしこの御本尊が弘まるのならば屍がかえって重くなる。すなわち、大聖人の御存在の重きは一国に輝くのである。
御存在の重きがすなわち「屍の重き」という御表現であります。
そして、御存在が重くなるならば日本一同が大聖人を信じ奉り南無妙法蓮華経と唱える。
そして「大利益がある」という事が分かってくる。
「大利益がある」という事が分かるならば大聖人様を今日本国中が八幡大菩薩をもてはやすように尊敬して崇めるであろう。
広宣流布の時には大聖人を供養してきた男女というものは武内・若宮などのごとくにみんな国中が尊敬するであろうというんです。本当ですね。
広宣流布になったら、大聖人様の御在世にお仕えしたあの四条殿・上野殿・日妙殿はみんな「何と偉い方々だ」「久遠元初の御本仏に直接お仕えした方々だ」と口々に御在世の弟子・檀那の方々を讃嘆するだろうし、教科書にも必ず載りますね。
この事を大聖人様が「必ず広宣流布になれば今大聖人を供養し奉るその弟子・檀那一同もまたことごとく人々から尊敬されるのである」という事を仰せになっておられるわけであります。
私達も今広宣流布の前夜において折伏すればあっちこっちからいろいろな悪口を言われますけれども、楽しみにしていて下さい。
広宣流布になれば、今度は本当に一般の人達は「私も広宣流布以前に御奉公したかった」「折伏をしたかった」なんて言うに違いないんですね。
もう今どこで折伏しようとしても周りには逆縁の者はいない。そんな御奉公はできない。
「あなたは良い時に生まれて、良い時に御奉公したわね」なんていう事を必ず言うから、今のうちにうんと折伏をしておく事であります。
どんな悪口を言われようとも、そんな事は広宣流布になれば悪口はかえって尊敬となるという事を確信すべきであります。
平成14年 4月5日 『乙御前御消息』御書講義
- 説明
- 日妙殿のただならぬ宿縁
- 『乙御前御消息』の大意
- 蒙古襲来に怯える日本国一同の姿
- 戦いは長の一念によって決まる
- 日妙殿の健気なる信心
- 強き信心に立つ者は必ず守られる
- 同生天・同名天の存在
- 日蓮大聖人の強き御一念により諸天が守る姿
- 蒙古襲来と逆縁の広宣流布
- 日蓮大聖人の大慈大悲・絶大威徳で広宣流布は成る
- 仏様を命かけてお守りする者は必ず守られる
- 信心で積んだ功徳は決して壊れない
- 仏法に背く者の罰の姿
- 広宣流布は大地を的として必ず成る
- 広宣流布は急ぐ旅である
- 日妙殿・乙御前を守らんとする日蓮大聖人の大慈大悲
