しょう問答もんどうしょう』にたまわく


 なんじただしょうもっさきとすべし。べっして、ひとおおきをもっもととすることなかれ。



 只今ただいましょは、文永5年、だいしょうにんさまが47歳の御時おんときちょじゅつであります。
 『しょう問答もんどうしょう』というこの題号だいごうしめされるごとく、しょうにんにんとの問答もんどうたいをもって全編ぜんぺんしめされております。
 「しょう」の「しょう」というのは「しょうにん」の「しょう」、「」というのは「しゃ」の「」であります。
 すなわち「しょうにんにんとの質問しつもんと答え(いわゆるQ&Aですね)」というその問答もんどうたいをもって「全編ぜんぺん仏法ぶっぽうどうしめし下さる」ということであります。
 でこの「しゃ」は「念仏ねんぶつ真言しんごんぜん律等りつとうごんしゅうにこだわる者である」と。
 これが一つ一つ「念仏ねんぶつはなぜ悪いんだ」「真言しんごんはなぜ悪いんだ」ということしょうにんに問いたてまつる。
 それに対して、しょうにんがそのあやまりを懇切こんせつしめされる。
 あやまりをしめされたのちに、最後に

末法まっぽうにおける時にかなった修行というのは、ただ南無なむみょう法蓮ほうれんきょうと唱え、しゃくぶくを行ずることなのである」

ということをもって結論けつろんとされているという所であります。

 で、只今ただいま冒頭に拝読はいどくいたしましたもんはどこに出てくるかと申しますると、中頃なかごろにこういうにん質問しつもんがあるんですね。

 「念仏ねんぶつ真言しんごんぜん律等りつとうちがっているというそのどうはわかりました。
 ただし、世の中を見るに、かみいちにんより下万民しもばんみんいたるまでほんこくちゅう念仏ねんぶつ真言しんごん等をしんじている。そして、ぶんの親もせんも、ぶんつかえる主君しゅくんも、皆念仏ねんぶつしんじてる。
 その中で、ぶんがそれらの物を捨てて、法華ほけきょうしん南無なむみょう法蓮ほうれんきょうと唱えることが親にそむこうになるんではないか。主君しゅくんそむちゅうになるんではないか」

ということにおいてしょうにん質問しつもんを発するというところなのですね。
 これが大勢おおぜいの者がやってることにどうしても心が引かれる」という人間にんげんよわさ、これを表わした質問しつもんなのですね。
 「それに対してだいしょうにんさまが答えあそばした」という所が只今ただいまもんであります。

 「なんじただしょうもっさきとすべし。べっして、ひとおおきをもっもととすることなかれ」と。

 「しょうというのは「ただしいどう」です。

 「なんじは、ただしいどうもととしなさい」と。

 すなわち

ただしいどうがそこにあるかないか。それこそがじゅうだいなのである。人の多い方がただしいなどとおもってはいけない」

ということしめし下されているのであります。


平成21年 4月5日 浅井先生指導