「抑一人の盲目をあけて候わん功徳すら申すばかりなし、況んや日本国の一切衆生の眼をあけて候わん功徳をや。何に況んや一閻浮提四天下の人の眼のしゐたるをあけて候わんをや。法華経の第四に云く『仏滅度の後に能く其の義を解せんば、是れ諸の天人・世間の眼なり』等云云。法華経を持つ人は一切世間の天人の眼なりと説かれて候。日本国の人の日蓮をあだみ候は、一切世間の天人の眼をくじる人なり。されば天もいかり日々に天変あり、地もいかり月々に地夭かさなる。
乃至、日蓮が身の賤しきについて巧言を捨てゝ候故に、国既に亡びんとするかなしさよ。又日蓮を不便と申しぬる弟子どもをも、たすけがたからん事こそなげかしくは覚え候へ。
いかなる事も出来候わば、是れへ御わたりあるべし。見奉らん。山中にて共にうえ死にし候わん。又乙御前こそおとなしくなりて候らめ。いかにさかしく候らん。又々申すべし。
八月四日 日蓮 御判
乙御前へ」
これは、結びの一節ですね。日蓮大聖人の大恩徳を明かされると共に、大聖人に背く日本国を悲しみ給う一段であります。
という事は「早く広宣流布をせよ」との御命令であるという事を私は拝しております。
大聖人様の御徳がいかなるものか、そもそも、たった一人の目の見えない人の目を開けてやるという事の功徳は大変なものでしょう。
盲目を開けてあげる事は一人でも大変な功徳である。
いかにいわんや、日本国中の一切の眼を開けてあげる功徳、全世界四天下の人々の目が見えないというのを開けてやる功徳をや。
大聖人様が「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までも流るべし。日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳有り」という事を仰せになっておられる。
ですから、お題目を唱えさせるという事は取りも直さず盲目を開くんでしょ。
三毒充満でせっかく人間として生まれてきても、仏になるという道が分からない。成仏という最高の崩れない幸福を得る方法が分からない。
それを分からせて成仏の道を開かせてあげるという事が「目を開けた」という事なんでしょう。
ですから、お題目を唱えさせるという事は目を開けさせるという事である。仏となる道を見させる事である。
これが一人を救っても大変な事である。いわんや日本国中、いかにいわんや全世界の人類を救う功徳をや。
これが大聖人様が「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までも流るべし。日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳有り」と仰せになった事、この大恩徳が大聖人にましますという事であります。
その証明として法華経には「仏の滅後によく其の義を解せん」という事がある。「文底下種の大法を弘める人」という事です。
その人はこれ諸々の天上界・人間界の世間の眼であると法華経にはある。
この事を大聖人様は「この御本尊を持つ人は一切世間の天上界・人間界の眼である」「全人類の眼である」とこう仰せられている。
今日本国の大聖人を怨んで流罪・死罪にし奉るという事は、この一切世間の天人の眼をくじるものである。
大聖人様を流罪・死罪に遭わせる事は全人類の眼をくじる事と同じ事になってしまう。
されば、その大悪に対して諸天も怒り日々に天変があり、地も怒り月々に地夭重なる。
そして、大聖人の身の賎しきについてという事は自ら「皇室に連なる生まれでもなければ摂政・関白の出でもなく旃陀羅の子である」とおっしゃる。
巧言という事は国を救う正しい言葉でしょう。
「三大秘法を用いよ」というこの正しいお言葉を巧言という。
その立正安国のお言葉を身分の賎しきにつけて捨てるゆえにこの日本国がすでに亡びんとする悲しさよ。
また、大聖人様が佐渡に流罪になった時にこざかしくも批判した弟子達が罪の深さから現身に罪を滅する事が難しいであろう。
「たすけがたからん事こそなげかしくは覚え候へ」と仰せになっておられる。
これは、広宣流布の時に全ての事は解決するわけであります。
ですから「国既に亡びんとするかなしさよ」という事が広宣流布するまで門下の私達が持つべき憂いであります。
そして、今いよいよその最終段階に来ているわけであります。
平成14年 4月5日 『乙御前御消息』御書講義
- 説明
- 日妙殿のただならぬ宿縁
- 『乙御前御消息』の大意
- 蒙古襲来に怯える日本国一同の姿
- 戦いは長の一念によって決まる
- 日妙殿の健気なる信心
- 強き信心に立つ者は必ず守られる
- 同生天・同名天の存在
- 日蓮大聖人の強き御一念により諸天が守る姿
- 蒙古襲来と逆縁の広宣流布
- 日蓮大聖人の大慈大悲・絶大威徳で広宣流布は成る
- 仏様を命かけてお守りする者は必ず守られる
- 信心で積んだ功徳は決して壊れない
- 仏法に背く者の罰の姿
- 広宣流布は大地を的として必ず成る
- 広宣流布は急ぐ旅である
- 日妙殿・乙御前を守らんとする日蓮大聖人の大慈大悲
