人間にんげんは、ぼんというのはどうしても大勢おおぜいのやっている所にられていくんですね。
 あの学校のいじめを見てもそうですが、いじめられるのはひとであります。
 そして大勢おおぜいでいじめる。それがどんなにむごことであり悪いことであっても、みんながいじめてるとそっちについちゃうんですね。
 これが、人間にんげんよわい心で、その時にどうを先として「いじめはいけない」ということはなかなかえない。
 そのように、この邪法じゃほうをみんながしんじている時にはそれにみんながきずられていく。
 この「大勢たいせいじゅんのうしゅ」というのはぼんつねですね。どうを先としない。
 だから今のせいがそうでしょう。これは「たいしゅう迎合げいごうしゅ」なんてわれておりまするが、政策せいさくは「こっのため」というようなこときにするんですね。
 「明日のにっぽんのためにどういう政策せいさくがいいか」なんていうことは二の次、三の次でかんがえもしない。
 そして「ぶんたちけん保持ほじする」「政権せいけん維持いじする」このことのためにあまことだけって国民こくみんだます。大勢おおぜいの心を取る。そういうことが「たいしゅう迎合げいごうしゅ」ですがまさしくそうでしょう。
 あの「定額ていがくきゅうきん」なんていうのがそうですが、あれは公明党こうめいとうが「次の選挙せんきょに有利にしよう」というんでふくさんに対してけた。
 ふくさんはそのくつじょくに耐えかねてしちゃったんですね。
 要するに「やりたくないことをやらせるということくつじょくだ」といって、実はあの人はそれが一番の大元おおもとでもってしちゃったわけでありまするが、今になってみて、あの定額ていがくきゅうきんというのはみんなひょうばんが悪いでしょう。
 それから「2千円でもって高速こうそくどうが通れる」とかみんなこれは「ほたる来い。こっちの水はあまいぞ」なんていう国民こくみんあまい事ばかりとうとうっては、これは国のためをかんがえないんですね。
 ですから、今の定額ていがくきゅうきんにしろ何にしろ、それから「新年しんねんさんが決まった」と。
 その途端に今度は「だい二次にじせい」だといって今度は「10兆円を超えるんだ」そして「けいを良くするんだ」といかにも国民こくみんのためをおもってるようでありまするが、明日のしゃっきんはどうなんですか。
 国民こくみんあまことってこっ全体がさんしたらばその時にくるしむのは国民こくみんなんですが、こっさんなんていうのは「国民こくみんしょうらいくるしめばいいんだ」「今ぶんたち国民こくみんをだましてあまことっていっぴょうでももらえばいいんだ」とこういうことなんです。
 で、マスコミもテレビなんかもみんなこれもまたたいしゅう迎合げいごうでもってちょうりつだけが目的もくてきなんでしょう。
 だから、低俗ていぞくになってきた。番組ばんぐみぜんもう低悪ていあくっていうんですかね、俗悪ぞくあくっていうんですか、そんな内容ないようになってきた。
 テレビの出た頃(ちょうど力道山りきどうざんからチョップでもってテレビをにぎわせて、テレビのきゅうした初めの頃でありまするが)おお荘一そういちという評論家がいまして(今くなりましたけれども)こうっておったんです。
 「このテレビは、一億いちおくそうはく痴化ちかにするんだ。国民こくみんぜん馬鹿ばかにするどうである」とった。
 本当にそうなったですね。テレビを見てみんな馬鹿ばかになってきた。
 どうですか、今テレビでもって、あのテレビしゃにしろ、新聞しんぶんしゃにしろ、ぶんたちでもって「筆の力でもってこっを」「国のために」なんていうかんがえ(「社会しゃかい木鐸ぼくたく」と昔はわれてましたけれども)、そのようなこつのあるしゃ一人いちにんもないでしょう。みんなせいことながし。警察けいさつちょうことながし。
 「しゃクラブ」というのがあるんですね。それには、だい新聞しんぶんしゃしかはいれない。あとの海外かいがいのメディアも、それからざっしゃも、フリーランスも誰もはいれない。
 お抱えのようしゃだけがくろりのじょう用車ようしゃに乗って、そしてみんな若いのがけつけては、報道ほうどうされることをそのままぜんやる。
 だから、だい新聞しんぶんぜん同じになっちゃってる。
 こういうことは、要するに「ちょうりつ万能ばんのう」というマスコミの姿すがたなのであります。


平成21年 4月5日 浅井先生指導