「いかに日蓮にちれんいのもうすともしんならば、れたるくちくるがごとくなるべし」

 「例えだいしょうにんさまがいかようにじょうきん殿どのを守らんとして祈るとも、もしじょう殿どの信心しんじんだんがあるならば、濡れたくちに火をけるようなものである」

 (昔はち石でもって鉄とこすり合わせて打って火を出しました。
 その出した火を「くち」とって綿わたのようなものにすんですね。
 その時、綿わたれておったら、いかにいしでもって火をかけても火はうつらない)

 このように「だいしょうにんさまがたとえ『じょう殿どのを何とかして守ろう』という祈りをしてくださるとも、信心しんじんだんがあったのではその時通じない」とおおせられる。

 「はげみをしてごうじょう信力しんりきだしたまうべし。ぎし存命ぞんめい不思議ふしぎおもはせたまへ。なにの兵法へいほうよりも法華ほけきょう兵法へいほうもちたまうべし」

 「先頃さきごろやみちによって命をまっとうできたということ。これを本当に不思議ふしぎだとおもわなければいけない。
 げいの力ではない。実に『本尊ほんぞんさましゅ諸天しょてんしゅである』ということを深くおもわなければいけない」

 ゆえに

「なにの兵法へいほうよりも法華ほけきょう兵法へいほうもちたまうべし」

「いかなる兵法へいほう、いかなるさくよりも、信心しんじん根本こんぽんとせよ。本尊ほんぞんしんずるこの心こそ最高の兵法へいほうなのである」

ということをお教えくだされているのであります。
 どうですか、このもんを拝しますとよーく分かるでしょう。私達ぼんというのはだんしがちなんですよ。そして、ことの起きた時に信心しんじんを忘れてしまうことがある。本尊ほんぞんを忘れてしまうことがある。
 そしてあせる心でもってさくにおぼれ「ああしよう、こうしよう」とさくにおぼれることがある。
 そういう時はこと絶対ぜったい解決かいけつはしない。
 「『どうなろうとこうなろうと、だいしょうにんさまにおまかせしよう』『例え命をうしなおうともだいしょうにんさましんじぬくのだ』このはらが固まりきった時にぜんと道がひらけてくる」ということをお教えくだされているのであります。

 明日は8月3日。顕正会の発足ほっそくの日ですね。
 私はこの発足ほっそくの時に『法華ほけきょうまさ兵法へいほうし』とこう題して講演こうえんいたしました。

 「顕正会は、小手こてさきざいは使わない。信心しんじん一筋ひとすじで行くのだ。だいしょうにんさまへのちゅうせいしんだけですすむんだ」

ということもうし述べたわけであります。
 これが、顕正会の一貫いっかんへん大精神だいせいしん。今にいたるまでの精神せいしんであります。
 創価学会はぼうりゃくばかり使ってるでしょう。
 顕正会に対することでも、顕正会の遺命ゆいめいしゅ、こういう広宣こうせん流布るふに向かって正しい前進ぜんしんをする者を、信心しんじんがなくなると怨嫉おんしつしてぼうりゃくばかりかまえてくるんですね。
 私は『それによって顕正会はきたえられてる』おもってむしろ有難ありがたいとおもっておりまするが。
 あるいは公明党こうめいとうを使って、政界せいかいでもぼうりゃくの限りですね。民党みんとうをもうついにメタメタにしてしまってくさらせてしまったでしょう。
 このようなぼうりゃくというのは一見いっけん智恵ちえのあるように見えますけれども、そんなものは何もならない。かえって自分の身を滅ぼすことになる。
 顕正会はぼうりゃくは使わない。ただだいしょうにんさまこころに叶うかどうか」その事だけを恐れて一筋ひとすじちゅうせいつらぬいていく。よって、不可思議ふかしぎなるしゅいただいていくんですね。
 そして、いよいよ広宣こうせん流布るふおおめになってまいりました。さいしゅう段階だんかいむかえてまいりました。
 このときこそ

「なにの兵法へいほうよりも法華ほけきょう兵法へいほうもちたまうべし」

このだいしょうにんさまおおせを胸にぜんたなければいけない。
 だいしょうにんさましゅいただけば、必ずだい広宣こうせん流布るふげられるのであります。


平成21年 8月2日 浅井先生指導