6,7月法戦、全顕正会で中盤としては空前の32,040名の大折伏が敢行された事に驚きと感激でいっぱいであります。
男子部におきましても、中盤としては過去最高の14,706名の証拠に表わせました事、全ては、大聖人様の御守護と先生が手を引いて下さったゆえと報恩感謝の念尽きぬものであります。
戦い切って臨ませて頂いた7月度総幹部会はまさに三百万に向けての全く新たな出陣式となった事に五体が打ち震えました。
御講演の最後に会長は、先生が保管されていた昨年の6,7月法戦の折伏成果の一覧表の余白に書かれた先生のメモの三百万の達成時期について「あと5年以内に為すべし」と記されていた事を明かして下さいました。
畏れながら、先生が手にされた最後の折伏成果一覧、そこに先生が三百万の達成時期を明記されていた事、その数ヶ月後に先生は御逝去され、それより会長は深重の師恩に一分でも報いんと昨年の最終法戦以来全ての法戦に過去空前の大折伏を展開され、その中、今1年の時を経て先生の逆算の御構想がメモを通して会長に託された不思議を拝しては、まさに大聖人様が、そして浅井先生がその御意思を継がれ、敢然と立たれる会長に下さった三百万への御命令と伏して拝し、魂が打ち震えました。
これを受けられた会長は
「私は先生が御決意された2028年(令和10年)までに三百万を断じて成し、第三度の一国諌暁に立たせて頂かんとお誓いする」
と叫ばれました。
何と荘厳で、何と麗しい師弟一体のお姿か。
かつての先生の
「2020年代の然るべき時に第三回目の一国諌暁の書を著わし、大聖人様に応え奉らんと決意している。
この時、顕正会の大総会を開催し、全顕正会の熱誠をもって大規模なる諌暁の戦いを起こしたい」
との大師子吼がここに脈々と会長に受け継がれている事を拝しては、震える大歓喜の中に「何としてもお役に立たせて頂きたい」と熱願せずにはおられませんでした。
ここに会長が4年後までの三百万を誓われた以上、いついかなる御命令下るともお応えし得る男子十万の力を早急につけてまいらねばとの焦りにも似た思いが湧き上がってまいります。
それだけに、この度陣列を固める肝心要の指導を頂けた有難さは言葉になりません。
会長は、かつて先生が日興上人の富士門流に錚々たる若手の人材が出て、本六・新六を中心に日本列島を覆う弘通をなされた事に寄せて
「広宣流布のテンポを早めるためには人材を見つけ、育て、抜擢する事に幹部は心を砕け。
人材の抜擢のない所に広布の前進は絶対にない」
と仰せ下さった事を教えて下さいました。
今日曜勤行を起点として新入信者や未活動者が続々と立ち上がってきておりますが、この日曜勤行にさらに大勢の人を参加させ、広布の人材を次々と輩出する事こそ男子十万の鍵と心するものであります。
また会長はこの7月に拝聴した『出世本懐成就御書』の冊子を8月中旬に出来して下さる事を明かされましたが、本講義は御遺命成就に戦わせて頂く私達にとって極めて重大なものであれば、男子部こそ改めて活字を通して心腑に染め、大聖人様に南無し奉る熱原のごとき信心でその御跡を慕う大機運を巻き起こしてまいらんと強く思うものであります。
この度会長は、原点の月8月にちなみ先生の大聖人様への大忠誠を示されました。
20代半ばに中島円妙院日彰上人から『六巻抄』の講義を頂いた先生の御確信が大聖人様の甚深の御境界の奥底・遠底を極められた日寛上人の「吾が祖の本懐掌に有るのみ」との御確信に等しかったものと拝察された会長のお言葉には命が震えました。
妙信講発足以前よりかかる御確信に立たれていたがゆえに先生は、宗門内で権勢を誇り「供養の訓練」などと称して無理な募金を繰り返し行う宗務役僧の末寺住職の道念なき本質をも鋭く見抜かれ、たとえ住職から妙信講の発足を妨害され、悪罵されようとも「愚人のざわめき」と一蹴され「小細工は必要ない。ただ信心で行けばいい。必ず道は開ける」との御確信で進まれ、ついには、宗門の将来を憂いておられた日淳上人より異例の講中認証を賜わった事を拝しては、畏敬の念でいっぱいとなりました。
その後、御遺命守護に立たれた先生は、途上細井日達に対し「妙信講は貧にして捧ぐべき財なく、ただし、一万の命をもって供養に代え」との御決意をしたためられ、死罪に等しい解散処分を被るとも
「解散させられても折伏はできる。御本尊をお下げしないのは宗務院が悪い。
だがそれを理由に折伏を怠れば妙信講の怠慢となる。
解散処分を受けても折伏を進める講中がたった一つだけあったという事を宗門の歴史に残そうではないか」
と師子吼された事をおうかがいしては、滂沱たる涙を抑えられませんでした。
この先生の大忠誠から確立された遥拝勤行の有難さ、何より、逆境をものともしない先生のお姿が佐渡御流罪という逆境中の逆境において重要なる教令を頻々と発せられた大聖人様と佐渡中を折伏せられた日興上人のお姿と重なっては、私達もまたいかなる時も師子王心に立ち、折伏で道を切り開いてまいらんと決意せずにはおれませんでした。
さらに会長は、先生のお姿の一つ一つが御金言そのままである事を指導下さいましたが、先生が指導下さった仰せのままの信心とはかくなるものかとひれ伏し、かかる先生の大忠誠の激闘を大聖人様の「偏に只事に非ず」と深く深く御感あそばされたであろう事を、今顕正会が日本国で唯一御本仏の御遺命を守り奉り、国立戒壇目指して戦う仏弟子の大集団となった大現証を拝しては、あふれる涙をどうする事もできませんでした。
ここに迎えた原点の月8月、先生が誇りとされた解散処分より50周年の大節にして先生の一周忌を目前に控え、その中「あと4年以内に三百万を成す」との重大指針を頂いては「これほどまでの仏法を得べき便りがかつてあったであろうか」「今やらずしていつ」との熱鉄の闘志が五体に充満するものであります。
されば男子部一同は、あと4年の限りある一回一回の法戦にいかなる困難出来するとも師子王の心を取り出だして乗り越え、三百万をさらに前倒しで達成できる大潮流をもって霊山よりお見守り下さる浅井先生に全員でお応えしてまいろうではありませんか。
令和6年 7月26日 7月度 総幹部会 浅井会長指導