最後に「力あらば一文一句たりとも語らせ給うべし」の力というのは仏法を学びつくして大学者になったら力ある者と言えるのか。とんでもない事ですよ。
御書を諳んじたって信心のない者が折伏ができますか。広宣流布が進められますか。そうではない。
「御本尊様は有難い」「大聖人様は何という偉大な仏様なのか」という感激こそ力なんですね。「有難い」との感激こそ力である。
ですから、この感激を仏法の原点とする。これが末法の下種仏法でしょう。
ですから「五十展転随喜の功徳」とは五十展転の随喜という事が最初である。
初随喜の位、こういった事で『末法の三大秘法は有難い』と思う。そこから出発するんです。
ですから、感激こそ力である。自分の『有難い』という思い、その感激を人に伝えてくる。
私は最近よく思うんですがね、アメリカの人達、モンゴルの人達、フィリピンの人達と世界中の人達が日本に来て入信して語る事は「有難くて折伏をしているよ」「南無妙法蓮華経と唱えると幸せになるよ」これしか自分には分からない。
しかし、この有難さを語る事によって日蓮大聖人の仏法が弘まっていく。まさにこれこそ肝心肝要でしょう。
自分も唱えて功徳を頂いて「あんたも唱えると幸せになるよ」「ああそうかい」と言って弘まっていく。これが五十展転という事ですね。
ですから、感激こそ力である。感激があれば一文一句なりとも語っていこう。
これがすなわち「力あらば一文一句たりとも語らせ給うべし」という事。
で私は思うんですがね、この事は、外に対して力あらばという事ではない。内においても「力あらば一文一句たりとも語らせ給うべし」なんですね。
『有難い』と思う感激、これを語っていこう。
例えば「総幹部会で感激した」「顕正新聞を読んで『有難い』と思った」という感激を自分一人の胸だけではなくて先輩と語り合ってさらにその感激を深めていく。
それから、後輩とも話し合って感激を増幅させていく。
この上と下との感激の語り合いの中に本当に組織が躍動して熱を帯びていく。
この力が原動力となって広宣流布が進む。こう私は確信していくんです。
ですから「力あらば一文一句たりとも語らせ給うべし」を外にも内にも実践して、いよいよ日本を救う戦いを力強く進めていきたいと思っております。
平成24年 3月11日 浅井先生指導