少し解説をくわえれば、一閻浮提第一のほんぞんとはどういうことかと申しますると「釈尊しゃくそんが亡くなってから二千二百三十余年の間インド・中国・日本において誰人もいまだかって弘めたことのない即身成仏の叶うほんぞんさま」ということが「一閻浮提第一のほんぞん」ということですよ。
 しゃぶつ仏法ぶっぽうでは一生成仏ということが叶わないんですね。
 文底しゅ南無なむみょうほうれんきょうほんぞんによって始めてまっぽうの人類は一生成仏が叶う。そのさいごくじょうほんぞんさまはインド・中国・日本にない。ゆえに「一閻浮提第一」ということであります。
 でこの成仏の根源の種というべきほんぞんしゃぶつはどういう風に説いておられるか。
 これをきょう本門ほんもん寿量品じゅりょうほんの文の底にひそかに説いて「まっぽうに上行さつすなわち日蓮にちれんだいしょうにんがこれを弘めるんだ」という形で秘してこれを顕わさなかったんです。
 中国の天台てんだいだい、日本の伝教でんぎょうだいももちろんこのことを知っている。
 しかし、自分にはひろめる資格がない。到底ひろめる力がない。付嘱もない。時期も来ない。
 よって、このことひろめずして心中に収めておいた。
 そして、いよいよまっぽうはいっておん元初がんじょほんぶつ日蓮にちれんだいしょうにんが御出現をし、始めて全人類成仏の大法、一生成仏の叶う大法のほんぞんさまをここにおひろめあそばすということが「一閻浮提第一のほんぞん」ということであります。
 「このほんぞんをよくよく信じていきなさい」ということです。
 で、いつも申しておりまするが、ほんぞん日蓮にちれんだいしょうにんだいの結晶ですね。
 もしがある名医があったとする。「何とかして患者を治したい」というそのの気持ちは薬となって現われる。
 だいしょうにんさまが「一切衆生を何とかして救いたい。成仏せしめたい」とのそのだいほんぞんとして結晶されている。
 ですから、このほんぞんは一生成仏を叶える薬です。
 経文にはこうろうやく良薬ろうやく)」と説かれておりまするが、この良薬ろうやくがあっても飲まなければ効かない。どうやってこの良薬ろうやくいただくのか。
 ほんぞんを信じ、南無なむみょうほうれんきょうと唱える。
 そうすると、ほんぞんの仏力・法力によって凡夫が仏にならせていただけるということなんですね。
 このほんぞんを信じ、南無なむみょうほうれんきょうと唱えるこの修行によって自然と現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命まで守られる。何と有難ありがたほんぞんさまであられるか。これが行ということであります。


平成24年 3月11日 浅井先生指導