2万5千の大号令だいごうれい下った決戦場けっせんじょう第5年の中盤ちゅうばんをここに迎え、緊張感きんちょうかんえるとうでいっぱいであります。
 5月度そうかんかいにおいてあさ会長かいちょう

「列島を打ち覆うだいしゃくぶくで急ぎさんびゃくまんを成し、日本にっぽんの亡国にいささかも遅れること無く第三度の一国いっこくかんぎょうに立たせていただこと先生せんせいの何よりの報恩ほうおんであれば、私自身『必ずやその奉公ほうこうを果たしてまいらん』と心中しんちゅう深くけつしている」

と叫ばれましたが、先生せんせいを継がれる会長かいちょうの並々ならぬかくに接しては「どこまでも同心させていただかん」と固くけつさせていただきました。
 会長かいちょうは、いよいよ残り50万を切ったさんびゃくまんへの戦いを一気にそくさせていきたいとして中盤ちゅうばんとしてはかつてない2万5千のだいしゃくぶく誓願せいがんされましたが、あと何年でさんびゃくまんを達成できるのか、それをどれだけ早めていけるのかは一戦一戦の我等の赤誠せきせいにかかっていることきもめいじ、国立こくりつ戒壇かいだん建立こんりゅうへの切なるゆいがんせっおもいで毎法戦まいほうせんを戦い抜いてまいらんとのとうげてまいります。
 同時に、さんびゃくまんと第三度の一国いっこくかんぎょうが眼前にせまるをはだに感ずるほどに、男子十万に向けていよいよスケールを変えていかなければとのけつはいや増し、日曜にちよう勤行ごんぎょうしょこうにさらに多くの同志を呼びかけ、戦いのすそを広げてまいらんと強くおもうものであります。
 会長かいちょうは、科学技術も発展していない時代に難儀を極める中、日興にっこう上人しょうにん日目にちもく上人しょうにんが列島狭しのだいしゃくぶくを成されたことどうくださいましたが、だい聖人しょうにんさまとうどもじんさんじんつづきて」とのこう大教令だいきょうれいを直接受けられた日興にっこう上人しょうにんの大情熱、本門ほんもん弘通の大導師としての無限の責任感による驚異的弘通にはだいばくに打たれるおもいとなりました。
 また、だい聖人しょうにんさまこう大教令だいきょうれいいまこうせんせざるあいだしんみょうててずいりきづういたすべきこととの日興にっこう上人しょうにん遺誡ゆいかいのまま、たとえ1万2千で死罪に等しい解散かいさん処分しょぶんこうむるとも微動もせずに乗り越え、解散かいさん処分しょぶんより50年、解散かいさん当時の200倍強の250万のぶつだいしゅうだんを築かれた先生せんせいの燃えたぎ広宣こうせん流布るふへの大情熱をうかがっては、ぼうたる涙を抑えられませんでした。
 ここに、いかなる困難あろうとも、誰人もさまたげることができない死身弘法を展開された日興にっこう上人しょうにん日目にちもく上人しょうにんあさ先生せんせいとしてその御心にどこまでも同心させていただことが男子十万を成す鍵と心するものであります。
 会長かいちょうは、さる5月12日に厳修ごんしゅうされた山口会館かいかんにゅう仏式ぶつしきに触れられ

「私は、先生せんせいつねに念願しておられた西日本にしにっぽん大前進だいぜんしん、その並々ならぬ熱情ねつじょうを胸に抱き、このにゅう仏式ぶつしき西日本にしにっぽん顕正会のまったく新たな出陣と心して臨んだ」

おおせられましたが、先生せんせいの戦いを今会長かいちょう全責任ぜんせきにんを背負ってなされていることに、直属男子部こそ東も西も先陣せんじん切っておこたえせんとのけついくにも上あげてまいりました。
 そして、このにゅう仏式ぶつしきにおいてあさ会長かいちょうは、ひめ会館かいかんにゅう仏式ぶつしきに命がけで臨まれた先生せんせいのお姿を初めて明かしてくださいましたが、いまだ大なる成長叶わぬ申し訳なさでいっぱいになると共に、先生せんせいへの報恩ほうおんおもいを大男子部構築の色に表わしてまいらんとけついたしました。
 この度会長かいちょうは、にせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどうが崩壊に至った経緯とだい聖人しょうにんさまの厳たる御裁断を示され遺命ゆいめい成就もだい聖人しょうにんさま絶大ぜつだいとくにより必ず成る」との大確信だいかくしんを与えてくださいました。
 遺命ゆいめいかたきになり終わった細井日達・阿部日顕の御相承の授受を許し給わず、またそれぞれに池田大作との間に深刻なるかいほんぎゃくを起こさしめ、細井日達においてはその抗争のなかに命を召し捕られ、また、道心どうしん卑怯ひきょう貪欲とんよくの阿部日顕に至っては学会弁護団による執拗しつよう尋問じんもんで池田大作憎しのしんを爆発させ、その怒りのままに池田大作が最大の誇りとしていた正本堂しょうほんどうを打ち壊さしめ給うただい聖人しょうにんさま絶大ぜつだいとくを拝しては驚嘆きょうたんいたしました。
 そして、細井日達・阿部日顕共にそのかいほんぎゃくのきっかけこそあさ先生せんせいの徹底せるかんぎょうにあり、ことに、阿部日顕の誑惑おうわくの根を断ち切られた平成2年のかんぎょうしょについてどういただいては、大感動だいかんどうの他はありませんでした。
 会長かいちょう

「この誑惑おうわくの根とはげん憲法けんぽうを至上としてだい聖人しょうにんさま遺命ゆいめい歪曲わいきょくしようとしたじゃの結晶たる阿部日顕の二冊の悪書のことである」

どうくださいました。
 そして先生せんせい

「この悪書における深く巧みなる誑惑おうわくを破折しているうちに、自然と国立こくりつ戒壇かいだん実現じつげんへの道がハッキリと浮かび上がってきた」

おおせられていたことをうかがっては、解散かいさん処分しょぶんの中に遥拝ようはい勤行ごんぎょうというこう最終さいしゅう段階だんかい信行しんぎょう確立かくりゅうされたように、遺命ゆいめい破壊という未曾有みぞうの大悪の中、かえって国立こくりつ戒壇かいだん実現じつげんへの道が明確めいかくに浮かび上がる様は圧巻あっかんであり、王仏冥合おうぶつみょうごう憲法けんぽう改正かいせい、六千万の地涌出現というじゅうだいも、すべては先生せんせい忠誠ちゅうせい尽くされる中にだい聖人しょうにんさまから見せていただいた一筋の道だったのだとハッキリと分からせていただきました。
 このかんぎょうしょが阿部日顕に送付された同年7月に開催された二万人の大総会だいそうかいにおける先生せんせいだいは涙なくしては拝せず、会長かいちょうより、この時先生せんせいは「御自身の命がここで尽きようとも、断じて本門ほんもん改称かいしょう大陰謀だいいんぼう粉砕ふんさいせん」との捨身のかくを固めておられたことをうかがっては

「やるならやってみたらいい。信心の力をもって本門ほんもん改称かいしょうを断固粉砕ふんさいしようとけつしている。私はその先頭に立つ」

との先生せんせいのお言葉にたましいが打ち震えてまいりました。
 会長かいちょうは、こう前夜にだい聖人しょうにんさまに召し出だされたあさ先生せんせいが身を捨ててかんぎょうに立たれ、遺命ゆいめい破壊という未曾有みぞうの大悪を打ち砕かれたこともまただい聖人しょうにんさまの立宗における大誓願だいせいがんの中に含まれていることどうくださいました。
 ここにおもうは、先生せんせいの激闘はだい聖人しょうにんさまどうそのものであり、今その先生せんせい御意思ごいしのまま戦う我々一人一人もまたいかなることがあろうともねんけんにしてだいにんにくりきあり」絶対信ぜったいしんに立つ時、必ずやこうの道が敢然かんぜんひらけていくということであります。
 会長かいちょう広宣こうせん流布るふはもう眼前、全組織が、過去10年を1年で成すテンポで成長せよ」と叫ばれましたが、ざいのような国家権力の弾圧もなく、科学技術がととのった今の時代に油断や弱い心から戦いを遅らせることがあっては万死にあたいすると心するものであります。
 まずは迎える中盤ちゅうばん正本堂しょうほんどう崩壊と先生せんせいの成仏の妙相という大現証を深く命に刻み広宣こうせん流布るふは必ず成る」大確信だいかくしんで戦い、空前のだいしゃくぶくをもって霊山りょうぜんよりお見守りくださる先生せんせいに全員でおこたえしてまいろうではありませんか。


令和6年 5月24日 5月度 総幹部会 浅井会長指導

令和6年 5月26日 5月度 男子部班長会 行成総男子部長指導