そのような中、学会は阿部日顕の「シアトル事件」と言われた醜いスキャンダルを徹底的に暴きました。
この「シアトル事件」とは、阿部日顕が教学部長時代に学会の要請によってアメリカのシアトルで出張受戒に赴いた際に売春婦と金銭上のトラブルを起こして警察沙汰になり、現地の学会婦人部幹部の口添えで助けられたという事件であります。
学会は「日顕憎し」のあまりこの事件を学会青年部向けの機関紙『創価新報』において執拗なまでに宣伝した。
これに対し阿部日顕は名誉棄損で提訴したのであります。
阿部日顕は、自らが原告になると証人として出廷させられる恐れがあったため「日蓮正宗」と「大石寺」の法人を原告として提訴した、学会弁護団の巧みな法廷戦術によって法廷に引っ張り出され、三度も尋問を受けるに及んだ。
手ぐすね引いて待っていた学会弁護団は阿部日顕の破廉恥な買春行為を現地の学会婦人部長ヒロエ・クロウの証言に基づき嬲るように克明に暴いた。
その耐えがたい恥辱・屈辱に怒り心頭に発した阿部日顕は、池田大作が最大の誇りとしていた正本堂をついに「池田憎し」の一念で打ち壊してしまったのであります。
何という不思議でありましょうか。凡慮を絶する不思議とはこの事であります。
先生は、この不思議においてこう仰せ下さっておられます。
「そもそも阿部日顕は無道心・卑怯・貪欲の人である。
無道心だから正本堂の誑惑に与した。卑怯だから仲間割れするや罪を池田大作一人に着せた。そして、貪欲だから学会員に正本堂の参詣を進めて檀徒に取り込もうとしたのである。
このような者がどうして自らの改悔・道念から戒壇の大御本尊を遷座し奉り、正本堂を取り壊そうか。
ここに諸天は阿部日顕を憤怒せしめ、瞋恚の力でこれを為さしめたのであった」と。
阿部日顕が改悔や道念から正本堂を壊したのではない事は、すでに学会との抗争が始まった平成3年4月6日の虫払大法会を見ればよく分かります。
阿部日顕は学会員を取り込むためにこう説法した。
「本宗信徒一同は、正本堂の世界に冠たる素晴らしい建物を仰ぎつつ、その然るに至った広布の相よりして日達上人の仰せのごとく『三大秘法抄』の意義を含む大功徳が存する事、かつ、本門戒壇の大御本尊ましますがゆえに現時における本門事の戒壇であり、一切衆生即身成仏の大道として常に参詣し懺悔滅罪すべきであります」と。
学会と喧嘩を始めた後も、阿部日顕はまだ細井日達のデタラメ訓諭を引用して「『三大秘法抄』の意義を含む大功徳が存する」とか「事の戒壇」などとたばかり、この偽戒壇正本堂を看板にして池田大作についている学会員を切り崩そうとしているのであります。
ここまで正本堂にこだわっていた阿部日顕が自身のスキャンダル裁判において法廷に呼び出され、学会弁護団によって嬲り者にされて赤っ恥をかかされた事で怒り心頭に発し、池田大作が誇りとする正本堂をぶち壊したのであります。
これまさに、大悪を許し給わぬ大聖人様が浅井先生をして諌暁せしめ、諸天に命じて学会・宗門に自界叛逆を起こさしめ、阿部日顕の瞋恚の力をもって正本堂を打ち砕かしめ給うたものであります。
そもそも正本堂は学会と宗門が一体となって「末法万年の事の戒壇」などと偽り称して、信徒から集めた350億という莫大な供養を投じて建てた巨大な殿堂であります。
最高権力者池田大作と絶対権威の細井日達が心を合わせて建てた殿堂であれば、全宗門僧俗が誑かされ、正本堂を「御遺命の戒壇」と信じたのでありました。
普通に考えれば、このような建物を誰が撤去などできましょうか。学会と宗門が一体であったら到底不可能であります。
だが、わずか26年で大聖人様の御裁断により正本堂は轟音と共に崩れ去ったのであります。
令和6年 5月24日 5月度 総幹部会 浅井会長指導
- 説明
- 日蓮大聖人のお力で進む広宣流布の戦い
- 地涌の菩薩のあるべき姿
- 解散処分とその後の細井日達の大罰
- 本門寺改称の陰謀
- 御遺命破壊の中に顕われた国立戒壇の正義
- 顕正会の諌暁で学会・宗門の自界叛逆起こる
- 激しい自界叛逆の末に起きた偽戒壇正本堂崩壊
- 御遺命破壊の三悪人の末路