いいですか、このようにわれ何のもないぼんいっしょうのうちのわずかすうじゅうねんしんじんでもって仏にならせていただける。何とありがたことか。
 これは、本尊ほんぞんさまぶつりきほうりきによるんです。
 本尊ほんぞん絶大ぜつだいぶつりきほうりきがまします。
 私達はしんりきぎょうりきを起こしていく。
 本尊ほんぞんさまへの恋慕渇仰のしんじんに立つ。そして、みょうほうれんきょうとなたてまつり、人にもそれをすすめる。
 そのしんりきぎょうりきの中にぜん本尊ほんぞんさまの功徳をいただくんです。
 ですから、いかなる人もこの本尊ほんぞんしんじてみょうほうれんきょうとなたてまつれば、そのぼんの濁った心の中にほとけさまが宿ってくださる。にちれんだいしょうにんさまがお宿りくださるんですね。
 そうすると、しんぽうが変わってくるんですよ。
 今までのどんじんさんどくにまみれた、欲といかりとにまみれた命がぜんしんぽうが変わってくる。
 今までキレやすくてすぐカーッとなって何でもかんでもぶちこわしてしまう。
 それが、ぜんと相手に対しておもいやりが出てくる。
 このように、自分でも『だな』とおもうくらいしんぽうが変わってくるんです。
 この自分の心に宿ったほとけさま、そのままではよわいんです。
 このように、自分の心にほとけさまが宿った時をないしょうじょうぶつというんですよ。ないしょうじょうぶつする。心の中にほとけさまが宿ったからないしょうじょうぶつという。
 しかし、ないしょうじょうぶつであるから我も自覚がない。人も知らない。
 そして、日頃はに悩まされ、あるいはおくびょうの心に悩まされるかもしれないけれども、のままでもいい、しっかりとみょうほうれんきょうとなたてまつるのだ。
 おくびょうのままでもいい、そのままいっぜんしんして『自分でもだいしょうにんさまのお手伝いができるではないか』とのおもいのままだいしょうにんさまかたをして、自分の力に応じてこのことを人にもすすめていこう。
 まず親にしんじんすすめていこう、兄弟にしんじんすすめていこう、力に応じてしんじんすすめていく。
 こういうことかえしていくうちにないしょうじょうぶつけんとなってくる。自分の心に宿ってくださったほとけさまが大きくせいちょうしてくる。
 そして、ついにはりんじゅうの時にじょうぶつの相をあらわす。これをゆうじょうぶつというんですね。
 ほとけさまが宿った時はないしょうじょうぶつであり、りんじゅうの時にじょうぶつの相をあらわすのはゆうじょうぶつである。
 ゆえに、このしょと同じ年のしょうねんあらわされた『いちねんさんぜんのほうもん』というしょがあるんですが、この中にこういうことおおせになっておられるのです。

 「げんないしょうじょうぶつするをそくしんじょうぶつもうす。
 すればひかりはなつ、ゆうじょうぶつなり」

 「現世にはほとけさまが宿ってくださる。これはないしょうじょうぶつそくしんじょうぶつという。
 『すればひかりはなつ』というのはよきりんじゅうをすることですね。きれいなりんじゅう姿すがたになる。
 これはすなわちゆうじょうぶつであり誰にもかることである」

 でさらにおおせられる。

 「きょうぎょうじゃにょせつしゅぎょうせばかならいっしょうのうちにいちにんのこらずじょうぶつすべし」

 いいですかかならいちにんのこらず」とは「どんな者であってもしんじんさえ退たいてんしなければ例外なく必ずいっしょうのうちにじょうぶつさせていただける」ということなんです。
 だいしょうにんさまに背いたり、かいだんだい本尊ほんぞんさまの悪口をったり、そういうことをしない以上はじょうちゅうさんこんはあれども必ずいっしょうのうちにいちにん残らずじょうぶつさせていただけるということであります。


平成27年 3月8日 浅井先生指導