「ちゅうこんひとしくはいちにちしくはいちげつしくはいちねんあらわすなり」

 「一般はちゅうこんですよ。入信してもすぐにはからない。
 いちにち、もしくはいちげつ、もしくはいちねん、いや、さんねんねんじゅうねんとそのあいだにある時はしんずる、ある時はおかしくなってくるというようなことを繰り返し繰り返しあらわす」

 そこに、しんじんというのは一人ではできないんですよ。しきということがいかにありがたいか。だいしょうにんさまおおせでしょう。

 「にちれんだんとうこころなくすいぎょおもいをして、たいどうしんにしてみょうほうれんきょうとなたまうべし」

おおせになっておられる。
 たいどうしんしきの中で励まし励まされ、そしてお互いに上と下でしんじんの歓喜の語り合いの中にだんだんだんだん絶対ぜったいしんというのが起きてくるんですね。
 先日もたいけんはっぴょうでこういう報告を聞きましたけれども、あるじんしんじんをおろそかにしてほとんどしんじんねんとうかなかった。
 そのうちに重いがんになってびょうしょうして初めて大きな衝撃を受けて、その時に先輩が訪ねてきてくれていのちかぎりあることなり、すこしもしむこころなかれ」とのこのだいしょうにんさましょを繰り返し教えてどうもせずにじょうぶつを願うしんじんに立て」懇々こんこんと教えてくれた。
 「その時に初めて絶対ぜったいしんということかった」ということって、おかげさまでがんも良くなったというたいけんはっぴょうをやったということを私はちょうから聞きましたけれども、そういうことで、お互いにぼんというのは入信してもじょうぶつを願うてっせきしんじんに立つということはなかなか年月がたなければできない。
 まことに、このたいどうしんしきの中でしゅぎょうさせていただことありがたいということなのであります。

 「こんひとびゆくところなくてまりぬれば、いっしょううちかぎりたることなれば、りんじゅうときいたりてもろもろえつるゆめめてうつつになりぬるがごとく、ただいままでつるところしょうもうそうひがおもい・ひがめのことわりはあとかたもなくなりて、ほんがくうつつさとりかへりてほうかいれば、みなじゃっこうごくらくにてごろいやしとおもひしさんじんそくいちほんがくにょらいにてあるべきなり」

 「こんの者というのはねんさんねんねんじゅうねんってもまだからない。
 これは、りんじゅうの時まで行っちゃうんですね。
 『よくつかめなかったけど退たいてんはしなかった』という人がりんじゅうの時になるとその真剣なしんじんに立っていくんですね。
 りんじゅうでもって今までの色々なもうそうとか金に対するしゅうちゃくとかそういうことが全部なくなっていって『頼るものはもう本尊ほんぞんさま以外にはない。だいしょうにんさま以外にはない。じょうぶつさせていただければいい』との絶対ぜったいしんりんじゅうの時までは立つことができる」

ということおおせになっておられるわけであります。


平成27年 3月8日 浅井先生指導