だが、彼らのていせいは心からのかいではなかった。
 やがて、正本堂しょうほんどう落成式らくせいしきが終わるとふたた誑惑おうわくを始めた。
 その上、池田大作は「顕正会が宗門に存在する以上、いつかは正本堂しょうほんどうのたばかりはけんする」ということを恐れて細井日達に解散かいさん処分しょぶんくださしめた。これが、昭和49年8月12日でありました。
 しかし、顕正会は微動もしなかった。そして、不思議ふしぎにも顕正会の連連たる諌暁かんぎょうを機として、学会と宗門の間に深刻な亀裂と抗争こうそうが生じてきたんですね。
 池田大作は「細井日達が顕正会の主張に心を動かして学会を裏切るのではないか」との心暗しんあんいだいて、それを抑えるには経済けいざい封鎖以外にはないといういやしい発想はっそうを持ったんですね。
 そこで「本山は学会の登山で持っているじゃないか。よって学会の月例登山会を縮小しゅくしょうする。これが一番本山にとって痛い。何でもことを聞くであろう」ということでそういう経済けいざい封鎖の手段しゅだんを取った。
 ところが、細井日達は遺命ゆいめいげられても痛くも痒くもなくてそれに協力したけれども「収入が減る」ということっておどかされると「それは受け入れられない」と猛烈に反発をしたんですね。
 そこで、細井日達の下には大勢の若手僧侶が結集けっしゅうして反学会ののろしを上げた。
 かくて、宗門対学会の抗争こうそうが始まった。
 だが、この抗争こうそうの真っ最中に細井日達は激甚げきじんの心臓発作で急死を遂げたんです。
 それは、だいな御相承もずの急死でありました。
 だいな御相承をすることができなくて亡くなる。こんなことはあるべきはずがないですよ。
 これは、だい聖人しょうにんさまの深い思し召しです。
 その次には必ず学会と一体となった阿部日顕が立つことが分かっている。
 もし阿部日顕に誰にも背けない御相承が分かっておったら、それこそどんな得手えてかっこともできてしまうじゃないですか。
 そこで、だい聖人しょうにんさまの深き思し召しでもってこのような御相承もずの急死というようなことになったと私は拝しております。
 次いで、池田大作に擁立ようりつされた阿部日顕が第六十七世のげいに登った。
 以来、二人は11年後の平成2年大石寺開創七百年を目指してほんもん改称かいしょう陰謀いんぼう実現じつげんすべく心を合わせてすすんだんですね。
 細井日達が亡くなったのは昭和54年、そしてすぐ池田大作が阿部日顕を擁立ようりつした。以来11年間ですよ。
 平成2年には大石寺開創七百年というけいがある。
 この時を目指して、大石寺をほんもん改称かいしょうするこの陰謀いんぼうを彼は実行しようとしたんですね。
 ほんもん改称かいしょうという陰謀いんぼうは、大石寺の名称を「ほんもん」とあらためようとするたばかりです。
 本来「ほんもん」というのは広宣こうせん流布るふあかつき国立こくりつ戒壇かいだんを意味する。
 これは『いち期弘ごぐほう嘱書ぞくしょ』に明々めいめい白々はくはくであります。
 しかるに池田大作はいつわりの広宣こうせん流布るふ達成を平成2年に宗門で宣言せんげんした上で、大石寺をほんもん改称かいしょうしようとたくらんだ。
 もしこの改称かいしょう実現じつげんすれば、大石寺の正本堂しょうほんどうがそのまま「ほんもん本堂ほんどう」となり『ひゃくろっじょう』の「富士山ほんもん本堂ほんどう」すなわち、御付嘱状の「ほんもん戒壇かいだん」といつわことができる。
 このとき、正本堂しょうほんどうの誑惑は完結かんけつする。
 これが池田大作の執念しゅうねん、最後の陰謀いんぼうだったんです。
 途中で顕正会の強き諌暁かんぎょうに遭ってていせいぶんまで書いたけど、今顕正会を解散かいさんさせた以上はこの「ほんもん改称かいしょう」ということをやれば、大石寺に建てた正本堂しょうほんどうがすなわち「ほんもん本堂ほんどう」になる。
 そうすれば、これがすなわち「遺命ゆいめい戒壇かいだん」といつわれるではないか。これが池田大作の最後の執念しゅうねんだったんですね。
 このことを、阿部日顕と一体となってたくらんだんです。これが、池田大作の最後の陰謀いんぼうであった。
 もしこの陰謀いんぼう実現じつげんしたならばどうなるか。
 いいですか『三大さんだい法抄ほうしょう』には克明こくめい遺命ゆいめい戒壇かいだんがいかなる時にいかなる手続きをもっていかなる場所に建てられるべきかということをおさだめになっておられるでしょう。
 すなわち「広宣こうせん流布るふの時に王臣受持(時の国主である天皇も、全大臣もことごとく三大秘法を受持して)、徳王とくおう覚徳かくとく比丘びくのその昔を末法濁悪の未来に移す」というのですから日蓮にちれんだい聖人しょうにん仏法ぶっぽうを守護するにおいては、自分の命はもちろんの事こっの命運を賭しても守りたてまつる」とのこっ意思を勅宣ちょくせん並びに教書ぎょうしょという形に表わして、それを手続として富士山天生原あもうがはら建立こんりゅうされるのが遺命ゆいめい戒壇かいだんですよ。
 それを、似ても似つかずに時も来ない、もちろん手続きもしない、そのようなにせ戒壇かいだんを池田大作が「遺命ゆいめい戒壇かいだん」と称し、時のかんが「そうだそうだ」とったならばだい聖人しょうにん遺命ゆいめいは完全に破壊されるんです。
 よって、平成2年の4月に私は心血しんけつを注いで『正本堂しょうほんどう誑惑おうわくを破し、懺悔清算を求む』と題する一書をしたため、阿部日顕と池田大作に送付いたしました。
 この書の内容は、阿部日顕がかつて著わした2冊の悪書、すなわち『国立こくりつ戒壇かいだんろんあやまりについて』と『ほんもん戒壇かいだんの定義』における邪義を一一にげて、その誑惑の根をり、その上で「速やかににせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどう撤去てっきょせよ」ということせまったものであります。
 この諫状かんじょうは阿部日顕のはいえぐり、心に怖畏ふいを生ぜしめた。
 そして、不思議ふしぎことが起こったんですね。
 今までにん三脚さんきゃくで一体のごとくに見えた池田大作と阿部日顕の間にまたも細井日達の時と同様の心暗しんあんが生じた。
 すなわち、池田大作が阿部日顕を「いつか変心するのではないか」とうたがったんですね。
 そして、やがて始まった抗争こうそうはまさにしゅ悪竜あくりゅう合戦かっせんそのもので、その激しさは細井日達の時の抗争こうそうとは比べ物にならなかった。
 池田大作が阿部日顕を猊座から引きずり降ろそうとして「相承なき詐称ほっ」とこうののしれば、阿部日顕は池田大作の法華講総講頭職を剥奪はくだつし、創価学会を破門し、さらに池田大作を除名処分しょぶんにした。これが、平成2年の暮れから平成3年の初めにかけてのことです。


令和2年 6月24日 6月度  総幹部会 浅井先生指導