この遺命ゆいめい破壊を眼前にして私は「この大悪を見ながら知りながらもし黙っていたらばだい聖人しょうにんさまに対したてまつる最大のちゅうとなる」とこのことを恐れて、身を捨てて諌暁かんぎょうに立ち上がった。これが、昭和45年の3月でありました。
 諌暁かんぎょう文書ぶんしょ論判ろんぱん幾度いくたびも激しく繰り返された。
 八百万学会には強大なけんりょくがあり、時のかんには誰人も背けぬ絶対ぜったいけんがある。
 ついでにっておきますが、私は今「ほっ」ということを使わないんですね。
 日興にっこう上人しょうにんおおせには何度も「時のかん」とおおせになり「ほっ」ということは使われていない。
 実は、この「ほっ」ということは大正時代に初めて使われたんですね。
 あの時に宗制・宗規を作るに当たって初めて日蓮にちれん正宗のかんを「ほっ」と称した。
 しかし「ほっ」というのは「法体ほったいぬし」でありますから、だい聖人しょうにんさま一人いちにんことなんですよ。
 ですから『滝泉りゅうせん申状もうしじょう』にだい聖人しょうにんさまが御自身のことほっしょうにんとお呼びになっておられる。
 まさに、下種の大法の法体ほったいぬしだい聖人しょうにんさま一人いちにんであられる。
 ですから、日興にっこう上人しょうにん以来においては「かん」ということをお使いになってきた。
 しかし、大正年間において文部省の指示によって宗制・宗規を作る時にのぶでもって「だいほっ」なんていうことを使っているから宗門においても「ほっ」ということを使おうということでもって「ほっ」ということができたわけでありまするが、私はあくまでも「法体ほったいぬしだい聖人しょうにんさま一人いちにんであられる」「『滝泉りゅうせん申状もうしじょう』を拝せよ」「日興にっこう上人しょうにんのおことを拝せよ」「日興にっこう上人しょうにんのおことに『ほっ』というおおせは一言もない」ということで今顕正会においては正しいお方を「かん上人しょうにん」とお呼びしております。
 で私は「66代、67代はだい聖人しょうにんさま遺命ゆいめいに背いたゆえに『上人しょうにん』とつけたならば法がすたる」ということから現在呼び捨てにしております。
 これは「法の邪正じゃしょうを示す」ための立て分けであります。
 で、今申しました通り、諌暁かんぎょう文書ぶんしょ論判ろんぱん幾度いくたびも激しく繰り返されたんです。
 八百万学会には強大なけんりょくがある。今では想像もつかないですが、当時の学会のけんりょくは凄かったですよ。
 そして、時のかんには誰人も背けない絶対ぜったいけんがある。
 しかし仏法ぶっぽうもうすはどうなり、どうとはしゅものなり」とのだい聖人しょうにんさまの『条抄じょうしょう』のおおせのごとく、正しい道理に勝てるけんりょくけんもない。
 学会はついに屈服くっぷくして文書ぶんしょをもって正本堂しょうほんどう誑惑おうわくを二度もていせいし、細井日達もまた正本堂しょうほんどうの意義を定めたくんていせいぶんを書いて、本山で直接私に手渡してくれました。


令和2年 6月24日 6月度  総幹部会 浅井先生指導