靖國八千代食堂(九段)の鳥濱トメの玉子丼 | 夢酔亭主人のオムライス食日記

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九段の靖國神社に参拝。
 
毎年8月15日に参拝していたが、共産党を中心とする反対派のデモで機動隊が交通規制をかけるような騒々しさが嫌で、数年前からは静かな日に参拝するようになった。
 
毎年感じることだが若い世代の参拝者が増えているような気がする。
 
団塊の世代という日本にとって害毒でしかなかった連中に対し、若い人たちはしっかり真実を見ている。
 
静かに英霊に手を合わせる。
 
若くして亡くなられた英霊への同情ではない。
 
ただ感謝の気持ちだけだ。
 
戦争は男たちばかりで戦ったのではない。
 
飛行兵の教官をしていた藤井中尉(29)は、「必ず俺も行くから」と若い特攻隊員を送り出していた。
 
そのことを知った妻は、「私たちがいたらあなたにとってこの世に未練を残すことになるでしょう。お先に逝って待ってます」と幼い娘二人と共に入水自殺を遂げられた。
 
出撃前に亡き妻と二人の娘に宛てた藤井中尉の遺書は涙なくしては読めない。
 
靖国神社には、一緒に戦ってくれた馬、犬、鳩にも感謝の心を示している。
 
動物に感謝する軍隊なんて世界中で日本だけだろう。
 
日本人に生まれてきて本当に良かったと心から思う。
 
日本はアジアを侵略するために戦争を始めたとの村山談話を継承し、英霊に感謝の誠を捧げようともしない総理大臣。
 
外苑にある「靖國八千代食堂」さん。
 
「鳥濱トメの玉子丼」を注文。
 
鹿児島県にあった知覧特攻基地。
 
米軍の猛攻にさらされてる沖縄を救うべく、連日特攻機が飛び立っていき多くの若者の尊い命が失われた。
 
知覧にあった「富屋食堂」の女将鳥濱トメさんは全国から集結してくる特攻隊員を我が子のように可愛がってお世話したことから、「特攻の母」と慕われた。
 
食糧事情が悪い中、農家を歩き回り自分の着物と引き換えに卵を分けてもらい、出撃前の隊員に「玉子丼」をふるまっていたそうだ。
 
飛び立てば二度と帰えれぬ隊員たちも辛かっただろうが、最期の玉子丼を作るトメさんも辛かっただろう。
 
靖国外苑の再整備を行う際に「不二楼」グループの社長高橋氏によって、特攻隊員が最期に食べたそのままのレシピで復元したいとの強い想いで完成した。
 
多忙な経営者でありながら、この店がオープンしてからは毎日朝から晩まで厨房に立ち玉子丼を作り続けられておられるそうだ。
 
汁は富屋食堂から直送し、食材もすべて鹿児島から取り寄せている。
 
呼び出しブザーが鳴って取に行く。
 
●鳥濱トメの玉子丼(1,000円)
 
鳥濱トメさんのお孫さんや富屋食堂ホタル館の協力でトメさんの味を正確に再現した玉子丼。
 
それではいただきます割り箸
 
甘味のある九州の麦味噌。
 
鹿児島県名物つぼ漬け。
 
七色をパラパラとふりかけ。
 
とろとろの半熟玉子。
 
知覧から直送されるツユはたっぷりのつゆだく。
 
お米は靖國神社に献納された福島県会津美里町産。
 
味付けはとても甘い。
 
当時は玉子以上に砂糖も貴重だっただろう。
 
親子丼でもかつ丼でもなく、玉子とほんの少しの玉ねぎだけの質素な玉子丼。
 
これが若い特攻隊員の最期の晩餐だったのか。
 
玉子丼を食べ終えた彼らは、二度と帰れない日本を後にして沖縄へ飛び立っていった。
 
ふと、窓の外の社殿を見ると、若い隊員たちの声が聞こえた。
 
「おばちゃんの玉子丼美味しいでしょう!」とにっこり笑ってくれているような気がする。
 
収益の一部は知覧の特攻資料館、富屋食堂ホタル館の維持のために寄付されている。
 
この記事を読んで、靖國八千代食堂の玉子丼を食べてみたいと思われた方がいればぜひ食事の前に参拝していただき、たった一言でいいので「ありがとうございました」と手を合わせてほしいと願います。
 

美味しい食事をいただき感謝をこめて

「ごちそうさま!」

 

今日の音楽 

 

 

 

松田博幸の「悲しいときはいつも」

 

【お店】
・靖國八千代食堂
・東京都千代田区九段北2-1-4 靖國神社外苑休憩所
・ https://yasukuni-yachiyo.com/