祖母の40回目の祥月命日 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 昨年の7月4日(火)の「父親のこと・9」のブログの上段に、

「(前略)去る 5年前の3月17日(土)の『うなぎ蒲焼かばやき・80(生花・父親の食事)』のブログの中段やや上に、

『(前略)去る 一昨年おととしの6月26日(日)の【父親の米寿祝い】のブログの上段に、

【(前略)米寿に ちなませて頂きますと、去る昭和59年4月1日、祖母(父親の母親)の米寿の お祝いをしました。このときは、約10人 くらい集まりました。母親とも話すことですが、そのとき 祖母は たいへん喜んでくれて、また このような集まりがあれば いい とのことでした。ところが、この月の下旬 すなわち 同・4月24日に、祖母は 自宅の畳の上で 亡くなりました。なお、去る1月2日(土)の〖初詣・お節料理〗のブログ の下段に、〖(父親によりますと、)〘一寸先はやみ〙とのことでした。〗と記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。昨日も 父親によりますと、【一寸先はやみ】とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。

 また、去る 昨年の5月13日(金)の『収骨(分骨)(父親)続報』のブログの下段やや上に、

『(前略)当家は、真宗大谷派(東本願寺)であります。なお、その関係と両親の意向で、上記のように、その浅草の某・本願寺に 祖母 と母親 の分骨(収骨)を致しております。それで、今回、父親も 同じ その某・本願寺で 分骨(収骨)をさせて頂こうと思いました。 ちなみに、祖母の祥月命日は 約38年前 すなわち 昭和59年4月24日であります。その際、祖母は 浄土真宗の お寺の世話人をしておりまして、その関係で 真宗大谷派(東本願寺)を含めまして 4人の僧侶が見えました。その後、両親が考えまして、1ヶ所の菩提寺にしぼりました。なお、真宗大谷派(東本願寺)の僧侶(都立新宿高校定時制の教師)が亡くなりましたこともあり、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の住職の お寺であります。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、祖母が亡くなったのは 約39年前 すなわち 昭和59年4月24日であります。(後略)」と記させて頂きました。

 ときに、本日は、祖母(ばばちゃん)の40回目の祥月命日であります。 ちな みに、40年前の今日は、大学にて 自宅から 事務に電話があり 同期生を通じて伝えられ、早退して 帰宅しました。なお、この約2週間前に 大学に入学したばかりのときでありました。ついながら、誠に有り難いことに 祖母に 大学に入学したことをわかってもらえて、約2週間後のことでありました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

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