靖國神社崇敬奉賛会・続報3(英霊の「祭神之記」) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

 リンクを らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくは タップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)

 

 さて、去る5月7日(土)の「靖國神社崇敬奉賛会・続報2」のブログの上段に、

「(前略)去る 4月21日(木)の『靖國神社崇敬奉賛会・続報』のブログの上段に、

『(前略)一昨日おととい すなわち 4月19日(火)の【靖國神社崇敬奉賛会】のブログの上段に、

【(前略)靖國神社に関しましては、最近では、去る2月2日(水)の〖永代神楽祭(令和4年)続報〗のブログを記させて頂きました。

 ときに、去る3月11日(金)の〖父親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、父親が 母親に続いて 亡くなりました。それで、これまで は 靖國神社崇敬奉賛会年会費を 父親の名前で振り込んでおりましたが、当方が 引きぐことになりました。そこで、これを機に 父親の正会員ではなくて ¥50,000 円を支払って 終身正会員になろうと思います。それで、本日の午前9時の開始を待って、電話しました。そして、申し込みました。(後略)】と記させて頂きました。

 それから、電話で 丁重に申し込みをして、本日、返信がありました。それで、同封されていた 振替用紙で 終身正会員として ¥50,000 円を支払いました。

 

 

(本日 すなわち 4月21日[木]の日付が記されています)

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。そして、昨日 ようやく 3週間以上が 経過して、奉納金の受納証が届きました。それで、靖國神社崇敬奉賛会に入会すると 英霊の『祭神之記』を申し込めるというので、早速 必要事項を記入して 丁重に 手紙を添えて 速達で送りました。(後略)」と記させて頂きました。

 ところで、去る 7年前の1月30日(金)の「永代神楽祭えいたいかぐらさい 」のブログの上段に、

「(前略)伯父はくらいど丸に乗船していて、昭和20年1月29日午前6時30分、台湾海峡でアメリカ海軍潜水艦ピクーダ SS-382 の魚雷攻撃により撃沈されました。祖母が帰還兵きかんへいから聴いた話によりますと、一旦、伯父は船の甲板に上がったものの、部下が下にるので、戻ったとのことでありました。ちなみに、伯父は 伍長(二等兵曹)であり、戦死して二階級特進で 曹長になったと聞かされています。(後略)」と記させて頂きました。

 それから、去る 一昨々年さきおととしの1月26日(金)の「リハビリテーション・30」のブログの中段やや上に、

「(前略)去る1月10日(水)の『うなぎ蒲焼かばやき・42(両親の食事)』のブログの中段やや下に、

『(前略)今年は 両親の介護で 自宅に張り付いていなければならないので、長年にわたり 参加していた 来る1月29日の 靖国神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいの参加は 見送ることになりました。それで、替わりに 昨年の12月8日に 金1万円の玉串たまぐし料を奉納致しました。(後略)』と記させて頂きました。次回の訪問リハビリテーションの日が、この1月29日(月)に当たりますので、上記のように 靖国神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいの参加は 見送ることになりました。ちなみに、この理学療法士のかたによりますと、初めて 靖国神社に参拝した とのことでした。そして、特攻隊員の笑顔の写真があった とのことでした。それで、戦後は 特攻隊員の方々かたがたに対して 可哀想かわいそうと言うかたるが、それは 英霊の方々かたがたに対して失禮であって 国のために 戦ってくれて 有り難う御座ございました と感謝の念を持つことが大事とされています と回答しました。すると、誠に有り難いことに うなずいて 納得してくれました。(後略)」と記させて頂きました。

 そして、本日 ようやく 約2ヶ月が 経過して、その英霊の「祭神之記」が 届きました。ちなみに、この英霊の「祭神之記」によりますと、伯父は 軍曹(一等兵曹)になっていました。なお、思わず その英霊の「祭神之記」を いだきました。すると、自然と 涙がこぼれました。そうして、上記のように、日本国のために 戦ってくれて 有り難う御座ございました と感謝の念がいてきました。

 

 

英霊の「祭神之記」

 

 

英霊の「祭神之記」

 

 

英霊の「祭神之記」

 

 

 

 つぎ に、上の画像ように、伯父の所属部隊は 假(仮の旧字)編成第13機関砲隊であります。ちなみに、5歳くらいのときに、家族にれられて 遊園地のゲーム センターに入ったことがありました。そこで、射撃のゲームをしましたら、よく 命中しました。それで、祖母(伯父の母親)によりますと、伯父さんも 射撃が うまかったとのことでした。すなわち、上記のように 伯父が 機関砲隊に所属していたことが うなずけました。なお、射撃が うまいということは 集中力があるということですね。

 

 さて、伯父が所属していた 第12師団は、昭和11年以来 関東軍の精鋭部隊として、満州国(現 中国東北地方)東部方面の治安維持 および 満ソ国境の警備ににんじられていました。そして、時恰ときあたかも 大東亜戦争戦局の激烈化にともない、昭和19年12月 動員下令せられ、第10方面軍(台湾)戦力増強のにんを受けました。それから、同 師団は 門司に集結し、さらに 増援部隊を指揮下に入れ、航行の安全をして 全部隊を数隻の輸送船に 区分乗船せしめられました。

 ときに、上記の 伯父が所属していた 假編成第13機関砲隊などの諸部隊 総勢1,497人(内船員80人)が 混乗していた くらいど丸(5,497トン)の戦没者慰霊之碑が、長崎市・長崎県護国神社にあることを 最近知りました。ちなみに、昭和58年1月29日建立されました。

 なお、約30年前、その長崎市・長崎県護国神社の近くの道を 市営バスで通ったことがあります。ちなみに、是非ぜひ 下の画像の戦没者慰霊之碑を訪れたいと思われました。

 

 

くらいど丸戦没者慰霊之碑(長崎市・長崎県護国神社内)

 

 

 

 ときに、去る 一昨年おととしの11月19日(木)の「うなぎ蒲焼かばやき・786(野菜スープ・カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、

「(前略)一昨日おととい すなわち 11月17日(火)の『うなぎ蒲焼かばやき・784(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、

『(前略)一昨々日さきおととい すなわち 11月14日(土)の【うなぎ蒲焼かばやき・781(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや上に、

【(前略)一昨日おととい すなわち 11月12日(木)の〖消火器のリサイクル・続報〗のブログの中段やや下に、

〖(前略)本日 すなわち 11月13日(金)の〔父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・190〕のブログの下段やや上に、

〔(前略)一昨日おととい すなわち 11月11日(水)の〘うなぎ蒲焼かばやき・779(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの下段やや上に、

〘(前略)昨日も、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 二人ふたりに それぞれ 上記のように いつもの りんごりんごの100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)〙と記させて頂きました。昨日も、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 二人ふたりに それぞれ 上記のように いつもの りんごりんごの100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)〕と記させて頂きました。今回も 同様に、運搬作業員 二人ふたりに それぞれ 上記のように いつもの りんごりんごの100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。

 

 

感謝の印として 上記のように 直接 青森から取り寄せた りんごりんごの100%ジュース そして 乳酸菌飲料など

 

 

感謝の印として 持ち帰り易いように 袋に詰めて 作業員に 手渡した お土産みやげ

 

 


(後略)〗と記させて頂きました。昨日も、その某・新聞の集金人(通常 26日集金ですが、今回は 昨日 すなわち 13日、すなわち、18日も 集金が おく れました。それで、みません とのことでした)、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 三人さんにんに それぞれ 上記のように いつもの りんごりんごの100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)】と記させて頂きました。昨日も、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 二人ふたりに それぞれ 上記のように いつもの りんごりんごの100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)』と記させて頂きました。昨日も、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 二人ふたりに それぞれ 上記のように いつもの りんごりんごの100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る6月11日(土)の「菜食のおかず・78(ひじきの煮物・とうもろこし)・洗濯物」のブログの上段に、

「(前略)去る 6月7日(火)の『菜食のおかず・74(ブロッコリー)・洗濯物』のブログの中段やや上に、

『(前略)昨日 すなわち 6月6日(月)の【菜食のおかず・73(ひじきの煮物)・洗濯物】のブログの中段やや上に、

【(前略)一昨日おととい すなわち 6月4日(土)の〖菜食のおかず・71(味噌汁)〗のブログの中段やや上に、

〖(前略)本日も、その宅配便の配達員 そして 郵便配達員 すなわち 二人ふたりに それぞれ 上記のように いつもの りんごりんごの100%ジュースを あげました。(後略)〗と記させて頂きました。本日も、その宅配便の配達員 そして 郵便配達員 すなわち 二人ふたりに それぞれ 上記のように いつもの りんごりんごの100%ジュースを あげました。(後略)】と記させて頂きました。本日も、その宅配便の配達員 二人ふたりに それぞれ 上記のように いつもの りんごりんごの100%ジュースを あげました。

 

 

誠に有り難いことに、届いた りんごりんご

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。本日も、その宅配便の配達員 二人ふたりに それぞれ 上記のように いつもの りんごりんごの100%ジュースを あげました。(後略)」と記させて頂きました。本日も、その英霊の「祭神之記」を届けてくれた配達員に いつもの りんごりんごの100%ジュースを あげました。すると、その配達員によりますと、暑いですねとのことでした。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)