このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。
リンクを 貼 らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくは タップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)
さて、去る4月5日(火)の「税理士・続報5」のブログの上段に、
「(前略)昨日 すなわち 4月4日(月)の『税理士・続報4』のブログの上段に、
『(前略)去る 4年前の11月8日(木)の【税理士・続報3】のブログの下段に、
【(前略)上記の 税理士の方 と 事務員の方は、午後2時半過ぎ すなわち 約30分で 帰りました。そして、姉夫婦が、午後4時頃 帰りました。 因みに、ヘルパー(日本語:家政婦)に 追加料金と致しまして、本日 金10,150円も 手渡すことになりました。また、このヘルパー(日本語:家政婦)に、下の画像の お菓子も あげました(後略)】と記させて頂きました。なお、去る 4年前の3月6日(火)の【母親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、そのとき 母親が 亡くなりました。そして、去る3月11日(金)の【父親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、今回 父親が 亡くなりました。それで、一昨々日 すなわち 4月1日(金)の午後に、まず その事務員の方に、電話連絡しました。すると、男性が出て 本日は休みとのことでした。しかも、税理士の方も 不在とのことでした。それで、週明けの本日、その事務員の方が 出勤するかどうかを 訊きました。すると、誠に有り難いことに、本日は 出勤するとのことでした。そこで、本日の午前9時の営業開始時間を待って、電話しました。すると、女性事務員が出て、その事務員の方は 本日 出勤するが、まだ 机のところに居ないとのことでした。それで、折り返し 電話をするとのことでしたので、電話番号を伝えました。それから、午前9時4分に 電話が入りました。(後略)』と記させて頂きました。
そして、本日も、午前9時の営業開始時間を待って、電話しました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 4月28日(木)の「税理士・続報10」のブログの下段に、
「(前略)去る4月13日(水)の『税理士・続報9』のブログの下段に、
『(前略)一昨日 すなわち 4月11日(月)【税理士・続報8】のブログの下段に、
【(前略)一昨々日 すなわち 4月8日(金)の〖税理士・続報7〗のブログの下段に、
〖(前略)一昨日 すなわち 4月6日(水)の〘税理士・続報6〙のブログの下段に、
〘(前略)姉によりますと、ここの税理士は 感じが悪いとのことでした。それから、本日の午後5時3分に、その事務員の方から 当方の携帯電話に連絡が入りました。(後略)〙と記させて頂きました。
本日も、午前9時の営業開始時間を待って、電話しました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日の午後4時28分に、誠に有り難いことに、その事務員の方から 来訪する 日程のことで 電話が入りました。(後略)】と記させて頂きました。それから、本日の午後3時32分にも、その事務員の方から 電話連絡が入りました。それで、その事務員の方によりますと、誠に異例なことに 【御免なさい。電話番号を間違えて電話してしまった。】とのことでした。 因 みに、このようなことも あるのか と思われました。(後略)』と記させて頂きました。
そして、義理の兄が 月曜日と火曜日に仕事であり、姉夫婦の都合で 木曜日がいいとのことであり、本日の午後2時になりました。それで、前日 姉夫婦によりますと、午後1時に来るとのことでした。そして、午後1時4分に 見えました。 因 みに、来て 直ぐに、姉によりますと、床暖房を入れて欲しいとのことでした。それで、直ぐに 入れました。それから、姉によりますと、金は 却って 駄目との旨でした。そうして、午後1時55分に 税理士と事務員の方が 来たときに、姉は 解離(英語:dissociation)(心理学用語、以前は ヒステリー[英語:hysteria]と 云われましたが、こちらの 方が おわかり頂け易いかもしれません)して 怒って帰ってしまいました。なお、元々 姉夫婦は この税理士に対して ネガティブな評価を 当方に 繰り返し 語っていました。そこで、家政婦によりますと、誠に有り難いことに、ガス抜きになったとのことでした。しかも、この家政婦によりますと、一つのことを話すとして 姉夫婦は来ているのに、欲張って 二 つのことを話そうとしたとのことでした。
ときに、一昨々日 すなわち 4月25日(月)の『本の進呈・続報80・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)いつものように 書状を添えて その1名の方を含めまして 6名に 本を進呈しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。
上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。すなわち、上記のように、その税理士と事務員の方に 成書を進呈しました。
そして、その税理士に断って、挨拶であります。すなわち、
『去る4月24日(日)の【父親の納骨(七七日・満中陰法要)(シンクロニシティ)】のブログに、満中陰法要のことを記させて頂きました。そして、本日が、本当の七七日であります。
ときに、去る 6年前の4月7日(木)の【大東亜戦争の真実】のブログを記させて頂きました。そして、伯父が、大東亜戦争で戦没しまして、靖國神社に祀られています。因みに、去る 4月21日(木)の【靖國神社崇敬奉賛会・続報】のブログに記させて頂きましたように、靖國神社崇敬奉賛会の終身正会員になりました。それで、その伯父の生まれかわりということで 同じ名前を命名されました。その靖國神社 遊就館には 高杉晋作の遺影があり 祀られています。最初 税理士の○○晋○先生の御芳名を拝見したときに、高杉晋作を思いました。御承知のように、高杉晋作は 当時 長いものには巻かれろという 幕府に恭順しようとする俗論派に対して、功山寺で決起して 一掃しました。司馬遼太郎は まだまだと思われますが、この司馬遼太郎によりますと、思想家→行動家→技術者の系譜が革命期には存在するとのことであります。つまり、高杉晋作は、この中の行動家ということであり、明治維新の原動力になったとのことであります。なお、幕府と中国が 天皇陛下を軽んじて 日本の文化には そぐわない勢力として 共通であると見做しますと、仮に 高杉晋作が生きていましたら、親中派で媚中派である 現政権は 俗論派と同様に 取り換えられていたと思われますね。序で乍ら、高杉晋作は その後 権力の座に付かなかった 人であり、利害を超えた人でした。』以上であります。なお、皆が帰った後で、家政婦に 高杉晋作と 税理士の○○晋○の『晋』の漢字が共通しているので この話をしたと伝えて、詳細に 高杉晋作のことを説明しました。すると、誠に有り難いことに、その家政婦は 理解してくれました。
ところで、去る4月14日(木)の『マッサージ(父親)・205・後編』のブログの下段に、
『(前略)今回も 上記と 同様に、下の画像のように 急遽 おもてなしの準備をしました。因みに、感謝の印として 上記の 自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースなどを それぞれ 三人分 あげました。なお、持ち帰り易いように 袋に詰めて あげました。しかも、前述致しましたように、梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 1箱)も 感謝の印として 説明を添えて 持ち帰り易いように 包装して 手渡しました。序で乍ら、数回以上前から 第一級の情報を伝え しかも 貴重な資料も あげています。
感謝の印として 上記のマッサージ師の方に 手渡した、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを それぞれ 三人分
感謝の印として 上記のマッサージ師の方に 持ち帰り易いように 袋に詰めて あげた、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを それぞれ 三人分
用意して そのマッサージ師の方に あげた 減塩の 南高梅の梅干し(塩分 5%)
熨斗紙を掛けて 用意した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)(塩分 5%)
感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手渡した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)
感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提げ袋に入れて 手渡した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)
(後略)』と記させて頂きました。今回も 上記と 同様に、下の画像のように 急遽 おもてなしの準備をしました。因みに、感謝の印として 上記の 自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュース そして 栄養ドリンクなどを それぞれ 十人分 あげました。なお、持ち帰り易いように 袋に詰めて あげました。しかも、前述致しましたように、梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 1箱)も 感謝の印として 説明を添えて 持ち帰り易いように 包装して 税理士 と 事務員に手渡しました。序で乍ら、それらの梅干しを 先週の土曜日の午前中に注文しました。すると、午後0時58分に、その梅干しの販売店から 電話が入りました。 因 みに、その担当者によりますと、早く 配達することが 出来るとのことでした。それで、24分も電話することになりました。そこで、去る4月24日(日)の『父親の納骨(七七日・満中陰法要)(シンクロニシティ)』のブログに記させて頂きましたように、翌日は 納骨(七七日・満中陰法要)で 自宅に誰も居ないので この日は配達日にしないで下さいと伝えましたら、忙しいのに とのことでした。
感謝の印として 用意した 国産の 苺(蔕を 全て 取りました)(家政婦から 求められて、全て 家政婦に あげることになりました)
感謝の印として その税理士と事務員の方に 持ち帰り易いように 袋に詰めて あげた、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュース そして 栄養ドリンクを それぞれ 十人分以上
感謝の印として 用意した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)(塩分 8%)
感謝の印として 熨斗紙を掛けて 用意した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)(塩分 8%)
感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)
感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提げ袋に入れた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)
感謝の印として 用意した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)(塩分 7%)
感謝の印として 熨斗紙を掛けて 用意した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)(塩分 7%)
感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提げ袋に入れた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)
用意して その事務員の方に あげた 減塩の 南高梅の梅干し(塩分 5%)
感謝の印として 熨斗紙を掛けて 用意した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)(塩分 5%)
感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手渡した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)
感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提げ袋に入れて 手渡した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)
ところで、去る 3月31日(木)の『肉親の来訪・13・中編・9』のブログの下段に、
『(前略)今回、上記のように 感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)を それぞれ 姉夫婦 と 姪に あげました。
用意した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)(塩分 8%)
用意した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)(塩分 7%)
熨斗紙を掛けて 用意した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)(塩分 8%)
熨斗紙を掛けて 用意した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)(塩分 7%)
感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)
感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)
感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提げ袋に入れた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)
感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提げ袋に入れた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)
(後略)』と記させて頂きました。そして、今回 姉夫婦にも、上記のように 感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)を あげました。 因 みに、家政婦によりますと、姉夫婦は 何だかんだ言っても 梅干しが欲しいとのことでした。
用意した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)(塩分 8%)
熨斗紙を掛けて 用意した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)(塩分 8%)
感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)
感謝の印として 持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提げ袋に入れた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)
なお、去る4月7日(木)の『保険外交員の訪問・続報3(後編)』のブログの中段やや上に、
『(前略)生命保険の証券を用意していましたが、現在は 証券は 必要ないということでありました。そして、その某・営業部の支社人材育成リーダーは、その証券を 受け取りませんでした。それで、手続きが進められました。(後略)』と記させて頂きました。それから、その税理士によりますと、生命保険の証券は 回収されてしまうから ないでしょうとのことでした。ところが、上記のように、生命保険の証券は 回収されなかったことを伝えました。すると、その税理士によりますと、生命保険会社は 自分の事務所よりも 進んでいるとのことでした。
しかも、御承知のように、最近は 郵便到着に 近距離でも 2日必要です。それで、経費を負担するので 司法書士に預けた 遺言書を返送してもらう為に 速達を お願いしたいと申しましたら、驚くべきことに その事務員の方によりますと、司法書士に そのことを伝えられないとのことでした。
そのうえ、その税理士によりますと、母親は 91歳とのことでした。それで、この税理士によりますと、その母親は 孫の通帳に 税金対策として 入金しているとのことでした。そして、母親は そのように 孫に お金が渡って 大丈夫であるか 分かっているのであろうかとの旨でした。それから、義理の兄によりますと、その税理士は そう 遣って 金を隠しますねと言っていた とのことでした。
また、義理の兄が ドキドキしたいと話しましたら、その税理士によりますと 税務署は 舐めると おっかないとのことでした。そして、その事務員の方によりますと、ドキドキしない方がいいとのことでした。そうして、その税理士と事務員の方は、午後3時半頃に 帰りました。 因 みに、帰るときに 次回の予定を組もうと思いましたら、その事務員の方によりますと、スケジュール表は 事務所にあるから 今は 日程が分からないとのことでした。それで、電話してくれとのことでした。それから、義理の兄が 数10分後に 帰りました。なお、相対性理論のように 人との関わりで 生きていると話しましたら、誠に有り難いことに その通りとのことでした。但し、相対性理論は ピンと こなかったようであります。
のみならず、本当に大事なものは、お金ではなく、両親 すなわち 父母が 生活した跡なのであります。(後略)」と記させて頂きました。
それから、姉によりますと、遺言書に記載されている通り、「確かに ¥300萬円 振り込まれ いろいろ お手数をかけました。」とのことでした。
また、本日の午前9時25分 と 11時7分に、その事務員の方から電話がありました。そして、話の中で、その事務員の方によりますと、税務調査によって 悪質なときには、調査官が 裁判所の令状を持って 強制調査をするとのことでした。
ならびに、その事務員の方によりますと、相続登記の為の登録免許税(評価額の0.4%) と 司法書士の費用を含めて、¥407,088円とのことでした。但し、上記のように、速達で しかも 100歩 譲って せめて 書留で 遺言書を返送してもらうことを 再度 伝えました。しかし乍ら、その事務員の方によりますと、その為には 追加料金が必要とのことでした。因みに、驚くべきことに、こちらから 言わなければ、大切な遺言書を 速達で 送らなかったということになりますね。なお、上記のように 相続登記の為の登録免許税が請求されるということは、路線価が判明したのであると思われました。序で乍ら、義理の兄によりますと、司法書士の費用が高いとのことでした。また、義理の兄によりますと、粗大ごみのようなものを 資産として計算されては たまらんねとのことでした。因みに、下の画像は ステンレスで 錆びていない ボルト、ビス そして ナットなどが入っている引き出しですが、持って行ってもらえればと思われます。
ボルト、ビス そして ナットなどが入っている引き出し
および、義理の兄によりますと、税理士の報酬の見積もりが 出てきたら 教えてくれるかな との旨でした。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)