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さて、去る 4年前の2月1日(月)の「同期会・欠席」のブログの上段に、
「(前略)このクラス会のことを伺い、思い出したことがありました。学部生のときは、6年間 クラス委員でした。
(中略)
6回生のときには、クラス担任(脳神経外科主任教授)から 呼び出され、臨床の主任教授を集めて 各医局が ガイダンス(英語:guidance)を行う会を開催するように と言われました。それで、去る 一昨年の10月9日(木)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から大乗へ』のブログ の上段に記させて頂きました B.S.T.(bedside teaching)(臨床実習)(現在 母校では B.S.L.[bedside learning]と云い、学部生との話しによると、教えるというよりは 習うという意味が強くなったとの旨で御座います)があり、多用でしたが、前述の 1回生のクラス・コンパのときのように、会場の準備、学部生たち、クラス担任、主任教授 と 医局の方々 そして 事務への連絡を行ったりしました。当初、昭和64年(1989年)1月7
ならびに、去る 6年前の11月23日(日)の「アロマ・テラピー」のブログ の中段やや上 そして 去る 4年前の1月25日(月)の「アレルギーについての考察」のブログ の上段やや上に、
「(前略)研修医の頃に、皮膚科も 3ヶ月研修(学部生のときの臨床実習では1週間)致しました(後略)」と記させて頂きました。この母校の元・皮膚科主任教授とは、今でも、年賀状の交換をしています。
ときに、上記のガイダンスに因みまして この母校の元・皮膚科主任教授(当時は、皮膚科主任教授)が、文章を残しました。すなわち、その文章には、自分が 皮膚科を選んだ理由が書かれてありました。つまり、内科であると 自分が 肝臓が触れると 訴えても、偉い内科医が そうでないと言うと、そう診断されてしまうとのことでした。ところが、皮膚は 誰が見ても 同様なので、今の自分でも 充分 症状を主張出来るから とのことでした。しかも、皮膚科は 当直がないから との旨 でした。それで、決めたとのことでした。
ところで、正岡子規は 自分の余命が限られていると知ったときに、西洋美術に由来する「写生(つまり スケッチ)」の概念を文学に適用したとされています。若者は 経験が少ないです。しかし乍ら、若いときの方が 五感が しっかりしています。だから、充分に 勝負が出来ると思ったのかもしれません。 因 みに、この正岡子規の選択と 上記の母校の元・皮膚科主任教授の選択とは、共通点があるように 思われました。
なお、「写生」を代表するような、歌えば 情景が浮かぶ 正岡子規の短歌があります。
すなわち、複数の家政婦の前でも、暗記して 歌っていますが、
「くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針 やはらかに 春雨の降る」
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)