楽譜はとっても面白い!生業としている「楽譜浄書」を軸に、楽譜の魅力をたくさん、お伝えしていきたいと思っています。
お陰様で今年も1年、無事に過ごすことができました。お仕事としては、チャレンジの1年、だったかなと総括しています。思いがけず大きなお仕事も頂戴し、初演の機会に立ち会わせて頂くことができたことは身に余る光栄と感謝しております。引き続きご愛顧くださるお客様とのご縁にも深く感謝申し上げます。年末は、お世話になった先生の訃報に接し、はっとする思いで改めて自分の原点というものを考え直しました。きちんと恥ずかしくないよう、前に進んでいかなければと思います。来年はもう少しインプットも増やし、ブログの更新もしていけたら・・・と思いますが、知りたがりも災い?してか、一記事書くのにかなり時間を費やしてしまうため、相変わらず不定期な更新になってしまいそうです。こんな楽譜のアトリエ Clavisですが、来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
料金体系について改めて記事を・・・といいつつ日が経ってしまい申し訳ありません。参考表示額は変更致しましたが、お見積の考え方につきましては基本的に変更ございません。参考額の表示は1ページあたりとしておりますが、単純にページ数が多いと料金が高い、というわけではありません。作業工数に比例して、1ページあたりのお見積額は変動致します。密集した譜面の場合、ゆったりと配置する場合に比べてアイテムの微調整にかかる手間が大きく(=作業工数が増えるため)、ページ単価は上がります。たとえば、同じ曲を4ページでゆったり配置した場合と3ページで密集させる場合とではページ単価が異なり、トータルでのお見積額にはさほど差がございません。用途に応じて最適な密度とページ数とをご提案する姿勢はいずれの場合にも変わりませんので、ご理解いただければ幸いです。ページ数や楽譜の密度についてあらかじめご要望がおありの際には、見積ご依頼時にお伝えいただければと存じます。
先日、HPリニューアルについてお知らせしました。サービス紹介のうち、大きな変更は、「出版物作成(DTP)」サービスの追加です。実質、今までも行っておりましたサービスですが、やっとHPが追いつきました・・・。冊子として完成したものをお求めの方にもご納得頂ける内容となっております。料金体系につきましても、少し見直しをしております。これまで、参考額をほぼ底値で表示して参りましたが、プロ仕様の楽譜や、校訂に近い作業も併せてご依頼くださる方も増え、参考額とお見積額の差が大きいケースも増えてきました。お見積をご覧頂いた際に、その差に驚かれるケースもこれからますます増えると思われるため、思い切って表示の参考額を変更しました。見積のスタンス自体は、これまでと変わりございません。ひとつひとつの案件に必要な作業工数、編集作業の度合いを勘案して額を決定させて頂いております。作業工数や編集についての考え方は、改めて記事にまとめたいと考えております。よろしくお願いいたします。
長らくお休みを頂戴しておりましたが、本日より業務再開致します。再開にあたり、HPを若干リニューアルいたしました。◆実際に行っている業務内容に合わせ、サービス紹介を追加◆料金の変更といったあたりが主な変更点です。料金の変更につきましては、ご依頼いただく際の疑問や不安に直接関わってくるところかと思いますので、改めて詳細やその理由につきまして記事にさせて頂こうと思います。改めまして、楽譜のアトリエ Clavisをよろしくお願い申し上げます。
楽譜制作の実務的な工程には何段階かがあり、「楽譜浄書」「組版」「印刷」が主たるものです。Clavisにご依頼くださる方の大半は、その中でも「楽譜浄書」のみをお求めのお客様ですが、ときどき、「組版」「印刷」までのご依頼を頂くことがあります。「組版」では、専門のDTPソフトを使いますので、楽譜まわりのデザインの自由度が高いことが特徴です。たとえば、おしゃれな表紙を付けたい、楽譜と同じページにイラストを配置したい、文章の中に譜例を配置したい、といった細かなご要望にお応えすることができます。楽譜出版、教材作成などをお考えの際に最適です。このように「組版」を行ったものは、そのまま「印刷」工程へと進むことも可能です。Clavisが一緒にお仕事させて頂いております印刷会社、株式会社シュービ様は、印刷面での懸案事項や、ちょっと難しいかなと思える要望も真摯にご検討くださり、時には新たなご提案をくださったりと、Clavisにとって本当にありがたいパートナーです。専門的な見地から、腹を割ったご意見を頂けるので、私も安心してご相談ができ、より良い物を目指すことができています。「印刷」までをお考えの方も、このような体制でしっかりサポートさせて頂きますので、安心してご相談ください。
前記事の続きに少し関連しまして。昨今では、作曲家の自筆譜がインターネット上に公開されるケースも増え、演奏にあたり自筆譜を参照して研究する、などということもやや身近になりつつあります。そこで、自筆譜を見るのが好き、自筆譜に興味がある、という方にお勧めしたいのが、自筆譜を模写してみる、ということです。時間がないとなかなか難しいことではありますが。模写するということは、一見演奏と関係ない要素まで写し取らなくてはなりませんから、正直、面倒な作業ですね。が、その一見関係ない要素が、作曲家の思考の癖やこだわりを垣間見させてくれることがあります。たとえば、今回携わらせて頂いたイザイのポエム・エレジアクでは、発想標語が微に入り細に入り散りばめられていたことが印象的でした。単に発想標語が多いということのみならず、その書き方や書く位置によって、それが曲の構造と密接に関連した指示であるのか、ある音やフレーズに対して部分的にかけられた指示であるのかをきっちり示したいという意志を明確に感じましたし、ある表現を曲のどの部分まで持続させるのか、ということについても、きめ細やかな配慮に溢れていました。まるで、曲と一緒に走ったり歩いたりしているような、流れのある筆跡とも相まって、自身の頭の中で進んでいく明確な演奏のイメージを、細大漏らさず譜面に書き起こそうとしているイザイの姿が見えるような気がしました。この経験をしたからといって、演奏が変わる?曲の理解が深まる?と問われると、そこは専門ではないので何とも保証はできませんが…その曲を書くに至った作曲家の足跡や思考をトレースするような感覚は、味わって頂けるのではないかなと思います。ご興味とお時間があれば、ぜひ、お試しくださいね。
日本イザイ協会様のこちらの出版から約1ヶ月を経て。 【Amazon.co.jp 限定】ポエム・エレジアク(悲しみの詩曲)op.12 チェロ編曲版 ... 2,376円 Amazon 【Amazon.co.jp 限定】ポエムop.25室内楽編曲版 (出版プロジェクト2019) 4,860円 Amazon 浄書中のエピソードなど、少し書いていけたらと思います。こちらの2曲は、校訂ノートやあとがきなどにも触れられていますが、イザイおよびショーソンの自筆譜に立ち返っての校訂が行われています。従って、浄書作業においても自筆譜を元にした作業が多くなりました。これは本当に、浄書という仕事をさせていただく中での醍醐味だなと感じます。音符をはじめとしたアイテムひとつひとつを写し取っていく作業ですから、とにかく眺めている時間が長いです。特に今回の曲は2曲とも、ソロ楽器にヴィルトゥオーゾ的要素が非常に強く、その分楽譜も黒々としていましたので、何百回と、同じ譜面を見返しました。判読の難しい文字や音符が、本当は何と書いてあるのか。一見楽譜と関係ないメモに、どんな意味があるのか。(実は、こんな些細なことで、楽譜の整え方が大きく変わることがあります)楽典上あり得ない指示が、いったいどんな気持ちで書かれたものなのか。(記号などでよくあるパターンです。そこに作曲家のはっきりとした意図が込められており、実は浄書的な正解が別に(自筆譜の書き方とは一致しないところに)ある場合も少なくありません)そんなことをひたすら考えながら写し取っていく時間は、ものすごく集中して作曲家の意図をひしひし感じ取っている親近感と、作曲家の頭の中に近づけなくてもどかしい感じとが同時進行している不思議なひとときです。ときには、自筆譜なら難なく作曲家の意図通りに読み進められるのに、浄書という定型にした途端、(おそらく)作曲家の意図通りには読めなくなってしまう譜面も出てきたりします。今回でいうと、声部の処理が顕著でした。イザイ独特の記譜の仕方の中で見ると、曲の構造とぴったり一致した声部の処理がされているようにすんなり読めてしまうのですが、一般的な記譜法にのっとると、第1声と第2声が入れ替わってしまい、おかしなことになってしまう所がちらほらとありました。音楽的な解釈に関わる部分も出てきますので、こういった問題は、すべて校訂監修の先生と共有し、どのようにすべきか判断を仰ぎます。こういった問題の整理や峻別もまた、大事な浄書の仕事です。決して十分ではありませんが、ほんの少しでも楽典やアナリーゼ、音楽学の知識に興味をもち勉強していたことが、役に立っています。ところで、昔の手書き浄書の職人さんには、音楽学的な知識を何も持っていない(下手をすると、楽譜すら読めない)方でも、こういった問題に的確に対処されていた方、たくさんいらしたそうです。長年の勘が、教えてくれるのでしょうか。知識も深めつつ、勘も磨いていきたいものです。
いよいよ、令和が始まりましたね。平成から令和へ、という話題の中では、いつもより「浄書」という文字を目にする機会が多かったように思います。楽譜浄書ではなく、寺社仏閣の御朱印の浄書、ですが。そのお陰で、ふだん、私の中ではすっかり手垢のついてしまっていた「浄書」という言葉の本来の意味合いに立ち返ることができたように思いました。「まっさらな心で」「丁寧に心を込めて」「きちんと整える」そんな気持ちで、改めて目の前の仕事に向かって行きたいと感じました。令和の時代も、丁寧な仕事を心がけて参りたいと思います。
おかげさまで、2月以降また忙しくさせて頂き、いろいろと、形になって参りました。その中でも、浄書から装丁までを手がけさせて頂きましたものをご紹介させて頂きます。イザイ=クニャーゼフ「ポエム・エレジアク op.12 チェロ編曲版」(校訂:永田郁代、出版:日本イザイ協会) 【Amazon.co.jp 限定】ポエム・エレジアク(悲しみの詩曲)op.12 チェロ編曲版 ... 2,376円 Amazon ベルギーのヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイが遺した「ポエム・エレジアク(悲しみの詩曲)op.12」。シェークスピア「ロミオとジュリエット」に着想を得たこの曲は、暗く叙情的なメロディが多彩に展開し、ヴァイオリンならではの魅力を存分に秘めた素晴らしい曲です。この曲をチェロ用に編曲し、2011年、CDリリースしたのが、ロシアのチェリスト、アレクサンドル・クニャーゼフ氏です。(CDを手に取る機会がありましたら、ぜひこちらもお聴き頂きたいのですが、チェロの低く深い音色によって、この曲の新たな魅力が引き出されています!)そして、日本イザイ協会様の手により、クニャーゼフ氏の編曲版を出版しようという試みが、今回手がけさせて頂いた楽譜、でした。日本イザイ協会の自主事業としての小ロット出版ゆえ、印刷上の制約こそありましたが、クニャーゼフ氏からご提供頂いた運指運弓指示や、イザイ自身による自筆譜の検討など、とても意欲的な内容の楽譜です。当サービスも、それに恥じぬよう、自分にできる最大のクオリティでの浄書・編集作業をさせて頂きました。表紙の意匠ひとつとっても、日本イザイ協会様のこだわりが詰まっています。また、当サービスでお願いしております印刷会社様も、できる限り市販譜のクオリティに近いものを出したいという熱意を汲んでくださり、用紙の手配から印刷の微妙な調整まで、多大なご尽力をくださいました。たくさんの人の手と想いと工夫が詰まった一冊です。チェロ、ピアノをなさる方をはじめ、多くの方々にぜひ、お手に取っていただければと思います。
年が明けてからのバタバタとした日々が、すこし落ち着きを取り戻しました。この1ヶ月半ほど手掛けさせて頂いたお仕事はいずれも内容の濃いものばかりで、常に手と頭をフル回転していたような気がします。もちろん大変ではありますが、とても充実した1ヶ月半でした。3月から4月にかけて、順に形になっていきます。まだまだ調整が続きますが、楽しみです!HPの内容も更新しなくてはと思いながら早◯ヶ月。新しいサービスのご案内もありますので、できるだけ近いうちに更新致します。新規のご依頼も、受付再開致しました。2月〜3月まで、多少の余裕がございます。浄書や教材作成をお考えの方はぜひお問い合わせください。
少し間が空いてしまいました。お陰様で、やり甲斐のあるお仕事を頂き、楽しく作業させて頂いています。それらに伴いまして、2月半ば頃まで、いったん新規のご依頼を閉じさせて頂きたいと思います。勝手な都合で申し訳ございません。どうぞよろしくお願い致します。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年のカレンダーは、年末までに既に用意をしていたのですが、お知り合いの方に教えて頂いた「偉人の筆跡カレンダー」。今年はショパンとのことで、どうしても欲しくなり、販売店に問い合わせました。人気商品とのことで在庫切れのお店も多かったのですが、手に入りましたよ。各月の自筆譜の解説もついており、眺めているだけで嬉しくなるカレンダーです。出典をたどって、本を読んでみる楽しみもできました。過去のラインナップを見ましたら、作曲家、音楽家を取り上げている年も多いのですね。これからも取り上げられる年があるかしら、と楽しみです。自筆譜といえば。楽譜浄書という仕事を始めて嬉しいことのひとつは、このカレンダーのような特別な機会でもない限りほとんど世に出ることはない、作編曲家の方々の自筆譜を目にすることができることです。個性豊かな筆跡、書き癖。年賀状に添えられた一言を見るとき、友人や親戚の顔や仕草が思い浮かぶように、自筆譜から、私たちだけが受け取れるニュアンスを大事に、今年もお仕事していきたいと思います。本年も、楽譜のアトリエ Clavisをどうぞよろしくお願い申し上げます。
お陰様で今年も、無事年末を迎えることができました。数ある浄書サービスの中から楽譜のアトリエ Clavisをご利用くださり、またご興味を持ってくださり、誠にありがとうございました。12/28〜1/6まで、お休みを頂戴致します。もちろん、既にお受けしておりますお仕事につきましては、引き続き納品に向け作業して参ります。また、お休み中も、お見積のご相談はお受けしております。ご遠慮なくお問い合わせくださいませ。平成最後の年末年始が皆様にとって楽しいものとなりますよう。来年もどうぞよろしくお願い致します。
昨日のクリスマス。皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。今年はクリスマス曲集の制作に比較的多く関わらせていただいたので、それらがいろんなところで活躍しているといいなと思いながらのクリスマスシーズンでした。さて、年末もいよいよ大詰め。大掃除、ならぬ、過去の浄書関係の書類を整理しています。スクール時代の課題。見返していると、「わぁ〜こんなこともできていなかった」「こんなに突っ込みどころ満載のものを提出していたとは」我ながらびっくり、赤面するようなものが次々出てきました。自分で突っ込めるようになっただけ成長した、ということでしょうか。といっても、幼少期お世話になったピアノの先生のレッスンは、ソルフェージュに始まり、作曲その他、楽譜を書く機会が比較的多かったのです。符尾の長さは1オクターブ分など、基本的な記譜ルールも、きちんと教わったほうだと思います。自分自身でも、楽譜を書くことは以前から好きでした。アナリーゼなども好きで勉強していましたから、自分でいうとちょっとおかしいですけれども、楽譜のもつ音楽的な意味についても、極端に鈍感なほうではなかった、と思います。それが、実際、「出版に耐える楽譜を書いてみましょう」となると、ページが真っ赤になるほど添削が入るものしか、書けなかったのです。それくらい、浄書のルールというのは、音楽を楽しむ人々からみて、浮世離れしたところがあるのですね。実際問題、浄書のルールには、出版上の美学といいますか、本質的には音楽と関係ないルールも存在しますので、すべてのルールを知る必要はまったくないと思います。ですが、浄書ルールを知ったことで、たとえば趣味のアレンジで楽譜を書く時なども、本当に迷いがなくなりましたし、楽譜の読み方、理解の仕方が上手になったなという実感もあります。浄書のルール(というよりは哲学のようなものでしょうか)を知ることは、音楽を愛する方々にとってけっこうメリットがあるのではないかな、と思っています。それをうまく伝えられるようになるには、まだまだ頭の整理が必要だなと感じますが、自分なりに、表現のしかたを見つけられる日がくるといいなと思っています。
突然プライベートな お話ですが。私の祖母は、歌が大変好きな人でした。クラシックの、メロディーの美しい曲を好み、よく口ずさんでいました。祖母(大正生まれ)の年代にしては、ドイツやイタリアの歌曲をよく知っており、子供心に不思議に思っていました(そしてそれがちょっと自慢でもありました)。また、歌詞が、孫の私たちの世代ではほとんど聞いたことがない、日本語の歌詞。どこでこんな歌詞を覚えたのかしらと、これまた不思議に思っていたものです。あとから聞いた話では、私の母が小さかった頃に、近くの教会で行われていた歌の学校に通っていた時期があったとか。戦後間もなくから地域の文化振興を目的とした活動を熱心に行っていた教会で、歌の学校もその一環だったようです。まだピアノも一般家庭には行き渡っていなかった時代のこと。「教会に行けば、オルガンの伴奏付きで、身近にはなかなか聴けないクラシックの歌をたくさん教えてもらえる」それはきっと、心踊る体験だったに違いないと思います。戦後の復興期、まだまだ生活も大変な時期に、こんなにオープンで豊かな音楽空間があったのだと思うと、心温まるような、ちょっと羨ましいような、なんとも言えない感慨を覚えます。楽譜のことに少し触れますと・・・おそらく、この歌の学校で使われていた楽譜は、セノオ楽譜ないしセノオ楽譜を初出とする改訂楽譜だったのではないかと、実は最近怪しんでいます。というのも、セノオのピース楽譜で初めて収録されたらしい日本語歌詞と、祖母の口ずさんでいた歌詞とが、複数曲ほぼほぼ同じだからです。実際に使われていた楽譜がどこのものだったのかは、今となっては知る由もないのですが、セノオのピース楽譜が、歌曲を中心としたクラシック曲を広く一般に紹介することを目指した楽譜であったことを思うと、その系譜になる楽譜が、もしかしたらこういった場で使われていたかもしれないと想像するのはとても楽しい瞬間です。楽譜の仕事をするようになり、昔の楽譜にも興味が出てくる中で、思いがけず、祖母との思い出に出会うことになりました。縁とは不思議なものだなと思います
午前中、HPにてリンクさせていただいているサイトの紹介をアップデートする作業をしていました。改めて、興味深いサイトがたくさん。リンクさせていただきありがたいです。ぜひ!皆様にも見ていただきたいです。そして、また見惚れる、ヘンレ社のエングレービング(版刻浄書)作業の様子。今流通しているものは違うのですが、この版刻された金属板を直接印刷機にかけていた時代の楽譜は、版下の溝の深さによってインクの乗り方が変わることから、なんともいえない格調高さと立体感を醸し出します。この特別感。これほど楽譜が身近に流通する時代では薄れてしまった感覚かもしれませんが、どんな楽譜でも、やはり、それを手に取った方にとって、いつでも、いつまでも、特別な宝物であり続けてほしいと感じます。今日も丁寧に。ひとつひとつお仕事に向き合いたいと思います
先日、所用のついでに印刷博物館を訪れました。ずっと行きたいと思っていたところなので、念願叶って!です。印刷術の発展と楽譜浄書の発展には切っても切れない関係があります。しかも今は、「天文学と印刷」という、まさに印刷術発展の歴史をたどる企画展示の真っ最中(来年1月20日(日)まで開催されています)。運良く訪れる機会ができ、よかったです大量印刷に耐える活版印刷の誕生が、人々が知識を得る手段を大きく変えたこと。精緻な図版印刷技術の発展が、人々の物事の理解の次元を大きく開いたこと。印刷技術の発展が、それ以前とはまったく異なる知の世界を作り出したことが、多くの印刷物とともにずっしりと伝わってきました。学問を究める一方で、印刷術の改良にも力を注いだ学者たち。学問への深い理解の上に切磋琢磨した印刷技術者たち。新しい知を世界に広めたいと願った先人たちの強い思いにひたすら圧倒された展示でした。音楽は、中世には天文学と並んで重要とされた学問領域のひとつ。楽譜印刷の発展にもやはり、音楽家や音楽研究家の手による印刷術の改良が欠かせなかったことを思うと、きっと、「音楽を世界に広めたい」と考えた先人の強い思いが、そこにはあったのでしょうね。改めて、楽譜印刷の発展に寄与した人々にも思いを馳せる時間となりました。展示の中に、楽譜も!ありましたよヨハネス・ケプラーの「世界の調和」。惑星の進行には和声的な調和が見られるとの考察を書いた本(理解が不十分なので適切なまとめになっているかわかりませんが・・・)。ちょうど、ドリアやミクソリディアなど、教会旋法の譜例の載ったページが展示されていました。活字を精巧に組んで印刷された譜例の数々は、いつまでも見ていられるような美しさでしたよ。いつか、今回と同じような企画で、「音楽と印刷」「楽譜と印刷」なんていう展示。やってくれたらいいのになと思いましたそういえば、印刷博物館では、本日より展示が始まる「世界のブックデザイン」のワークショップとして、来年1月27日(日)に、製本体験ができるようです(事前応募が必要)。昨日の記事でルリユールのことを書いたばかりだったので、ちょっとした偶然に嬉しくなりました
絵本作家、いせひでこさんの描く絵本がとても好きです。その中でも特に好きなのが、ルリユールおじさん。ルリユールおじさん (講談社の創作絵本)1,728円Amazonルリユールとは印刷された本の背を綴じ、表紙を取りつける専門的な製本作業のこと。壊れてしまった大事な本を直したくて困っていた主人公の女の子と、ルリユールを生業にするおじいさんとの出会い、心の交流を描いた絵本です。いせひでこさんの絵本はどれもそうなのですが、世間の片隅にひっそりとある、静かで温かい世界の豊かさをそーっと大事に描いていて、読んだ後に気持ちがとても柔らかくなります。この絵本を読むまで、ルリユールという専門の職業があることを知りませんでしたが、この方たちの手で、たくさんの本が、それを愛する人たちのところに送り出されていたのだなと感慨を新たにしました。楽譜も、特に浄書は、できれば何十年、何百年と大事に愛されるものにしたいという思いで作り上げるものです。何気なく手に取る楽譜にも、制作に関わるすべての人々のそんな思いが込められていることに、ほんの少し思いを馳せていただけたら。ルリユールおじさんを読み返しながら、そんなことを思ったのでした。ちなみに、いせひでこさんはチェリストでもいらっしゃるので、チェロを題材にした絵本も出されています。チェロの木チェロの木1,620円Amazon1000の風・1000のチェロ1,404円Amazonチェロの木は、ルリユールおじさんにも通ずる職人の世界を描いた物語。1000の風・1000のチェロは、大事な心の友を亡くした男の子と阪神淡路大震災で被災した女の子との出会いから、復興支援コンサートを通じて人々の心が触れ合い通じ合っていくまでを描いた物語です。どちらもお勧めしたい、素敵な絵本です(他にもまだまだあり、止まらなくなるので、音楽縛りでここまでとしました)
先日の楽譜セミナーで話題にあがった、日本の楽譜出版の先駆け、「セノオ音楽出版社」。神戸にある、民音音楽博物館 西日本館にて、実物を見ることができる展覧会が開催されています。「セノオ楽譜~竹久夢二とその時代の音楽」展セノオ楽譜といえば、ピース楽譜。当時さまざまなクラシック曲を1曲ごと冊子にし、比較的安価で売り出しました。一般にも求めやすい値段であったにも関わらず、装丁は竹久夢二など当時の売れっ子画家・デザイナーが多く手がけ、浄書もとても美しい、質の高い楽譜です。浄書はハンコ浄書。現代の日本の浄書に通ずる美意識を感じます。表紙がリソグラフィによる美しいカラー印刷だったことから、従前よりコレクターが多く、現存する楽譜が比較的多いセノオの楽譜ですが、たくさんの楽譜を一度に見られる機会はなかなかありません。音楽大学の図書館等では、セノオ楽譜を多く収蔵していますので、訪れて閲覧することも可能ですよ!昨年、東京でも展示があったようですが、チェックを怠っていて、訪れることができませんでした今回も、遠方なので訪れることは難しそうですが、またいつか、こんなイベントが企画されたら嬉しいなと思います。
先日の楽譜セミナーでご一緒させていただいた中のお一人は、リフォームやインテリアのプランニングをお仕事にされている方でした。先日のセミナーに関連して、素敵な記事を書かれていたので、許可を頂いてリブログさせていただきます栗山さんとは、帰る道々の短い時間ですが、直接お話もさせていただくことができました。手書きの図面の線には、コンピュータにはなかなか真似できない独特の味、見やすさがあることなど、図面と浄書の共通点についてお話が盛り上がりました。手書きの譜面(図面も)は、筆圧の強さだったり、描画の勢いだったり、そういったことによって、パソコンののっぺりした線には出せない立体感を持っています。いろんなアイテムの配置や角度など二次元のレベルなら、パソコンでも手書き浄書と同水準の浄書は可能なのですが(スクール時代から、最低そこまでは目指すよう常に教えて頂いてきました)、わずかな陰影の差など、手書き浄書ならではの浮き出るような立体感は、パソコンではなかなか再現できない部分なのです。手書き浄書にちょっとした嫉妬のようなものも感じつつ(笑)、わずかな配置の差などを利用して、手書きと遜色ない!と言われる譜面を目指し奮闘する日々。そんな感覚を共有してくださる方に出会うことができ、とても嬉しかったです。(紙質や色使いなど、図面や譜面の中身とは直接関係ないところも含めて)「形のない、でもワクワクする何か」がお客様の中に鮮やかに浮かぶものを作り上げたい。そんな想いはきっと、図面と譜面とで、共通なのだなと思いました。CADとfinaleの共通点についても、また詳しくお伺いする機会があれば嬉しいなと思いつつ。栗山さま、ご一緒させていただき、ありがとうございました