こんにちは。

 

今回は真の日本人とはどのようなものか、そのためには何をするべきかを解説していきます。

 

一、日本は現代イスラエル

二、西洋かぶれをやめよう

三、聖書を学び主なる神に立ち帰ろう

 

一、日本は現代イスラエル

日本の起源について、我が国の学校の歴史教育では、縄文人だの弥生人だの大陸からの渡来人だのと教えられているかと思います。しかし、学校の歴史教育自体が政府が捏造したものであり、縄文・弥生時代という時代区分は存在しません。

極論を述べると、四十六億年前に起きたと言う所謂ビッグバンで宇宙が誕生した冥王代から人類が誕生したと言う新生代までの恐竜やマンモスなど絶滅したと教える太古の生物が栄えていたとする地質時代、人類が同じ霊長類の猿から進化して誕生した先史時代も存在しません。これらは、悪魔崇拝者のチャールズ・ダーウィンの進化論に基づく嘘であり、人々を聖書の教えから遠ざけるために作られたものです。

ここで、真の聖書福音と預言のミカエル氏の記事より文章を引用します。

聖書と当ブログをご愛読いただいている方には言うまでもないと思いますが、この世には終わりがあるということです。過去のエノクとエリヤ、キリストの再臨時にごく少数の神の民だけがあずかる携挙を除き、この地上で人が生まれたら必ず死ぬのと一緒で、この世にあるすべてのものにはどんなことでも始まりがあれば終わりもあるのです。これから更に何千年、何万年とこの世は続いていくのではありません。今までの地上歴史は六千年もありません。科学者が言うことを真に受けて教科書等に載っているように、約四十六億年前に地球が誕生し、恐竜がいて、氷河期で絶滅、あらゆる生物は長年進化して変化し、人間も猿からネアンデルタール人、クロマニョン人等と変わってきたと思い込んでいる人がいるでしょう。いつまでそんなバレバレの嘘をいい大人になっても信じ続けているのですか。今存在する猿は何ですか。現代の猿、ゴリラ、チンパンジー、オランウータン等は進化し損なったとでも言うのでしょうか。何故猿と人間の中間層がいないのでしょうか。あなたは一度でもその中間層の猿でも人間でもない存在を直接見たことがありますか。そして、何故人間が最終形態と決めつけられるのですか。仮に猿が進化する位なら、人間も機械抜きに生物的に更に進化していないとおかしいのではないですか。どう頑張っても猿は猿であり、人間にはなれません。人間も人間のままです。もうそんな進化論というゴミ理論の嘘に気付いて、悔い改める時が来ています。ダーウィンやその家族もフリーメーソン絡みで、彼らが反キリスト故に聖書と相反する言説を考案し、世の中に普及させて人々を騙していたのです。

引用元:無神論者の問題、偽りの聖職者と教会制度 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

このように、この世の歴史は六千年にも達して居らず、政府の御用達の科学者が唱えてきた地球は四十六億年前に出来たビッグバン理論や生物の進化論は嘘であることが分かります。

 

前置きが長くなりましたが、日本人の出自について、聖書とミカエル氏のブログの読者の方は知っての通り、古代イスラエル民族の末裔であります。ここで、聖書の御言葉を見てみましょう。

 

旧約聖書 イザヤ書 二十四章十五節(ミカエル氏訳)

それ故、東で主の栄光を讃えよ。海の島々でイスラエルの神、主の御名を。

 

旧約聖書 イザヤ書 四十二章十節(ミカエル氏訳)

新しい歌を主に向かって歌え。

地の果てから主の賛美を歌え。

海に下って行く者、海にいるものすべて

島々とそこの住人たちよ。

 

引用元:日本は多民族国家、日本人の一部は古代イスラエル人 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

 

 

 

 

画像引用元:目を向けるべきは聖書のみの画像 (ameblo.jp)

 

中東のイスラエルからして、東の海の島々とは東南亜細亜のフィリピンやインドネシアなどではなく、極東の日本だということが分かります。即ち、イスラエル民族は北のイスラエル王国がアッシリアに滅ぼされる際に、当時の預言者イザヤの預言に従って、大陸の絹の道と海の道を横断して、東の海の島々の日本列島に至ったわけです。日本各地に点在する古代イスラエルの痕跡は数え切れないくらいです。詳しくは真の聖書福音と預言のミカエル氏の記事「日本は多民族国家、日本人の一部は古代イスラエル人 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)」が参考になりますので、是非一読されることを推奨します。

 

二、西洋かぶれをやめよう

日本は英米の資本家に煽動された薩長土肥の討幕派が引き起こした明治維新の国家転覆で英米の植民地となって、明治政府が推進した西欧化政策で日本人は洋服を着るなど西洋文化を嗜んで西洋かぶれするようになりました。明治維新は日本を近代化させたと同時に本来の日本文化が破壊された最悪な時代でもあったのです。明治から大東亜戦争の終戦までは洋服は高級品であり、庶民にとっては高嶺の花だったため、和服を着る人は今ほど減ってはいませんでした。しかし、戦後のGHQによる占領政策で日本文化が悪い教える洗脳教育により、日本人は和服を捨てる人が増え始めて、日本人の多くは時代劇や歌舞伎、能楽での演技、呉服屋と和風旅館の制服など仕事着、又は親族の冠婚葬祭や世間で言う正月(太陽暦由来で間違い)、ひいては成人式などの祝い事でしか着なくなり、和服を普段着として着る人は今や絶滅危惧種となりました。では、聖書を見てみましょう。

 

旧約聖書 民数記 十五章三十七節~四十一節 新共同訳

主はモーセに言われた。

イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。

代々にわたって、衣服の四隅に房を縫い付け、その房に青いひもを付けさせなさい。それはあなたたちの房となり、あなたたちがそれを見るとき、主のすべての命令を思い起こして守り、あなたたちが自分の心と目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。あなたたちは、わたしのすべての命令を思い起こして守り、あなたたちの神に属する聖なる者となりなさい。わたしは、あなたたちの神となるために、あなたたちをエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である。わたしはあなたたちの神、主である。

 

律法の規定に衣服の四隅に青い紐と房を縫い付けるようにとあり、一般的な洋服ではその律法の規定を遵守できるような物ではないです。しかし、和服は律法の規定に合致しており、画像の通りに特に平安装束こそがイスラエルの名残があると感じます。

 

画像引用元:律法遵守は信仰の証しと復活 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

 

今の時代では平安装束は高額すぎて買うのは難しいのかと思います。そのため、和服であれば平安装束だろうと江戸装束だろうとどちらか一方に拘る必要は無いと思います。江戸装束でも青い房を縫い付けられるのであれば問題ないと思います。

 

新約聖書 マタイによる福音書 六章二十五節~三十四節 新共同訳

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

 

主イエスは食べ物や服のことで思い悩むことは無いと言っており、何よりも神の国と神の義を求めることが重要だと教えられています。ですから、どんな和服を着ようか、どんな風に着飾ろうかなと考える必要は無く、寧ろするべきではないのです。拙者は遅れながらも和服を普段着にしてから約一ヶ月経ちましたが、周りの目は気にならなくなりましたし、顔見知りの人は最初は違和感を覚えた人も居ましたが今や慣れている様子でした。和服を着ているとようやく日本人らしく生きる一歩を踏み出せたと実感できます。上記の主イエスの教えを曲解してか、衣服については洋服でも良いじゃないかと考える人はいるかも知れませんが、それは大間違いです。

 

新約聖書 マタイによる福音書 五章十七節~二十節 新共同訳

わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」

 

新約聖書 マタイによる福音書 七章二十一節~二十三節 新共同訳

わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』

 

旧約聖書 ゼファニヤ書 一章八節 新共同訳

主のいけにえの日が来れば

わたしは、高官たちと王の子らを

また、異邦人の服を着たすべての者を罰する。

 

このように、主イエスは律法を廃止するとは言っておらず、律法を守らない不法を行う者達を弁護せずに見限ると言っており、主なる神からすると、律法の規定に反する洋服など異邦人の服を着ることを忌まわしく思っており、主なる神が滅ぼす対象でもあることが分かります。たかが衣服だからといって、軽んじるべきでは無いことが分かります。

日本人は日本が建国された紀元前六百六十年辺りから明治維新が起きた千八百六十八年までの二千五百年余りも和服を普段着として着てきました。イスラエル民族が日本に上陸する前に遡ると、イスラエル王国の時代、士師の時代、出エジプトとカナン征服、モーセ以前から律法が存在すると考えると、エデンの園からアダムとイヴが追放されて服を着始めた時代まで遡ると何千年もの間、義人達は和服を普段着として着てきたと思います。そう考えると、和服こそが世界最古の民族衣装と言えます。洋服など異邦人の民族衣装の歴史は和服よりも遙かに浅く、日本人は勿論ですが、キリスト道を歩むと決めた異邦人も世界最古の民族衣装たる和服を着るべきです。当の日本人が和服を着ないのが可笑しい限りです。

和服に限らず、日本の伝統の食生活たる和食も世界に誇れる食文化でもあるのです。昨今ではコロナワクチンの伝播の解毒に効果的であるとされて、意図的に健康被害が引き起こされて日本政府による和食潰しが推進されています。自家製の漬物も健康被害を理由に販売が規制されて、紅麹も小林製薬に対する風評被害の影響で敬遠されるようになり、今度は納豆までもが納豆菌が危険であることを理由に潰されようとしています。拙者としては日本の伝統文化の和食を潰そうとする日本政府こそが国賊であり、日本人の敵であると考えます。また、健康被害の原因はコロナワクチン接種による免疫低下と5Gの電磁波による殺人の可能性が高いと考えます。小林製薬の件は国産の遺伝子組み換えワクチンの開発を拒否したために悪徳医療業界と悪徳製薬会社にとって不都合と見做されて、健康被害の罪を擦り付けられただけの冤罪に思えます。小林製薬の紅麹サプリのことを批判するのであれば、コロナワクチンを開発したファイザー社とモデルナ社、アストラゼネカ社とジョンソン・エンド・ジョンソン社、そして、コロナワクチン接種を推進した日本政府と医師会の方こそが批判されるべきです。和食の自家製漬物や小林製薬の紅麹サプリはほんの少しの健康被害が起こされただけで規制されるのに対して、大勢の死者を出しているコロナワクチンが規制されないのは不条理です。本来ならば、コロナワクチンを開発した製薬会社とコロナワクチン接種を推進した日本政府こそ処罰されるべきです。しかし、検察の長は裏金議員全員を不起訴にしたくらいに腐っているので、司法は地に落ちたのは明白かと思います。ですが、そうした腐敗した日本政府の悪行に声を上げる人が少なければ、奴らの思う壺です。我々の対抗策としては、政府が改憲と全ての悪法を撤回するまで一切の納税を拒否する同盟罷業(ストライキ)を起こすことかと思います。株主に当たる主権者は我々国民であり、経営者に当たる政府には無いからです。だからこそ、納税をするか否かは本来は我々国民の自由なのです。納税と言っても、消費税や固定資産税、森林環境税など憲法の条文と矛盾する税金が多いと言う違和感に気づくことも大切です。馬鹿正直に税金を納めるようでは政府の思う壺であり、奴らを付け上がらせるだけです。最近の税金が高すぎて生活が苦しくなって不満を持っている人もいるかと思います。もし、読者の方でそうした方が居るのであれば、この記事の内容を多くの仲間に周知して下さい。そうして、納税拒否仲間を募って、政府に全力で抗議するべきです。

 

三、聖書を学び主なる神に立ち帰ろう

日本人たる者は和服と和食など日本の伝統文化を愛して、西洋かぶれを止めることは勿論ですが、それだけでは不足です。上述したように、日本人こそが最も聖書と関係の深い民族であり、日本人こそが最も聖書を読むべきなのです。イスラエル民族の末裔である日本人は崇仏派の蘇我氏が異教の仏教を取り入れて以来、異教の神を信仰するようになって主なる神への信仰から離れていきました。神道もユダヤ教(本来はユダヤ教なる概念は聖書に無く、主なる神への信仰として便宜上用いる)の名残があるのですが、神仏習合という仏教との融合で徐々に異教化していき、今では堂々と偶像崇拝をする異教に変わり果ててしまいました。旧約時代には主なる神が遣わした預言者はいましたが、大多数の民衆は頑なに聞き入れずに悔い改めなかったためにイスラエル王国が滅亡する憂き目に遭いました。日本でも偶像崇拝するようになり堕落した時でも、恐らくは主なる神は預言者を遣わされたのかもしれませんが、時の権力者に不都合である故か歴史書に記録されていない可能性が高いです。日本人が長らく聖書に触れられなかった理由は、仏教を信仰して堕落した歴代天皇とその取り巻きの蘇我氏と藤原氏がその元凶に思えます。戦国時代にキリスト教が布教されたと学校では習いますが、フランシスコ・ザビエルはイエズス会の上層部で日本で諜報活動していた敵です。何よりも、彼らが布教したのは聖書の教えであるキリスト教ではなく、聖書の教えと古代の太陽神崇拝を融合させて作ったカトリックと言う名の異教であるパウロ教です。戦国時代から江戸時代初期までに切支丹が激増したと言われており、一見すると聖書の教えに立ち返る日本人が増えたと考える人が多いとは思いますが、そもそも聖書の教えを遵守していない偽キリスト教であるため含めません。桃山時代と江戸時代を豊臣政権と江戸幕府による迫害が起きた暗黒時代だと記憶するカトリック教徒はいますが、迫害されて殉教しても、間違った信仰をしているようでは無意味ですし、主なる神に同情されませんし、救われることもないのです。明治になって禁教令が廃止された後になって、明治元訳聖書が出版されて日本人が本当の意味で聖書に触れる機会が訪れました。これぞ主なる神の憐れみに思います。日本に限らず、キリスト教を国教としていた欧州諸国も中世時代はローマ教皇が政治的・宗教的に絶大な権力を持ち、真の聖書福音に基づいてカトリックに逆らう人々は迫害されていた暗黒時代であり、聖書を読めたのは自称聖職者など本当にごく一部の人だけでした(尤も聖職売買で地位を手に入れただけで聖書の知識すら知らないド素人の自称聖職者もいましたが)。そう考えると、十二使徒と彼らから直接教えを受けた真のキリスト者達が世を去った古代の三世紀辺りから聖書の教えはローマ教皇とカトリックに歪められて、本当の意味で聖書を知る機会は奪われていたように思えます。ここで、ミカエル氏の記事を引用します。

 

何故ジュネーブ聖書は知名度が低く、広まらんのか。欽定訳聖書が千六百十一年に発表された後も庶民にはジュネーブ聖書が読まれ続け、千六百四十四年頃にイングランド王ジェームズ一世の息子であるイングランド王チャールズ一世と議会との対立が激化して英国で内乱があって以来、ジュネーブ聖書が政情不安を理由に印刷停止されて以降は広まらなくなって衰退した。そして、内乱収束後は欽定訳聖書(KJV)が躍進していった。このように、意図的にジュネーブ聖書が後世に普及せんかったんは、英国王と英国国教会やカトリック教会の目論見が隠れていることは明らかや。欽定訳聖書が生まれた経緯は、ジュネーブ聖書の脚注にローマ教皇が黙示録十三章の獣の正体であるとか、ローマが大いなる都市バビロンである等が書かれてることにある。中世時代の初期プロテスタントたちはカトリック教会とローマ教皇に抵抗し、宗教団体としての教会よりも聖書に依拠する姿勢を示し、ローマ教皇こそ黙示録の獣と考えていた。ジュネーブ聖書が広まるのは当然カトリック側には不都合な情報が広まることに等しく、明らかに当時カトリックの影響力が強かった英国においてイングランド王ジェームズ一世や英国国教会やカトリック教会関係者、秘密結社等といったその取り巻きの悪魔崇拝者どもが結託してジュネーブ聖書を葬るために別の権威ある聖書を作ってそれを定着させようとしたと考えられる。現代に至るまでローマ・カトリック教会やイエズス会が自分たちの正体を隠すために意図的にジュネーブ聖書を普及させへんようにし、当時の注釈を残して現代語訳して普及させることも許さず、長年受け入れられた原典であるTR底本を退け、TR底本を改ざんした改訂版としたRV底本を基に訳された現代語訳の聖書を普及させた。このように、悪魔崇拝者である世の為政者たちや宗教指導者どもが意図的に正確に訳した聖書を世に広く出さんようにし、改ざんしたものを普及させた。また、拙者のようにその悪行を指摘し、主張し、抗う活動も長年キリスト教の業界において過去に無かったし、今も無い。たとえ言うてる人が居ても、大衆の目に殆ど触れへん一般人のごく少数に留まる。そのことは、真のキリスト者がキリスト教の業界において長年出現せず失われた状態であったことの証拠でもある。誰も聖書を注意深く研究しようとせず、熱心に複数回通読して聖書を学ぼうとせず、漫然と世の諸教会の自称聖職者どもの言うことを真に受けとんやろ。何故、拙者のような指摘をする者が、過去及び現代キリスト教の界隈に一人も居てへんのや。中世時代の欧州では、ラテン語訳聖書からの翻訳を認めず、ラテン語等が分かる自称聖職者や学者どもしか聖書を読めへん状態にし、聖書を勝手に翻訳することを犯罪と勝手に決めつけ、意図的に大衆が聖書を読んで理解出来へんような状況に置き、彼らの許可無く聖書を翻訳することや個人で所持することを禁じた。それ故、地上の諸教会の自称聖職者が語ることを通してのみ、聖書を知るようにしとった。聖書を知りたいと願う英国庶民は自称聖職者等を頼りたくなくても頼らざるを得ない状況に追い込まれていた。このような経緯で英国のキリスト教会においては、聖書の教えから外れて自称聖職者の都合のええことを吹聴し、それを大衆に信じさせるという大規模なカルト宗教として長年はびこり、これは現代のキリスト教界全般においても言えることや。それにしても、このような所業は、世の諸教会と自称聖職者どもらによる悪しき専制支配でしかあらへん。宗教における共産主義と言える。中世時代は政教分離せず、カトリック等のカルト宗教が国王や政治と密接に関係していた。カトリックこそ主イエスや聖書の教えに反する異教の分際にも拘らず正統ぶって異端審問をして、カトリック勢力から一方的に異教徒だの異端者だのと看做されるだけで逮捕、投獄され、非人道的な方法で拷問や処刑がなされた。こない権力を振りかざし、人権や自由を不当に抑圧し、残忍な行いや人殺しも辞さへん彼らこそ悪魔崇拝者であることは明白でしょう。そうでなければ、こない傲慢で残虐非道で、かつ、忌まわしい事が起こるはずもない。こういうのを聞いて、キリスト教は邪教なんて思うかもしれへんが、それはカトリックという異教が悪いのであって、聖書やイエス・キリストの教えが悪いのではない。聖書にカトリックや英国国教会等の悪行を肯定するような教えは一切書かれてへんし、人を殺すなとか裁くなと聖書にはあり、世の諸教会関係者がそれを破ってるのは明白やろ。実際、カトリック、正教会、現代プロテスタント、英国国教会等はまったく聖書の教えに忠実やないで。中世時代は、ジュネーブ聖書が広まるまでは聖書が民衆に普及せず、たとえ普及しても英国人の庶民が理解出来る英語で書かれてへん故に理解出来ず、自称聖職者どもが語る内容が嘘でも嘘やと聖書を根拠に指摘することが庶民には出来へんかった。そないな状況を見かねて、十四世紀にイングランドのオックスフォード大学の教授であったジョン・ウィクリフはローマ・カトリックの教義が聖書からかけ離れてる、世俗化してる等と非難し、ラテン語訳聖書からの英訳した初めての英語訳聖書を作ったが、当時は未だ印刷機が無く手書きで、カトリックによる迫害もあって広く普及せず、カトリック勢力の圧力により大学教授の職も失った。カトリック勢力はウィクリフの死後三十年経ってから宗教会議で彼を異端と決議し、ローマ教皇の命令でウィクリフの墓を暴いて彼の著書と共に燃やして川に捨てるといった悪行も働いた。その後、十六世紀になって、命懸けで聖書を初めて受け入れられた原典(TR底本)である原語から英訳して出版したのがウィリアム・ティンダルや。彼も公然と「ローマ教皇とその法をすべて拒絶する」と断言し、聖書を英訳しようとしたが、援助してくれる人が当時のイングランドには居れへんかった。皆、権力者に洗脳されるか、公権力によって処罰されることを怖がって協力せえへんかったんや。それ故、ティンダルはイングランド国内に居場所を見出せず、カトリックや英国国教会による宗教迫害が酷い状況であった彼の出身であるイングランドを脱出し、その後も聖書を原語から英訳するために欧州各地で逃亡生活を続けながらも聖書の英訳作業と出版を続けたが、ベルギーで逮捕、投獄されて最後は処刑された。彼にとっての同胞の英国庶民を想い、英語訳聖書を広め、聖書から主イエスを知って救われて欲しいと願って命を張って聖書の翻訳と出版を手掛けたウィリアム・ティンダルのような人物を見習え。彼は言語能力に優れており、新約聖書の英訳を受け入れられた原典(TR底本)の古代ギリシア語から翻訳して完成させ、旧約聖書をマソラ本文の古代ヘブライ語から翻訳してる途中で捕らえられて処刑されたさかい、旧約聖書の英訳は完成させられへんかった。彼が翻訳した新約聖書はティンダル聖書と呼ばれ、後の英語聖書の礎となり、ジュネーブ聖書や欽定訳聖書もこれと重複する訳が多い。日本人は日本人の同胞のために正しい底本である受け入れられた原典(TR底本)から和訳して聖書の出版をしようとはちぃとも思わへんのか。言語能力が無い人やその資金が無い人は無理もないが、言語能力がある人はそれを活かして聖書を訳したりし、また、資金力がある人、言語能力等は無くて無力であっても少しでも神や聖書の正しい御言葉のために熱心に働く人を支えようとせん人たちは、主なる神のために、隣人のために尽力せず、ほんまに愛の欠片も無い。

引用元:動画四回目投稿 現代語訳聖書の翻訳は間違いが多い 前編 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

このように、聖書はジョン・ウィクリフとウィリアム・ティンダルらのようにカトリックの嘘に気づいた真のプロテスタントが聖書を英訳して、多くの庶民に聖書を普及できるように貢献してくれたからこそ、今のように聖書を気軽に読めるようになったのです。彼らの死後に正しい底本から訳されたジュネーヴ聖書が出版されましたが、カトリックに不都合である故に闇に葬られて、少し改竄した欽定訳聖書が出版されて普及したのです。日本語訳聖書はそもそも間違った底本から訳されているため、余り盲信するべきでは無いのです。勿論、原語聖書からの研究は必要ですが、ヘブライ語とギリシア語の知識が低い方は正しい底本から訳された英語のジュネーヴ聖書と欽定訳聖書、日本語の明治元訳聖書から研究するのも一つかと思います。明治元訳聖書は現在では旧約部分のみしか無く、新約部分は大正改訳で改竄されて表には出版されていません。そうして、明治元訳旧約聖書と大正改訳新約聖書を合わせた文語訳聖書として出版されました。明治元訳は旧約新約、どちらもインターネットでは見ることは可能です。但し、将来的にインターネットが規制されるようになったら見れなくなる可能性が高いです。そのため、聖書通読の初心者の方でも参考程度にある程度は目を通すことや印刷して紙媒体に残しておくことを推奨します。本格的な聖書研究はミカエル氏の管理する神のイスラエル教会に入会した後になるかと思いますが、教会に入会する前からでも明治元訳と市販の日本語訳聖書、ジュネーヴ聖書と欽定訳聖書の見比べで誤訳について調べることもできるのかと思います。

この世が可笑しいと気づいた皆さん、この世は間もなく主イエスの昇天から二日後(二千年後)に当たる西暦二千三十一年で六千年の期間を満了して、終末を迎えようとしているのです。また、全人類の救いの恩恵期間が終わる終末の三年半の大艱難時代を差し引くと人類のために残された時間は三年もないのです。いつ南海トラフや首都直下型地震、第三次世界大戦などの災いが起きて死んでも可笑しくないです。その時になれば、もう手遅れです。個人の恩恵期間の長さは限られていますが、死ぬ前に恩恵期間が終了した人も居ますし、死んだと同時に恩恵期間が終了した人も居ます。また、上述したようにローマ教皇が世界を支配して日曜休業と獣の像に対する偶像崇拝などの聖書の教えに反する秩序を強制して、それに従うことで押される獣の刻印を受けなければ生活できない大艱難時代の時には全人類の恩恵期間は終了しているのです。獣の刻印を押されたら取り返しは付かず、救いの機会も失われるのです。そうした大艱難の幕開けまで三年も無いため、今からでも悔いの無い選択をするべきです。

 

皆さん、全人類の救いの恩恵期間が終了する大艱難の幕開けまで本当に残された時間は少ないです。これから先は主イエスが預言された通りに世界各地で戦争や災害などが多発していき、聖書を学ぶことは日増しに難しくなりつつあります。手遅れになる前に聖書の学びに一生懸命励んで、真の聖書福音と預言のミカエル氏のブログ記事を最初から最新記事まで読み進めることを推奨します。

 

 

 

 

 

拙者はミカエルさんの管理する「神のイスラエル教会」参加に向けて活動中の未熟者ですが、この記事を読まれている読者の皆さんも宜しければ共にキリスト道を歩んでいこうではありませんか。

 

最後までご覧頂き有難うございました。