年末から気が早いですが、新年になると初夢というものがあります。
その際、「一富士二鷹三茄子」という言葉をよく聞きます。その夢を見ると、良いという言い伝えです。
ご存知かもしれませんが、この言葉は武蔵野の本拠でもある、広い意味の「駒込」の名物から始まったものと言われています。
この前、駒込駅そばに住む方とお話ししていてこの話となりました。実は、ボクも文京区の千駄木という場所の出身なのですが、そこも昔は「駒込千駄木町」と呼ばれ、駒込のエリアでした。
そもそも駒込という地名は、周辺ではダントツに由緒のある地名です。
伝承では、日本武尊命が東征した折に、馬が沢山いるので、「ここを駒込(込み合う程馬がいる)と名付けなさい!」と仰有り、人々が駒込と名付けたらしいのです。
因みに、私共の大学がある狭山市の「廣瀬」という地名も、奈良県の廣瀬に似ているからと、日本武尊命が名付けた地名とされ、奈良県と同じご祭神を祀った「廣瀬神社」が古くから鎮座しています。
そんな由緒ある「駒込」には、「富士講」の元祖とされる「駒込富士神社」があります。
冬になると、東京周辺からも綺麗に富士山が見えますが、江戸時代に人々が富士山まで中々行けないことから、神社に小山を作り富士山に見立てて、そこに登れば富士登山と同じ効果があるという神社を作り、それが急速に広まったとされるのです。
更に、お金を出し合って代表者が富士登山をして、みんなの分までお参りする「富士講」に発展していったのです。
江戸の人々には、ちょっと江戸の外れでも有名な、そんな「駒込」の名物が「一富士二鷹三茄子」だったのです。
「一富士」は、申し上げた「駒込富士神社」。
「二鷹」は、現在の駒込病院の辺りが鷹匠の集落で、幹部武士が鷹狩りする為の鷹が沢山いました。
「三茄子」は、どこでも作っていたかもしれませんが、駒込の名物だったそうです。
このように、駒込という地域が、江戸の人々が意識してくれて、古来より縁起の良い場所と認知されていたという見方をすることも出来ると思います。
武蔵野も、小さい道路を挟めば、駒込染井となります。
これからもこの縁起の良い場所で頑張っていきたいと思います。
皆さまにおかれましては、ステキな年越しをお迎えいただき、駒込由来の素晴らしい初夢を楽しんでいただければ幸いです。
2015年も大変お世話になりました。明年も変わらぬご厚誼の程をお願い申し上げます。
略儀乍ら、年末に辺り皆さまに深く御礼申し上げます。
どうもありがとうございました。
学校法人武蔵野学院 理事長 高橋暢雄 拝