今回は「自立をするということ」について考えてみます。


 先日、アメリカ人の方のお話しを伺いました。彼の地で「ブーメラン・チルドレン」と呼ばれる問題があるそうです。

 それはある一定の年齢になっても働かず、親の自宅・親の資金でパラサイティブに生活する人々を指します。

 アメリカの大学は現在学費が概して高く、文化系でも4年間で2000万円ほどするケースも多いようです。それでも皆が進学出来るのはローンが借りやすいということがあります。しかし、卒業しても日本のように「新卒神話」があって新卒が必ずしも就職しやすくないので、挫折したり就職出来ない人も発生するようです。

 そこで優しい親御さんが戻って来いとなると、そのままきっかけを失い、30になっても40になっても働かず、家でゲームをやっている状態になってしまうそうです。

 日本でも「ニート」ということが言われましたが、それは日本だけではないのです。


 問題は、借金も返せず働かないので、親御さんの老後資金を食い潰してしまうということとされていますが、それだけでしょうか?

 若い20代とかなら、苦労があっても周りの人も似た状況でしょうし、ガッツで乗り切ることも出来るかもしれません。若い時に一旦苦労を乗り切っていれば、ある程度の年齢になっても再びエンジンをかけることもやりやすいかもしれません。

 しかし、若い時に開けて通されて、きっかけを失った人が後でゼロから始めるのと、それはかなり大変なことになるでしょう。


 日本でも、アメリカでも、中国でも、韓国でも、他の国々でも軌を一にしてこのような問題が叫ばれていますが、このように個人的な事情ではなく、単なる流れの問題で自立出来ない人が増えることの最大の問題は、「その人が一生魅力的な人間になるチャンスを失う」ことだと思います。

 何の仕事でもいいですし、肩書きなどはあってもなくてもいいのです。職場で信頼され、仕事を通して社会と向き合い、責任を持って他人さまに安易に依存しないで生きることは、とても魅力的ですし、周囲からも愛されることでしょう。

 更に、自分の為とかお金のことばかりではなく、世の中をよくする為であったり、周囲を助けることを心懸ければ、何の仕事をどうしていても信頼を勝ち得る日が来るはずです。


 「働く」という言葉は中国から来る前から、日本では「はたらく」と呼んでいました。

 これは「傍(はた)が楽になる」という意味で用いられたもので、働くということは、「周囲の方々が楽になること」「周囲の方々を楽にしてあげること」という本質があります。

 お金も地位も名誉も重要かもしれません。しかし、その前に「働く」ということを通じて、自分が魅力的な人物であることを、周囲の方々やご縁のある方々に理解していただくことが、何よりも重要なことであると、私は考えています。


 大学生や短大生の皆さんは、就職活動を一種の「手練手管(要領のいいテクニックのこと)」だと考えている人も多いと思いますが、自分が自立の道にステップし、将来魅力的な人物であると理解してもらう為の重要な流れであると考えていただければ、教員としてこれ以上嬉しいことはありません。