『卒業証書」を作る時期が近づいてきました。

 

 月刊雑誌「サライ」の2025年10月号は『ニッポンの「漢字とかな」』の特集号でした。

 パラパラとめくっているうちに,面白い写真を見つけました。

 52頁『「漢検」で日本語の奥深さを知る』

 そこに、漢検の合格証書の写真がありました。

 その合格証書の文言は、次のように読み取れました。

 

    合格証書 

     二級

     

漢検 太郎

 

 令和 六 年度第一回

 文部科学省後援

 日本漢字能力検定に

 おいて頭書の等級に

 合格したことをここに

 証明します。

 

  令和六年七月二十七日

 

 以前(一九九九年頃)、岩波書店の「日本語質問箱」に「賞状のことば」として、次のような質問をしたことがありました。

 

 質問

 「あなたは……漢字能力検定において頭書の等級に合格したことを証明します。」「右の者は本校において頭書の課程を終了したことを証する」という場合のは正しい日本語の使い方でしょうか。」

 

 回答者、大野晋さんの丁寧なにお答えをいただき、最後に次のようにしめくくってもらいました。

 「昔は文語文で、『右ノ者ハ……ヲ修了セリ』とだけあったのを、口語文体に変えるときに、あいまいな形が現れたようです」

 

  「漢検の合格証書」が私のせいで変わったとは思いませんが、高校の卒業証書の文言が、このブログで二〇回近く書きながら、

変わらないことを残念に思っています。 

 

 

 

 

  

 古いファイルを開いていたら、次のような文章を見つけました。長いので、後半だけを引用いたします。

 ーここより引用ー

 西欧で最も日本語学習人口が多いのはフランスだ。現代フランス語に「タタミゼ(tatamiser)」という言葉がある。

 言語学者、元外交官、日本語の達者な在日フランス人に聞いてみたが、<日本かぶれする><日本びいきになる>という意味で使うほか、<日本人のようになんでも「検討します」と言い、断定、確答を避けようとする>傾向をさすことばでもあるという。

 日本人みたいにあいまいになって悪いか?

 これは、なかなか微妙な問題である。とかく明瞭さを好み、論争好きなフランス人の「タタミゼ」は自己否定とも見えるが、<日本語を使うことで自分が以前よりも優しく、礼儀正しくなったと感じる>フランス人もいるらしい。

 何かと譲り合い、「すみません」を連発し、会釈するのも「タタミゼ」効果ということになる。

 言語は話者の人格に作用する。日本語に親しんで日本化する外国人はフランス人だけではない。

                    ◇

 ある研究者が、こう言っている。「英語一辺倒のグローバリゼーションは危うい。非対決的な文化に根差す日本語こそ人類を平和共存へ導くカギだ」

 宗教対立、地域紛争が激化する一方の世界を眺めれば傾聴に値する。

 だが、非対決的な文化を広めるためには、対決を恐れぬ覚悟が要る。とかく摩擦を嫌い、相手との同化を探る日本人の弱点を乗り越えねばならない。

 その勇気を欠いたためにこじれた政治問題は枚挙にいとまがない。

 ーここまで引用ー(2014年9月15日「毎日新聞朝刊ー山田孝男”風知草”」より)

 

 高市内閣の支持率が70パーセントを超えたという報道には驚きました。

 

 石破前総理の「戦後八十年の総括」に共感することが多かったこの90歳の老人にとって、これからの日本はどうなるのか、いささか心配でした。

 そんな時、十年以上前の『新聞記事」を見つけて書き留めました。記事の内容とは真逆ですが、やはり「今こそ、タタミゼの気持ちを忘れないで」と言いたくなっています。 

 老妻と二人で摂る朝食の時間、「毎日新聞」の朝刊一面、「毎日ことばーどこを直す」を話題にすることが度々あります。

 今朝の「どこを直す?」を引用します。

 

 ここから引用ー「毎日新聞1月8日朝刊一面より」

 どこを直す? 株式相場の格言では、昨年と今年に当たる辰年と已年に、株価が上昇して高値をつけると言われている。

 

 「解説引用」ー「同上19面より」

 「巳と已と己」

 今年のえとの漢字は「已」ではなく「巳」。左側の線ががつながった「巳(み)」は動物の蛇や南南東あたりの方位などを指します。線の上の方が欠けた「已」は「すでに」「やめる」などを,同じくよく似た「己」は「おのれ」や十干の「つちのと」を意味します。

 

 二人の間で、答えは「解説」を読まないまま、みつかりました。その上で、私のいらざる一言。

 

 「『み』は上に、『おのれ・つちのと・き』は下に、『すでに・やむ・のみ・い』は半(なか)ばにぞつくと、昔、生徒に教えていましたよ。これを書いて欲しいな」

 

 老妻の一言、「昨日の夕食に食べたものが思い出せないのに、昔のことはよく覚えていますね」でチョン。