毎日、国語古文の入試問題をいじっています。『無理題こそ難題』の『補遺編』の原稿を印刷所に送ってからは、「源氏物語」の入試問題と遊んでいるのですが。

 

 2015年度、聖心女子大の「源氏物語」<蓬生>の問五に次のような設問がありました。

 「たしかになむうけたまはらまほしき」を単語に分け、品詞名を記せ。また活用語については活用形を記せ。

 

 旺文社の『正解』の「解」は次の通りでした。

 たしかに(形容動詞・連用形)なむ(助詞)うけたまはら(動詞・連用形)まほしき(助動詞・連体形)

 「うけたまはら」が「動詞・連用形」は誤りで、「動詞・未然形」のミスだと思いました。因みに、『正解』の刊行日は「2015・6・6」でした。

 

 同じ問題が明治書院版『総覧』に掲載されていました。まったく、同じ「解」でした。すなわち、「うけたまはら」について、「連用形」とし、『未然形」になっていないということです。そして、『総覧』の刊行日は「2016・12・10」でした。

 

 そこで、面白がって、『正解』の「解」と、『総覧』の「解」を数年に亘って検討したところ、この二つは同じ「解」だと知りました。

 

 勿論、『正解』もよくありませんが、もっと大きな「非」は『総覧』にあると思います。

 

 何という「問題集」の有り様かと、呆れたり、歎いたりしました。

 ちょっと報告しておきます。

 朝食の時、老妻に、昨夜読んだ平岩弓枝の「清水屋の人々」の中で出てきた一文を紹介しました。

 

 「吹く風はさわやかで、大川の水面に照り返す夏の陽が目に快い。」

 この内、「水面」にどんなルビが振ってあったかわかりますか?

 

 「『みなも』ですか。」「いやいや。」「『みずも』ですか。」「いやいや。」

 「『みのも』です。」

 

 「女ひとり」という曲で、デュークは「みなも」と歌っていましたが、フォレスタは「みずも」と歌っていましたよ、とは老妻の言。

 

 「日本語はむずかしいですね。だから、何の制限もなく、傍線部の読みを書けというのは無理なんですよ。」

 

 今度、16年ぶりに「無理題こそ難題」という本の「補遺編」を出すことにしました。

 

 例えば、「内裏」を、「だいり」と読むか「うち」と読むか、出題者に、きびしく迫りたいと思って書きました。

 

 また、その本の意図を説明します。よろしく。

 

 

 2010年3月、大学入試古文問題を論じた『無理題こそ難題』という本を出版しました。

 その時、教え子の一人が書評を書いてくれました。「過褒にすぎる」と思って、机の奥深くに収めていたのですが、この度必要があって取り出し、もうこの年令(九十一歳)だからいいだろうという気持ちで、ここに書き留めることにしました。

 

 「こんな問題を解くなんて、むりだい!」という生徒のつぶやきが聞こえてくるような書名である。おもしろく、かつ痛快な気持ちをもって読ませていただいた。もっと早くこの本に出会えていたらと思う。

 五十数年間、高校の国語科教師として教壇に立ち続けておられる松岡義晃氏の、他に類を見ない労作である。そこには、常に生徒の立場に立ち、生徒の将来を左右するかもしれない大学入試問題を長年にわたって精査し、入試問題のあるべき姿を求め続けてこられた氏の熱い思いがこめられている。 とりあげた個々の問題について、「検討・私見」が示されており、氏の持つ、広い学識がうかがわれる。

 作品自体が難解な「源氏物語」からの出題にはかえって「無理題」が少ないこと、「古文文法の一般則」のとらえ方は、兼好より漱石の方が確かであるのに、出題者は兼好のとらえ方によっていることなどが指摘されていて興味深い。しかし、氏は、批判だけに終始しているわけではなく、「無理題を避ける方向性」を示して結んでいる。

 この本は、大学で入試問題作成にあたっている先生方にとっては、まさにありがたき本であろう。ぜひ手にとって、氏の思いを受けとめていただきたい。また、現場の国語科教師の方々にも氏のような視点をもって、生徒の前に立っていただきたい。

 最後に、この本を出版された東京図書出版会の見識の高さに敬意を表したい。

                            広島県福山市・藤原敏夫

 

 私にとって、本当にうれしい言葉でした。藤原君、有り難う。

 この度、この『無理題こそ難題』(本編)の『補遺編』を作ることにいたしました。そのきっかけになった文章でしたので、まず、このブログで紹介することにしました。