下谷神社から三ノ輪橋へ行く前日に、着物の準備をした。
祭り装束で出かけるてんで、木綿縞筒袖の着物にくぎ抜き小紋の半纏。その下に藍染の股引を穿くので、それにもアイロンをかけた。
何時もは単衣の筒袖の下に、うそつきの半襦袢を着るのだが、今回は肌襦袢だけにした・・・。
当日の小物に半纏の上に締める三尺と半纏帯を出してみた。一番上は沖縄竹富島のミーサー、復帰前に三回沖縄に行ったが、初めて行った19歳の時買ってきた物。
一巻きだと様にならないので二巻きにしたいが丈が足りず半纏帯としては使えない・・。
本来半纏の上には御覧の様な幅の狭い三尺が半纏帯を〆るのだが、何時頃か、どこかの馬鹿野郎が角帯を締めるようになり、今でも半纏の上に角帯を締めている輩が居る。
そんな姿を見ると、見ているアタシが恥ずかしくなる・・・・。一昔以上前ブログで知り合った鳶の御仁も、半纏に角帯を締める間抜けな形に嘆いていた。
着物を着る前日の夜11時過ぎ、色抜きをした算盤玉の三尺を濃い色に染めてみようと思い立つ。てんで、風呂上りに三尺の染をおっ始めた。
一旦染めたが、色がイマイチ薄いと再度染液を濃くして染め直し。染め上がりを表に干したのが、12時ごろ。
翌朝、乾いた染めた三尺にアイロンをかけ、下の様に並べて見た。
思い描いた色より仕上がりは薄い色、てんで、濃い藍色の半纏帯を締めることにした。
左上は有松の豆絞り、隣が青海波、鵜ずれも浜町高虎の手拭。
上の淡い色の三尺を染めたが、染め上がった色は下の色。もうちょい濃い色にしたかったが、今回は失敗!!
本来なら金茶の算盤玉の三尺が藍の半纏に締めるのだが、今回はあえて同系色でそろえた。着物ではこの様な色の取り合わせは、ご法度。
着物と帯の色をそろえてはいけないのであるが、知ったかぶりの婦人雑誌では洋服感覚で同系の色でまとめる。これが着物文化の最大の衰退原因・・・・。
今回染に使った薬品が無くなったので、次回浅草へ行った時、雷門の稲荷寿司や近くの染料店で買わなければと思っている。
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