◆白金清正公から浅草へ◆ | 頑固オヤジの、ばり雑言!!

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真っ当な、和の文化を残したいもんだわさ。
 
劣化し続ける和文化に警鐘を鳴らすべく、
思いの丈を書き綴った強面親父の言いたい放題!

時代小説芝浜、文芸社から発売中。電子書籍はアマゾン・楽天で。

                 

毎年白金の清正公に参った後、門前で売をしている姐さんから菖蒲を買い、それを手に浅草へ行く・・・・。

 

 

 

清正公を出て、道路の向かい二本榎の通りへ続く坂道を行くと、途中の小さな社の前に福豆屋が露店の準備中・・・・。

 

 

 

 

 

長の付き合いの福豆屋一家に挨拶をし、福豆を三袋買う。アタシが早くやって来るので、茹でた豆を用意して女将が待っていてくれた。

 

アタシが去年渡した時代小説は、三回読んだと女将が言った・・・・。大昔車椅子に座らせた亡きお袋と何度か訪れたことが有る。

 

「んじゃ、次回は小伝馬町のべったら市で!」と一言言い、奴さん達と別れた・・・・。

 

 

 

 

 

 

二本榎の通りを左折してしばらく進むと、旧高松宮邸。高輪に住んでいた頃お袋は和裁を教えていた、そのお弟子さんの中に高松宮邸の女中さんもいたという。

 

てんで、お袋は宮邸に何度も御呼ばれに行ったという。昭和天皇の兄弟の中で一番気さくな高松宮様は、町内の連中とも付き合いがあり、近所の和菓子屋で豆大福を買い、兄貴である昭和天皇に持って行ったという。

 

気さくな宮様は邸にいる時も、気軽な服装。お袋曰く「宮様がステテコ姿で盆栽を切っていた!」と・・・・。

 

以前通った和の店の大将の親父さんは海軍、その時出会った高松宮の事をよく話してくれたもんだった・・・・。

 

 

 

 

高輪の和裁の御弟子さん達と撮ったお袋の写真、中央が若い頃のお袋。これらの写真の中に寿司屋の哲っちゃんのご母堂や大木戸向かいの蕎麦屋の大将のお婆さんが写っている。

 

他に大森のお座敷洋食の看板娘だった御仁の叔母さんや、宮邸の女中さんも写っている・・・。

 

 

この日宮邸前の広場で近所の子供がボール遊び、上皇がいた頃には考えられぬ光景だが、高輪高松宮邸では、昔からこれが当たり前の光景だった。

 

 

 

旧高松宮邸すぐわきに、御覧の和菓子屋が有る。我が家は親子三代ここの豆大福が好き、今の天皇家族も親子三代にわたり、この豆大福を食っているのである・・・。

 

大木戸向かいの蕎麦屋で食う揚げ餅は、ここの餅を揚げてくれる。アタシが前もって行く日を告げてある時だけだが・・・・。

 

 

 

アタシの小説芝浜にも出てくる坂、伊皿子。左に曲がると魚籃坂から麻布十番、まっすぐ行くと三田の慶応義塾。右に行くと泉岳寺から高輪の新駅。

 

この後右に曲がり、蕎麦屋の隣の泉岳寺駅から都営浅草線に乗った・・・。

 

 

 

地下鉄の駅を出たところ御覧の写真、左奥が雷門、右に見える道の奥がこの後行く履物問屋から神谷バー、馬道・・・・。

 

 

 

先ずは御覧の稲荷ずし屋へ寄り、菖蒲と福豆を手渡し、後で寄る旨を伝え次なる目的地へ・・・。

 

 

 

稲荷ずし屋の次に向かうのは伝法院脇のトンガラシ屋、その話は明日のお楽しみに・・・。

 

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