◆九段下の寿司屋へ◆ | 頑固オヤジの、ばり雑言!!

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真っ当な、和の文化を残したいもんだわさ。
 
劣化し続ける和文化に警鐘を鳴らすべく、
思いの丈を書き綴った強面親父の言いたい放題!

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清水門を出たチョイ先に、江戸時代からの古い寿司屋がある。この日はそこへ行くのも目的の一つだった・・・・。

 

 

 

 

 

写真右手が二重橋から日比谷公園方面、二重橋の右奥が桜田門でそこを右に行くと、半蔵門へ続く・・・・。

 

 

 

清水門の先が内堀通り、そこを左に曲がると建て直された九段会館が有る。

 

 

 

九段会館の向かいの路地を入ると古い建物が何軒か残っている、そこの寿司屋へ数年ぶりで入った。写真の奥の道を左に行くと靖国神社、右に行くと神田神保町。

 

 

 

店に入ると板さんが閉店まじかだと言う、その時間に合わせてやって来たから問題なし。「良いよ!」と一声かけて腰を下ろした。

 

下ろしてすぐに「散らし、シャリ半分で!」と注文をした後、「写真撮っていい?」と尋ね了解してもらった後、写真を撮った。

 

板さんが「シャリ、これくらいで良いですか?」と器に装った赤酢のシャリを見せてくれた。「良いよ!」と一声かける・・・。

 

 

女房が亡くなってからは此処へ来るのははじめて、以前はシャリ半分の散らしを肴に酒を飲んだ後、握りを食ったもんだった。

 

その前は生物を肴ににし、その後握りと小肌の握りを食ったのがお決まりだった。以前は6・7貫の小肌だけの握りがあったが、随分前にメニューから消えてしまった。

 

一昔ほど前高齢の板さんがおり、その板さんとカウンター越しに馬鹿っ話をするのが楽しみだった。その御仁が若い頃宮中に出向き、寿司を握ったなんてぇ話を聞かされた。

 

あたしが今東京一だと思っている寿司屋が、この店である・・・。

 

 

 

シャリ半分の散らしの後、握りを食おうと思ったが閉店時間。そこで、神保町の天婦羅屋へ行くつもりで店を出た・・・・。

 

閉店時間に合わせてここへやって来た、客が引くその頃の方が待たなくて済むと思ったからである。

 

 

 

店を出て直ぐに神田川が流れている、この先が日本橋。俎橋の上から撮った写真。

 

この後神保町へ向かい、前回食うつもりだった天婦羅屋へ行ってみると店が無くなっていた。いもやと言う名の天婦羅屋だった処が、居ぬきで違う名の天婦羅屋になった処。

 

前回スズラン通りの天婦羅屋へ入ったのが、正解だった。

 

 

以前亡くなった高輪の寿司屋の哲っちゃんの写真を載せた、その時づけ台が漆の研ぎ出しで、今時こんなづけ台の店は無いと書いた。この哲っちゃんが東京一の寿司職人だったと思っている。

 

今日の古い寿司屋のづけ台も白木、研ぎ出しと言うのは赤漆を塗った上に濃い色の漆を塗、それが乾いた後研ぎだして、下の赤漆面を見せるようにした手の込んだもの。

 

これと同じ技法の漆製品が、昨今の根来塗り。本来の根来は、器を使い込んだ結果、下地の色が透けて見えてきた物・・・・。

 

漆を塗るには何か月も時間がかかり、今じゃ御覧の様なづけ台は作れない・・・。

こうして説明をすれば、廃れた和文化がいかに優れていたかお分かりになると思う。

 

平河天神から九段下の寿司屋まで歩いたブログを地図でなぞりながら読むと、何処を歩いたかが良くわかると思う。この寿司屋へ来るまで、着物に下駄で歩きっぱなしだった。

 

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