昨日の続きだよ、お立会い!! 品川で京急の各駅停車に乗り、三駅隣の青物横丁で下車した。
青物横丁駅から旧東海道に出てみると、毎年並んでいた露店は出ておらず、人通りもまばら。
荒神さんの大祭日とは思えぬ道を、京都方面に向かって歩き出した・・・・・。
海雲寺の手前に有るのが品川寺(ほんせんじ)品川の地名はこの寺から。先日行った目黒不動と同じく、寺の名から地名が付いた町は多い。
今年の祭りはどこも中止、ここ海雲寺の荒神祭も今年は取りやめ。写真右手にカルメ焼きの露店、本堂脇は植木屋と、露店を広げるショバは毎年同じ。
境内の良い場所で売が出来るのは、古くからの露天商。奴さん達はこのコロナの影響で、如何している事やら・・・・・。
境内に入ると人もあまりおらず、直ぐに古いお札を収め、本堂脇で新しいお札を頂いた、
堂内で行われる護摩焚きは今年は無し、去年女房と二人で書いたいた護摩は、身体健康だったんだがな・・・・。
本堂格天井に描かれているのは纏の陀志、遠くから纏の陀志の形を見て、どこの火消の組だか判別できるのである。
目黒の祐天寺も火消とかかわりが有り、この手の陀志が彫られた石碑が、たしかあった記憶がある・・・・・。
若い頃、東京駅脇の鳶の処でバイトをしていたもんで、この手のことにはちょい詳しい・・・・・。
この日の目的は古いお札を返し、新しいお札を頂く為と、毎年この鐘楼下で豆を売る、豆屋の女将に女房の死を伝える為だった。
白金清正公・神田明神の祭り・小伝馬町のべったら市とここ海雲寺荒神さんの大祭で、毎年顔を合せていた豆屋の女将とは、長の付き合い。
女房もその女将とは仲が良かった、てぇ事で、会って女房が亡くなった事を伝えたかったのだが・・・・・。
帰る頃になって人が増えて来たが、殆どが年寄りばかり。長年お札を頂きに来ていた御仁達だと思う・・・・・。
帰りは海雲寺から仙台坂を上り、大井町から大井町線に乗って帰宅。
女房の家から剥がして来た札と、我が家のお札を海雲寺に収め、頂いた新しいお札をガスレンジの脇に貼った。
長年こんな事をしているので、やらないと落ち着かぬ。白金清正公の菖蒲や浅草寺ホウズキ市のホウズキに、べったら市のべったら漬けも今年は無し。
酉の市のカッコメと海雲寺のお札ぐらいは、新しい物にしたいと、コロナの中ノコノコ出かけた次第・・・・・。
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