世田谷文学館で本日から開催された「筒井康隆展」僕と同時間帯に来館されていた客層は僕(53歳)よりも年上の人、同世代の人、老けた若い人、若い服装をした御婦人、本当に若い御婦人、初老のご夫婦。「俺こそは、私こそは筒井康隆の真実の価値を、作品に秘められた芸術性を一番理解している」とまんまと筒井康隆その人の思惑通りに誤読し続けている強者ばかりだったと思う。

 

初老のご夫婦は奥様の「全部持ってるのよね」という言葉ににやりとしながら「ひとつも抜けることなく」と平然と(少し自慢げに)答えている旦那さんの姿がかっこよかった。「ひとつも抜けることなく」ですよ。全集だってあるし傑作集もあるし文庫だって短編の傾向ごとに編まれていたりとか絵本だって。実際にはさらにLPがあるしお芝居の舞台にも立たれているし主宰されていた同人誌やファンクラブの会報や限定版もあるしそれはさすがに、なのだろうけれど新刊が出るたびに書店で手にとって買ってきたその歴史が素敵じゃないか。

 

筒井康隆こそ我がアイドル

 

京王線芦花公園駅近くにある世田谷文学館で開催されている「筒井康隆展」に行ってきました!

 

 

 

 

「筒井康隆展」は基本的に全面的撮影禁止ですがごく僅かに撮影が許可された箇所があるのでその画像を上げていきます。まずは筒井書店。筒井康隆さんの蔵書の一部が展示されています。SF関連の書籍がズラリ。特にサンリオSF文庫はコンディションの良いマニア垂涎のコレクション!

 

 

文学館入り口には花輪もズラリ。

 

 

小田急線下北沢駅から京王井の頭線に乗換え明大前まで。ここで京王線に乗換えたのだけれど間違って準急に乗ってしまい本来降りるべき芦花公園駅をひと駅過ぎた千歳烏山駅で降車。ひと駅なら歩いて戻っても良い千歳烏山、聞いたことはあっても歩いたことのない町だ。で歩いて10分ほど。無事到着。

 

世田谷文学館に入りエントランスの受付でチケットを購入(一般800円)2階の企画展示と物販コーナーをご利用いただけますと説明を受ける。物販コーナーには筒井さんの最近刊行された新旧の著作がズラリ。河出書房新社の「誰にもわかるハイデガー」(税込み1,290円)を購入。筒井さんの懐へ小銭がチャラリ(笑)

 

企画展示では筒井さんの経歴が御本人の著作の中の言葉を抜書きした説明文とともに長くなが~く説明されておりところどころに自筆原稿が。「大いなる助走」カバーでお馴染みのあの原稿用紙にあの字でずっと書かれている。書き出しの一文がもう上手い。本当に上手い。

自筆原稿の書き出し部分を読むたびに心の中で一人「ひょえ~」と感嘆の悲鳴のような声を上げ続けていた。「た」の文字の書き方が独特で文末にあり文脈から考えて「た」だよなと判断しなければ「た」には見えづらい「た」なのだ。一番痺れたのは「バブリング創世記」「虚航船団」の原稿。

本当にあの傑作のあの部分を手書きで。或いはご自分で文房具を使ってあの図を、と考えると、深夜に一人原稿に向かってその作業を進めていた鬼気迫る筒井さんの姿が思い浮かぶ。生き続けなければいけない人だ。本当に僕の寿命の残り時間なんて差し出します。ご健康のままご長命でありますように。

 

 で、その4年間の間にアイドルグループの世界に何が起こったかと言うと「戦国時代」と言われたどのグループにもブレイクのチャンスがあるかのようなアイドルグループバブルの時期が終わり、時代の覇者が48Gから46Gへと変わった。

 

 現在は「戦国時代」の戦後処理が行われており(それさえ一段落つこうとしている)その過程で多くのアイドルグループが活動休止に追い込まれている。これは活動の停滞と言うより運営スタッフ側が今後数年の時間をかけて売り出しても損得の計算で見合わないと判断したことが理由の多くを占めるのだろうと思う。

 

 「戦国時代」が何を遺したかはとてもシンプルで「ブレイクにたどり着いたのも生き残ったのも結局大手」ということだ。

 

Perfume

AKB48(および48G)

ももいろクローバーZ

E-girls

BABYMETAL

乃木坂46・欅坂46

 

 ブレイクにたどり着いたガールズグループはこの6系統でありいずれも大手芸能事務所に所属し大掛かりなイベントやライブツアーを打つだけの活動資金を充分に担保できる体制に支えられている。また、ブレイクに至っていなくとも活動を継続させているグループも同様だ。

 

 「戦国時代」の終焉を決定づけたのは欅坂46のブレイクだ。単に人気や知名度が上がったということだけではなくアイドルと音楽、アイドルとパフォーマンス、そして多人数グループにおけるセンターの役割に新しいアングルを打ち出し、成立させた。

 

 欅坂46のセンター平手友梨奈は人気や知名度に支えられているわけでも、グループで一番可愛いわけでも、一番歌がうまいわけでもダンススキルが高いわけでもなく、グループ成立の過程で重要な役割を演じてきたわけでもなかった。

 

 平手友梨奈は楽曲の世界観を前にして、この曲はこう聴かれるべき、こう見られるべき、こう感じ取られるべきという受け手側の視点を、構図(アングル)を、彼女自身のパフォーマンスを通して提示してきた。歌っている、踊っているというよりももっと深く、曲を「演じて」きた。

 

 作詞家である秋元康氏が平手友梨奈に「あてがき」するようにして提示された歌詞をテキストとし、この歌詞の中に在る感情は自分の中に在るものと同一のものなのだと確信して演じる。平手友梨奈は、グループが持つ音楽性の象徴としてのセンターであり、平手友梨奈を指して「センター」と言う時、それはポジションだけの意味では無くなるのだ。

 

 異質なセンターを擁する欅坂46の登場は、彼女たちを世に送り出したスタッフや本人たちの思惑を超えて世界に広まっていった。まず受け入れられたのは「サイレントマジョリティー」という「楽曲」であり、それを演じたパフォーマンスを映したMVであり、グループ自体の認知は一番後からやって来た。

 

 彼女たちのスタッフは現在のような形や受け入れられ方で欅坂46というグループを売り出そうとは考えていなかったはずである。もう少しお気楽に可愛らしい乃木坂46の妹分としての役割を期待されていたのではないか。平手友梨奈をセンターに抜擢したことについても、ある意味では「短髪・年少組・地方出身の大人しい少女」という「生駒システム」に乗ったものとも考えられる。実際にメジャーデビュー曲が決まる前、欅坂46がTV番組に登場して歌ったのは「制服のマネキン」であり「君の名は希望」という「生駒センター曲」だった。

 

 欅坂46はデビューシングル「サイレントマジョリティー」の評価の高さを背景にブレイクの坂を上り始める。セカンドシングル「世界には愛しかない」では平手友梨奈が歌詞の登場人物の感情を自分に重ねるという「サイレントマジョリティー」からさらに一歩踏み込んだ表現スタイルを見出し、第三弾シングル「二人セゾン」の美しいメロディとともに欅坂46のブレイクは決定的なものとなった。

 

 平手友梨奈はカップリング曲の多くでもそのままセンターを演じ続け、振付・演出家であるTAKAHIRO氏の楽曲に対する解釈の最も忠実な表現者として成長を続ける。

 

 平手友梨奈はグループ内の最年少メンバーの一人(活動の途上で実質的な二期生である「けやき坂46」のメンバーが加入していた)でありながら「成長を期待される未成熟なセンター」ではなくグループの象徴となりパフォーマーとして傑出した才能を開花させていき「センター」の概念を塗り替えてしまった。「センター」はもはやグループ一の人気者に与えられる特権的なポジションでは無くなり、握手会での工夫で人気を上昇させたご褒美でも無くなり、メンバー同士の切磋琢磨の果てに獲得したトロフィーでも無くなってしまった。

 平手友梨奈出現以降の「センター」は楽曲に存在する「伝えられることを待つ何か」を見出し的確に表現する「演技者」としての役割を求められる。

 

 ただ平手友梨奈自身が成長途上にあるため、この「センター」の概念がこのまま固定されるわけでも無いのかもしれない。揺り戻しのように、またグループ一の人気者が立つ「ポジション」に戻っていく可能性も高い。

 

 「サイレントマジョリティー」から「二人セゾン」の各シングル収録曲における平手友梨奈は迷いなく(迷う余裕もなく)自身の表現を生成りのまま演じてきた。神がかり的と言う以外にはない表情を見せてきた。それが揺らいだのはシングルで言うと「不協和音」以降、時期的に言うなら17年のアニバーサリーライブから初夏のイベント「欅共和国」を終えアルバムを発表し初の全国ツアーが始まった数ヶ月間のどこかだ。

 

 平手友梨奈は「迷いのない表現」という高みから落ちた。何かが彼女を、生々しい苦悩の深海へと沈めたのだ。それはもしかしたら成長途上における必然だったのかもしれないし、デビュー直後という一時的に限定された期間の煌めきが失われただけなのかもしれない。もしかしたら単に僕が見間違えていただけで、彼女には「神がかり的な」何かなど始めから無かったのかもしれないし、何かのアクシデントが彼女から「善意と信頼」という防具を剥ぎ取ってしまったのかもしれない。

 

 現在自身が主役を演じる映画撮影のためにグループ活動から離脱している平手友梨奈が、いずれグループに戻ってくる時、彼女が再び顔を上げてパフォーマンスできるようになっているのかどうか。色々なことが分からないだらけだ。それもまたアイドルらしいと言えば言えるのかもしれないけれど。

 ブログを書かなくなって約4年が経つらしい。もっと時間が経っていても不思議ではない感覚。なぜ書かなくなったかと言うとライブレポで挫折をしてからだ。

 

 これはまあ我ながら無理もないというか、我らがあ~ちゃんの「お願い」に従ってツアーが終わるまでライブレポは書かずにおり(僕はネタバレ上等派東海支部長なんだけれどあ~ちゃんがネタバレしないでねと言えばしない。Perfumeファンだから)、メモも簡単にしか記していなかったため、記憶が欠片のようになりあちらこちらに散らばってしまい、拾い集めることさえ出来なくなってしまったのだ。それでも途中まで記憶の欠片を膨らませて書いていたのだけれど、さすがに書き進められない。

 

 他の人のレポを参考に、という悪魔の囁きが耳元で、吹きかける息遣いを感じるくらいに執拗に繰り返されたのだけれど、それをやってしまえばそれはもう「おれの記憶による」レポではなく他人の褌だ。

 

 というわけでレポが続行できなくなりそのうちに生活も変わってブログ記事を書くのに数時間をかけることも出来なくなり、短時間で短い文章で済むTwitterという楽チンな、好きな時にtweet出来ていつでもタイムラインから消えることが出来、個人的な興味のあることをインスタントに知ることが出来るSNSに引っ越した。

 

 4年の間に何があったか。簡単に言うとその分歳をとり、時間経過とともに生活環境も変わりもう3年以上も一泊の外泊さえしておらず毎日自分以外の人の食事のためにキッチンに立ち、常に冷蔵庫の内容に気を配り背中と両手に荷物を抱えながら買い物から帰るという毎日になった。

 

 ブログテーマに関係のあることを書いておくとPerfumeファンであり続けているけれども上のような事情もありライブ参戦が困難になりすっかり口うるさい「在宅」になり、たまたま深夜にテレビをつけっぱなしにしていたところに始まった番組をきっかけに「欅坂46」のファンになり、その少し前からは好きな歌手がカラオケで歌ったりするということで前から知ってはいたもののファンというほどの興味はなかった乃木坂46も好きになった。

 

 僕が惹かれるのは「いびつで、同時に飛び抜けた才能」で、Perfumeは三人ともがそうだと言えるし(久しぶりに書くが『才能』という点で見ればやはりのっち氏が飛び抜けている。異質なほどに)、なぜこの不器用さでアイドルになろうと思ったのかという魂の持ち主が揃ってしまった欅坂46の何人かがそうだ。乃木坂46のメンバーにはそうした「いびつさ」は無いのでぬるま湯の湯船につかるように見ている。

 

 以前の僕だったら欅坂46、特に平手友梨奈という才能について書きまくっていたかもしれない。でも、書かなかった。彼女があまりにも若く、神がかり的にも感じられる表現することへの欲求が、少女という季節に一時期だけ宿るきらめきに過ぎないかもしれないという危惧があるからだ。

 

 平手友梨奈はもともと少し歪んだ才能だったけれども、ネットの書き込みに対する反抗心のようなものを含めメディアでグループの中で自分ばかりが注目を浴びる環境の中で、また別の形に歪んでしまったのかもしれない。その歪み方がこれから彼女をどこに連れて行ってしまうのかは正直分からないのだ。

 

 Perfumeというグループが、そこに集った三つの才能が、お互いにとって「常に」良い影響を及ぼし合いPerfumeという楽園を形作っていくようなことはやはり奇跡に近いのであって、どのグループにも、どの才能にも訪れる幸運では無いのだとあらためて思い知ったような気がする。

 

 4年ほどが経ってPerfumeがどうなったか。彼女たちはお伽噺の中のお姫様のように「幸せに暮らしましたとさ」という物語の中にいる。

 そう。Perfumeという壮大な物語は、まだ続いているのである。 ▽・w・▽ノ

「DISPLAY」では、「フゥゥゥゥ~♪」というコーラスパートで独特な振付がある。

両手を上に上げ、海の中で揺蕩う海草のように左右に揺らした後、右腕を上に伸ばしつつ上体を反らして、伸ばした右手で宙を掴むようにギュッと閉じる。

ライブ中、ステージサイド席にいた僕は、メインステージ中央あたりで歌っている三人の姿を斜め横くらいの角度から観ていた。

右腕を伸ばして上に上げる時。

腕を伸ばすのと同時に、首も上を見上げるようにする動作がある。
あ~ちゃんとかしゆかは、首を上げるのと同時に上体を後ろに反らし、右手を閉じる。

鞭がしなるような力強いあ~ちゃんの反らし方と、しなやかに反らすかしゆか。
ただ、どちらも背中を反らすようにしながら首を上に上げている。
首の重量を後ろに移動させながら反らしている。
メカニズムは同じだ。

のっちはまったく別のメカニズムでこの動きを行っていた。

まず、のっちはほとんど上体が後ろに反らない。
身体は反るのだけれど、背中を反らすのではなく、胸の側、肋骨を撓める(たわめる)ようにして、腰骨を前に出し、背骨を前に曲げている。

薄刃ののこぎりを思い出してもらうといいかもしれない。
薄刃ののこぎりを立てて、上から垂直に押すと、のこぎりの上部と下部は同じ位置にあって、あいだの刃の部分が前か、後ろにたわんで曲がる。

のっちは肋骨を前に出すようにして上体を撓め、首の位置をほとんど(もちろん少しは後ろに反らす)背中側に移動させることなく、(ほぼ)まっすぐに下に下ろす。
これは、MVでも(正面からの映像でも)分かる動きなので興味のある人は確認して下さい。

のっちの身体の柔軟さには、ダンスをやっている人なら誰でも出来る柔軟さ、という以上に何か使い方、メカニズムの特殊さがある。

何というか、不思議な人である ▽・w・▽
このブロックのセットリストが凄い。

08. エレクトロ・ワールド

09. DISPLAY

10. Seventh Heaven

メジャーデビュー第2作とブレイクシングル「ポリリズム」のカップリング曲。

Perfumeファンでなければ、4つ打ちサウンドのノリの良い曲ということでさらりと聞き流してしまいそうなこの2曲は、かつての「Perfumeらしさ」を代表するサウンド、歌詞に彩られている。

この2曲に挟まれているのが最新シングルのカップリング曲である「DISPLAY」。

この曲を観た感想を書きたくてこのレポを書いている。

「DISPLAY」

演奏時間3分48秒の中で歌唱パートが歌い出し部分約30秒、約1分間の「間奏」の後、コーラスパートが約30秒、歌唱パートが約45秒、曲終りのコーラスパートが約30秒。

30+30+45+30=2分15秒(135秒)。

約1分、2箇所で続くコーラスパートを除いた歌唱パート(モノローグとして成立する歌詞で構成されたパート)は75秒しかなく、そのうちの約15秒は「DISPLAY」という言葉を繰り返しているだけ。

つまり、たとえばあなたがカラオケで「DISPLAY」を歌おうと思った場合歌詞に相当する部分は約60秒ほどしかないのだ。

この曲をカップリングとは言えシングルCDに収録してしまうのが「リニアモーターガール」以来のPerfume音楽制作班の「狂気」だ。

PerfumeはJ-POPにも対応したポップユニットではあるけれども、そこを安住の地にはしないぞというアリバイ。

三人の声質を考えればPerfumeはもっと楽にファンに「媚びる」ことも出来たはずだ。

乙女心を気づいてくれない男子をもどかしく思いながらも愛しさを募らせる歌詞とか

甘い声質で人生の矛盾を指摘するとか

病んだ精神を演出するようなやたらとネガティブな歌詞やアレンジとか

Perfume音楽制作班はその手法を採らなかった。

広島出身の3人の女性は、そんな歌を歌うために青春時代をPerfumeに費やしたのではないからだ。
彼女たちは自分で詞も書かず、曲を作らないかもしれない。

しかし、彼女たちは常に音楽ユニットとしての明確なメッセージを携えている。

それは、正しい評価を得るために、正しい努力を続けることは、無駄なことではないのだという明確なメッセージだ。
シンプルで、しかも力強い。

Perfumeサウンドは、少女の頃の彼女たちが望まなかった方向性を選択したのかも知れない。
ただし、間違いなくPerfumeサウンドは、あの三人の女性をイメージの源泉としている。

中田ヤスタカのイメージは常に曖昧なものである。
彼の音楽は、ピースの足りないジグソーパズルだ。
虫喰い穴だらけの世界観は、「何か」によって補完されなければならない。

かつてそれは、のっちによる輪郭の太い解釈によって行われていた。

「DISPLAY」を挟む2曲は、のっちのボーカルがメインパートを担っていた時代の代表曲とも言える。

J-POPへの対応を考慮した2010年度サウンドを模索する時代から、メインパートを担う役割は少しずつ、ウェットで、カラフルな色彩感覚を持つあ~ちゃんのボーカルへと移譲されてきた。

「DISPLAY」は、のっちの力強い描線と、あ~ちゃんによるカラフルな色彩感覚を併せ持つキメラだ。
曲の凄さは、MIKIKOさんの振付に現れる。

この曲のパフォーマンスでは ▽・w・▽
今回の舞台装置は種田陽平さん。
「ClingCling」のMVの世界観を構築した美術監督である。

それをツアーのステージで再現したいというメンバーの要望に応えるため、あらためてMVのイメージにほぼ近い形でステージが組まれた。

立体的に配置された舞台装置はそれぞれがメンバーがパフォーマンスをする場所にもなっており、背景に相当する部分までがMVのイメージのとおりに再現されて凸凹のある構造になっていた。

ということは、最近のPerfumeのライブで恒例になっているライゾマのプロジェクション・マッピングはないのか?
それはそれで依存せずの新たな方向性でいいかなと思っていたら、なんとなんと舞台装置が自動で動いて場所を移動し、背景となっている壁は折りたたまれていくではないか。
(この部分に関してブログ仲間の柿羊羹さんからご指摘をいただきました。自動ではなく、スタッフの手作業が主だったそうです)

しかも、折りたたまれていく壁にはPerfumeのメンバーの影というか輪郭だけの映像がプロジェクション・マッピングで映しだされている。

何という手間暇。
そして気づかれるかどうかの微妙。

その一方各所に配置されたモニターにはメンバーがCGとコラボレートした映像が流されている。

CGの動きに合わせてメンバーが若干の演技をする、という内容なのだけれど、ここでも淡々と演ずるかしゆか、自分なりの表情のアクセントを加えるあ~ちゃん、おそらくは演出家の要請どおりの無機質なキャラクターを演じるのっち、という三者三様の演技が見られた。

着替えタイムは以前と比べると短くなっている(これはアンコールの時もそうだ)

3人が奈落に落ちていった部分からまた姿を現すのが照明を落とされた状態でも見え、始まったのが「エレクトロ・ワールド」。

照明が明るくなると、三人の衣装が青い色に変わっているのが分かり、それに合わせるように張り出しステージまで続く通路の両サイドの電球(LEDなんだろうね(笑))の色までが青に。

関監督によるMVには「青の時代」と呼びたくなる、効果的に「青」を配色した映像を作り出していた時期があった。
それが再現されるような照明。

長く続くチームPerfumeならではの演出。
痺れる。

最近にPerfumeのファンになった人たちにとって「三部作」ってどんな存在なのだろう。
最近の若い世代のファンの特色として、ブレイク前後にファンになった30~50代の男性ファンのようなブレイク前史への執着みたいなものがないことがあげられるのではないかと思う。

「エレワ」でブレイクしていれば、という当時のファンが感じただろう、そして何より本人たちが感じていたであろう無念のようなものは、ブレイク前後にファンになった者にとってもまるで種の記憶のように受け継がれていたはずである。

それを感じない新しい世代の、ブレイク後の「人気アーティスト」であるPerfumeのファンになった世代にとっての「エレワ」。

なんである世代のファンが、足元の床が熱した鉄板になったように跳びはねるのか、先祖返りをしたような雄叫びをあげるのかって分からないのではないか。

昨年末のドームツアーでは「コンピューターシティー」が、そして今年のツアーではこの「エレワ」と、そして ▽・w・▽
「恋は前傾姿勢」。
振付の途中でマイクを倒す部分があるんだけど歌い手の遠くへ、つまり前方へ倒すのではなくて歌い手側に倒していた。

前傾姿勢じゃないじゃん、と思ったり前傾姿勢になっている相手を迎え入れるような体勢なのかと思ったり。

あまり幸せな状況で売り出されずセールスもさほど伸びなかったシングルリード曲「Sweet Refrain」の、しかもカップリング。
軽快なサウンドで手拍子もしやすいし、ライブ映えのする曲という判断によるセットリスト入りなのか。

Perfumeのセットリストは基本的にライブ開始から3~4曲の間は人気の高い盛り上がる曲を続け、その後ちょっと息を抜く感じの曲を挟むことが多かった。

典型的なのがGAMEツアーのセットリストで

01.GAME
02.エレクトロ・ワールド
03.コンピューターシティ
04.コンピュータードライビング

という4曲。
「殺す気か!!!!」と言いたくなるようなアゲアゲのセットリストであり、さらにこの後

05.TSPS
06.BcL
07.ファンデーション

と続き、ファンデーションで一息入れるまで4つ打ち系のアップテンポなサウンドのオンパレードになるのだった。

その頃から考えるとセットリストの構成も変わった。

今回のセットリストをここまで振り返ってみると

01. Cling Cling
02. Handy Man
03. Clockwork
04. レーザービーム

05. いじわるなハロー
06. I still love U
07. 恋は前傾姿勢

であり、いわゆる「縦ノリ」が起こりやすい曲は「レーザービーム」くらいである。

もちろん01,03,04,05,06の各曲はファンの人気も高く、楽曲の完成度も高い作品揃いであるが、会場があっという間にヒートアップし、息つく暇もなく盛り上がり続けるというものではなくなっている。

しかし、Perfumeは前回の代々木から導入した演出とさらにレベルを高く設定した振付の完成度によって観客を圧倒する。

「前傾姿勢」が終わってPerfumeは張り出しステージの途中から奈落に姿を消し、着替えタイムが始まる。

BGM by 中田ヤスタカ。

ユニヴァーサルにはぜひ、ライブヴァージョンのツアーアルバムを出してほしいと熱望する。
DVDやBDがあるじゃんって?

音源が欲しいじゃないか ▽・w・▽
「I still love U」(入力が面倒なので以後は『未練』と呼ぶ)はアルバム「⊿」収録の楽曲である。

「⊿」は、大ヒット作「GAME」以降、Perfume音楽制作班がコンベス期から続いた「甘く切なく、いつもちょっとだけ届かない想い」をメインテーマにしたキラキラ系乙女ポップから、恋愛を含めたPerfumeと同世代の女性の「日常」をテーマにした作品群へと歌詞の構成を変容させようとする過渡期に制作された。

このアルバムで模索された方向性、特に「Zero Gravity」から続く浮遊感や飛翔感に溢れたサウンド、「日常」の風景や毎日を過ごす若い女性のこれといってドラマティックで深刻な悩みを持たない歌詞の世界観が、のちにPerfumeをよりメジャーなマーケットへと推し進める「2010年度」サウンドに結実していく。

「未練」はアルバム収録曲ではあるものの、MVまで制作されている。
同アルバムに収録されている「Kiss and Music」と並んでPerfumeには珍しく「黒い」R&B系統のサウンドを取り入れた楽曲である。

同じく同アルバムに収録されたシングル曲「ltw」がヨーロピアン風な軽やかなサウンド(たしかラジオ番組でこの曲の感想を求められた細野晴臣さんは「バングルズ」だね、と表現した)であることと比べると、色で言うと暗色、ドシッと重みのあるアレンジにPerfumeらしからぬ情念さえ感じさせるウェットな歌詞で彩られた「未練」は、Perfumeサウンド、というよりも、ボーカルチームとしてのPerfumeが、J-POP的な歌詞の世界観にも十分に対応できる可能性を証明した。

ここ、代々木第一体育館では張り出し通路の先端に設けられた円形のステージで披露されている。
照明部も心得たもので、あっという間にライブ空間の雰囲気が黒く染まる。

センターあ~ちゃん、観客席側から見て左にかしゆか、右にのっちという黄金比率で始まるパフォーマンス、メンバーが左足を広げつま先を外に向けてぐっと腰を落とし跳ねるように足を伸ばす。

僕はその動きをステージサイド席、メンバーの背中から観ている。
当然メンバーの表情は見えないのに、彼女たちが笑顔を消して一点に視線を据えているのが見えるようだ。

「⊿」の楽曲についてあ~ちゃんは「背伸びをして」という意味の表現を使っていたことがあるが、20歳代半ばに差し掛かったPerfumeにとってこの曲、この歌詞の情念はむしろ「日常」といえるのではないかと思う。

かしゆかがソロパートで苦手だというウィンクにチャレンジしたのをモニターで観た。
必殺とも言えるあ~ちゃんのウィンクにはまだまだだ。
あれ?今のウィンク?ぐらいだった。
かしゆか中毒患者にはすでに毒が回っているので、あれで必殺!!だったりして。
アナフィラキシーショックみたいに ▽・w・▽
盛り上がった「レーザービーム」の後はステージが暗転、ステージサイドにいた僕の眼には3人がステージ脇の階段を降りていったん下に降りる姿が見えた。

しばらくしてステージに戻ってきたのはのっち。
ライブ開始直後のブロックの後、小休止を挟んでMCを始めるのがのっちの担当になってから結構経つ。

今回は代々木のステージなのだけれど、ガイシ2日目に参戦した時のMCの内容はのっちとかしゆかによる姿見(全身を見るための大きめの鏡)トークだった。

かしゆかの家には姿見がない、という話と、のっちの家にはあったのだけれど嘘をつく(縦長に映してほっそりと見せるタイプ)姿見だったので捨ててしまった、という話だった。

代々木ではまずのっちによる「みなさん盛り上がってますか」的なあおりがまずあり、なんやかんやあってかしゆか登場。
かしゆかが登場してから「最終日ということで気合入ってますか」的なさらなるあおりがあり、もちろん観客はそれに応えて大歓声。

ただ、その時ある観客が「のっちは?」みたいな質問をしてきたのでございます(岸田今日子さんの声で読んでください)

のっち氏、「気合?入ってるに決まってるでしょう!!!!愚問ですよ、愚問!!」

荒ぶってしまったのでございます。

そのうちにあ~ちゃんが登場して平常運行、ビタドロの衣装を着たちっちゃい子とからめば不機嫌なガールで相手にしてもらえず、中田さんコスの男性がかしゆかコスの女性を連れていたために「やめてください、気持ち悪い」と断言されてしまったりのあと。

「いじわるなハロー」

どう考えてもお笑いコンビ「ハライチ」のネタの冒頭部にしか聞こえない(この後『~なハロー』のヴァリエーションをいくつか続けた後、「元の形なくなっちゃった!!!!」で終わる一連のボケが続く)タイトルのこの曲は、久々にステップ重視の振り付け、あれ?カンフーアクションみたいな動きがあったのはこの曲だったかな?

バキバキの印象ではない曲ではあるけれど、ノリの良い四つ打ち系統のサウンであるため会場では縦ノリ気味の盛り上がり、この曲の途中で確かへそ出し通路から観客席中程に設置された円形ステージへ。

次の曲は、会場の雰囲気を一瞬で「黒く」する異色作「I still love U」。

イントロから濡れる ▽・w・▽