今回のセットリストは、演出意図によって同傾向の複数の作品の中からセレクションされていたように思う。
「egde」を外した代わりに「GAME」や「掟」を、「マカロニ」が入っても不思議のない5~8曲目のシーンに「575」が入り、「SEVENTH HEAVEN」との競り合いを制したかのように「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」が生き残った。
今年に入って一挙に増えたシングルの表裏のうち4曲が正リストに、アンコールに1曲が加わったことで過去の作品の居場所は相対的に狭まっている。
ドームで観たパフォーマンスの中で最も強く印象に残っているのは「575」だ。
円形にせり上がるメインステージ、中央に立つあ~ちゃん、その縁に座るかしゆか、一段下がったステージの縁に座るのっち。
MIKIKOさんは「歌を聴かせる」「Perfumeにきちんと歌わせる」作品としてセットリストの中から「575」を選んだ。
「575」は、大会場でのライブが増えたことにより、マイクからスピーカーまでの経路をたどるうちに音声として反映しづらくなってきた「被せ生歌」の成分を、ドームという環境の中で可能なかぎり濃厚にしてきた。
歌い初めのソロパートは、音源で聴く限りはのっち→あ~ちゃん、の順番に思えたのが実際にはあ~ちゃん一人によるソロパートと判明するという個人的なサプライズになった。
音源ではユニゾンに入るともう誰がどの声なのかを判定するのも困難になるが、ステージで生歌成分が強くなると、当然のことながら各人の歌声の個性もはっきりと聴こえてくる。
あ~ちゃん、のっち、かしゆかというボーカルチームはAメロ→Bメロ→サビ→ラップ、とシンプルに繰り返す構成の中で、ずっと同じ声の強さで歌うという凡庸さをいささかも見せず、一番のラップパートの後から徐々に徐々に(かしゆかはジョジョに、なんつって)感情表現を強めていく。
歌詞の二番のサビを歌う時には特にあ~のちの二人は熱唱、二人の生々しい感情表現によってPerfumeの、というよりは中田さんのクールなサウンド全体のバランスは、崩れていたように思う。
この歌声を思い出すたび、僕はPerfumeらしからぬ光景だったと思い、いや、あれこそPerfumeらしい光景だったのだ、と思い返すことを繰り返している。
Perfumeはダンスユニットではない。
ダンス部エースたるのっちでさえ、ダンサーではない。
彼女たちは高いダンススキルを持つボーカルユニット、音楽ユニットであって、それ以上の存在でもそれ以下の存在でもあったことはない。
優れたボーカルユニットであったからこそ、自分たちのやりたいことをやれずとも、ディレクターでもある中田さんの演出に乗って「シングライクトーキング」をやり通してきたのだ。
その賢明さがPerfumeらしさであり。
と同時に、夢の舞台で大好きな歌を歌ううちにどんどん気持ちが入り込み、長年培ってきたはずの音楽的なバランスをあやうく破綻させてしまいそうになるほど熱唱してしまうのも、またPerfumeらしい姿のように思うのだ。
今年に入ってシングルのリリースが増え、それにともなうTV出演も増え、テレビカメラの前で歌う機会も増えていく中で、彼女たちはパフォーマンスのバランスを崩さない範囲で、出来る限り「被せ生歌」の時間を確保してきた。
音楽の内側に取り込まれたボーカルとリップシンクという新しい音楽の形を、既成事実を積み重ねていくことで世間に認めさせてきたPerfumeが、未だに「歌う」という意志を放棄しないでいる。
それが明確に示されたのがドームのステージで披露された「575」であり、ドームという大きな舞台で披露されたということは、三人の我がまま、気まぐれによる「歌」ではなく、チームPerfume全体の意志としてあらためてボーカルユニットであるPerfumeの旗を掲げたのだ、と僕は感じた。
すでに成功した人気ユニットという地位さえ確立しつつあるPerfumeの、この諦めの悪さを、現状に満足しない貪欲さを、ファンとして頼もしく思う。
ドームというステージで示されたテーマ、メッセージは数知れない ▽・w・▽
「egde」を外した代わりに「GAME」や「掟」を、「マカロニ」が入っても不思議のない5~8曲目のシーンに「575」が入り、「SEVENTH HEAVEN」との競り合いを制したかのように「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」が生き残った。
今年に入って一挙に増えたシングルの表裏のうち4曲が正リストに、アンコールに1曲が加わったことで過去の作品の居場所は相対的に狭まっている。
ドームで観たパフォーマンスの中で最も強く印象に残っているのは「575」だ。
円形にせり上がるメインステージ、中央に立つあ~ちゃん、その縁に座るかしゆか、一段下がったステージの縁に座るのっち。
MIKIKOさんは「歌を聴かせる」「Perfumeにきちんと歌わせる」作品としてセットリストの中から「575」を選んだ。
「575」は、大会場でのライブが増えたことにより、マイクからスピーカーまでの経路をたどるうちに音声として反映しづらくなってきた「被せ生歌」の成分を、ドームという環境の中で可能なかぎり濃厚にしてきた。
歌い初めのソロパートは、音源で聴く限りはのっち→あ~ちゃん、の順番に思えたのが実際にはあ~ちゃん一人によるソロパートと判明するという個人的なサプライズになった。
音源ではユニゾンに入るともう誰がどの声なのかを判定するのも困難になるが、ステージで生歌成分が強くなると、当然のことながら各人の歌声の個性もはっきりと聴こえてくる。
あ~ちゃん、のっち、かしゆかというボーカルチームはAメロ→Bメロ→サビ→ラップ、とシンプルに繰り返す構成の中で、ずっと同じ声の強さで歌うという凡庸さをいささかも見せず、一番のラップパートの後から徐々に徐々に(かしゆかはジョジョに、なんつって)感情表現を強めていく。
歌詞の二番のサビを歌う時には特にあ~のちの二人は熱唱、二人の生々しい感情表現によってPerfumeの、というよりは中田さんのクールなサウンド全体のバランスは、崩れていたように思う。
この歌声を思い出すたび、僕はPerfumeらしからぬ光景だったと思い、いや、あれこそPerfumeらしい光景だったのだ、と思い返すことを繰り返している。
Perfumeはダンスユニットではない。
ダンス部エースたるのっちでさえ、ダンサーではない。
彼女たちは高いダンススキルを持つボーカルユニット、音楽ユニットであって、それ以上の存在でもそれ以下の存在でもあったことはない。
優れたボーカルユニットであったからこそ、自分たちのやりたいことをやれずとも、ディレクターでもある中田さんの演出に乗って「シングライクトーキング」をやり通してきたのだ。
その賢明さがPerfumeらしさであり。
と同時に、夢の舞台で大好きな歌を歌ううちにどんどん気持ちが入り込み、長年培ってきたはずの音楽的なバランスをあやうく破綻させてしまいそうになるほど熱唱してしまうのも、またPerfumeらしい姿のように思うのだ。
今年に入ってシングルのリリースが増え、それにともなうTV出演も増え、テレビカメラの前で歌う機会も増えていく中で、彼女たちはパフォーマンスのバランスを崩さない範囲で、出来る限り「被せ生歌」の時間を確保してきた。
音楽の内側に取り込まれたボーカルとリップシンクという新しい音楽の形を、既成事実を積み重ねていくことで世間に認めさせてきたPerfumeが、未だに「歌う」という意志を放棄しないでいる。
それが明確に示されたのがドームのステージで披露された「575」であり、ドームという大きな舞台で披露されたということは、三人の我がまま、気まぐれによる「歌」ではなく、チームPerfume全体の意志としてあらためてボーカルユニットであるPerfumeの旗を掲げたのだ、と僕は感じた。
すでに成功した人気ユニットという地位さえ確立しつつあるPerfumeの、この諦めの悪さを、現状に満足しない貪欲さを、ファンとして頼もしく思う。
ドームというステージで示されたテーマ、メッセージは数知れない ▽・w・▽