6月19日(木)
さまざまな悲嘆にある方々に
寄り添えるように
そんな人材を育成する目的の
グリーフケアの授業で
また
衝撃を受けました。
阪神淡路大震災で
神戸の長田区でご自宅全壊
そこで
美術を専攻する立場で
美術の無力感に打ちのめされた
佐野由美さんのことを
私はDVDで初めて知りました。
http://with2001.com/sanoyumi.html
人間を動かすもっとも根本的な力、欲求は何か。
というテーマの授業。
フロイトはそれを快楽と呼び、
その弟子アドラーはパワー、力としたのに続き、
同じオーストリア人で
ナチ時代の収容所の生き残りである
V.フランクルは「意味」と唱えた人です。
彼の考え方は
Logo Therapy とも呼ばれているそうです。
ギリシャ語で「意味」
意味または、目的ともいえるものがなければ
快楽、力があっても
人間は生きていけないのではないか。
では、どのようにして、その目的を見出すのか。
私たちが人生から何を期待するかではなく
人生が我々に何を期待しているか
その、人生の呼びかけに
耳を傾けること。
人生からの呼びかけは常にあり
何度も意味を見出す機会があるにもかかわらず
その呼びかけに
耳を傾けなければ
目的、意味を見出すことはできない。
おそらく、人により表現は
異なるかもしれませんが
常に
神様の思し召しがあったり
宇宙からの声があったり
お天道様やご先祖様への祈りからであったり
日々さりげなくすれ違う人
何気ない出来事からのメッセージ
かもしれません。
その意味に気づく人、気づかない人、
気づく時、気づかない時。
佐野由美さんは
その、人生の呼びかけに
全身全霊をもって応えた方です。
生命力にあふれ
慈愛に満ちた
ネパール、カトマンズの近くの
貧民街パタンでの
ボランティア美術教師の姿が映し出されました。
テレビドキュメンタリー番組「with…若き女性美術作家の生涯」
震災の逆境にあり
自らの信念の美術の無力感に直面し
被災地で
スケッチブックと鉛筆を手に
現場を生き生きと描いたスケッチと文章が
「神戸・長田スケッチ 路地裏に綴るこえ」(六甲出版刊)
として出版。
芸大卒業後ネパールへ。
子どもたち、その家庭の極貧の状況から
子どもたちに
手に職をつけさせる意味で
授業を紙細工に特化。
フランクルの言う
人生の呼びかけに応え
「意味」を見出した人。
パタンでの最後の一枚のスケッチを
描き終え。。。
バイクの後ろに乗っていたところを
後ろからトラックに追突されるという事故に
帰国直前に巻き込まれ
ご家族が現地入りされて
対面した由美さんの
変わりはてた姿に
私たち受講生皆が絶句。
帰り道の駅、電車の中でも
その衝撃で持ちきりでした。
娘よりも1歳若くして
その命を終えてしまいました。
「神はいないのではないか」
そう語った方も。
私もそんな風に感じていたこともありますが
おそらく
神は勧善懲悪ではない、
ということを、
さまざまな理不尽なできごとから
感じるようになりました。
もちろん
こんなにもかけがえのない経験をされた
かけがえのない存在である
由美さんが、
ご自身の言葉で
私たちに伝えうることが
果てしなくあったはずです。
その重みも
私たちがこんな形でしか受け取れない
その意味があるのかと
問わずにはいられません。
それでも
この出逢いも
私にとって
人生の呼びかけであるならば
真摯に受けとめ
その意味を
大切に自覚し、伝えていかなければなりません。
フランクルの
ナチ収容所時代の生き残りの方に
共通していたこと。
それは皆
「意味」を見出した人たちだったということ。
彼の収容所での体験
さらに人生の意味についての著書
「夜の霧」を注文いたしました。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/14_frankl/
NHKの「100分de名著」でも
取り上げられ、ロングセラーとなっている
まさしく名著。
「置かれた場所で咲きなさい」
渡辺和子シスターの名著も
たびたび授業や講座で引用されます。
苦境にあっても
どんなときにでも
自分の置かれた場所で
耳を澄ましたときに
気づくこと
きっと
そのことに間違いはないのでしょう。
1年の半分の6月の丁度
真ん中を貫く一週間の終わり。
人生の呼びかけに耳を傾ける
一日一日にしたいと思います。